シリーズ『澄川』⑦ 宅地造成の巨大構造物『紅桜大擁壁』と『土砂災害警戒区域』


当記事は平成28年2月2日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

皆さんは『擁壁』や『土留め』と言った言葉をご存じでしょうか?
『擁壁』や『土留め』は通常の『塀』と異なり、土地同士に高低差がある場合に、高い位置にある土の重さを支える壁で、これが軟弱な構造であった場合には、高所にある土砂が崩れ落ちてしまいますから、その構造については建築基準法などで、一定の制限が加えられています。

私は不動産業に就くまで『擁壁』や『土留め』という言葉の意味をよく理解していませんでしたが、土地を取り扱う際に、その所有権や維持管理について十分に調査しなければ、大きなトラブルになりかねませんから、非常にデリケートな問題であると言えるでしょう。

札幌で高低差の多い地域といえば南区、中央区(藻岩山・円山方面)、西区、豊平区が挙げられます。
その中でも特に南区は崖地が多い事で知られています。

それは、南区が札幌市の6割に達する非常に広い面積を有する区である事と、
古くは明治期から『札幌軟石』を産出する石山・穴の沢地区から中心部まで本願寺道路(現在の石山通)に沿って『馬車鉄道(馬鉄)』が敷設され、大正~昭和にかけて定山渓温泉までの『定山渓鉄道(じょうてつ)』が敷かれた事もあり、札幌の郊外地の中でも特異な発展を遂げた古い街である、という歴史が根底にあるのです。

その結果、札幌市内に411箇所を指定された『土砂災害警戒区域』のうち、なんと過半数の221箇所が南区に集中しているという状態にもなっています。

そのように擁壁の多い札幌市南区の中でも、住宅地にあっては最大級とも言えるものが、澄川4条11丁目~澄川5条13丁目に所在する長さ400m、高さ10m以上もある巨大構築物です。

GoogleEarthで見てみると、かなり異様な光景ではないでしょうか。

まぁ、写真で見ても結構異様な光景なんですけどね。

私はこれを便宜上『紅桜大擁壁』と名付け、紹介してゆく事にしました。
命名由来ですが、まず、この『擁壁』には正式な名称が付いていないという前提があります。
この擁壁は『緑ヶ丘団地』造成と同時期に築造されたものですが、
現在は都市計画道路『水源地通』(≒市道『石山西岡線』)と市道『平岸澄川線』で形成される、道路区域として札幌市が管理している擁壁であるという以上の情報が、現在までの調査では判明していない・・・というか、恐らくそれ以上の情報は出てこないと思います。

そこで、分かり易い名称をと考えたのですが、この地区は『澄川』という地名のイメージから少し離れてしまいますから、近隣にある『紅桜公園』から名前を拝借した、という訳です。

どこにあってどのように出来たか
札幌市南区、南北線真駒内駅の裏(東側)には『桜山』という山があります。
行政上は『真駒内健康保安林』という名称ですが、地元の人間はみな『桜山』と呼んでいます。
※ 桜山の真駒内側には『桜山小学校』があります。

『桜山』を超えて更に東側は『澄川』4~6条となっており、昭和40年代後半に造成された『緑ヶ丘団地』です。

地名は『澄川』ですが、南北線澄川駅からは1.5~2駅相当の距離です。
南北線真駒内駅へも桜山を大きく迂回しなければなりませんから、最寄り駅は南北線自衛隊前駅という事になります、徒歩15分程度ですね。
地区としては『西岡』とも隣接しており、更に東へ少し行くと『西岡水源地』もあります。

小学校としては昭和47年に設置された澄川南小学校があり、この澄川南小学校を中心とした地区、とも言えるでしょう。
『桜山』を始め、この地区は周囲をぐるりと市街化調整区域に囲まれた住宅地です。

過去には、現在市街化調整区域となっている山林についても、宅地造成の計画があったそうですが、上水道給水の問題や、札幌オリンピック前後の人口動向から、計画は立ち消えになったようです。
澄川南小学校の学校区が大きく北側に偏っている事は、立ち消えになった宅地開発計画による影響だと言われています。

地下鉄南北線の開通は昭和46年、札幌オリンピックの開催は昭和47年ですから、『緑ヶ丘地区』や『澄川南小学校』への影響が事がよくわかります。
この時期の開発と発展のダイナミズムというのは本当に面白いですね。

さて、『紅桜大擁壁』は北海道によって『土砂災害警戒区域』に指定されています。
北海道が公開する指定図面を見てみましょう。

 土砂災害警戒区域・土砂災害特別警戒区域区域図(その1)I-0-577-2995
  http://www.njwa.jp/hokkaido-sabou/designated_PDF/I-0-577-2995_kuikizu.pdf

う~ん、擁壁中心の傾斜が緩い部分以外はすっぽりと指定されていますね。
ちなみに、傾斜が緩い部分はこのようになっています。

それでは、『土砂災害警戒区域』に指定された『紅桜大擁壁』は危険な擁壁なのでしょうか?
また、指定されてしまったこの一帯の不動産は無価値となってしまうのでしょうか?
具体的に制度を見てゆきながら解説しましょう。

『土砂災害警戒区域』とは、平成13年4月に施行された土砂災害防止法に定められた地域です。
(正式には『土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律』と言います。)

崖崩れ(急傾斜地の崩壊)、土石流、地すべりなどが発生する可能性がある地域が指定され、この指定を受けた地域について、自治体は住民に危険を周知し、避難体制を確保しなければなりません。

更に法律では、『土砂災害“特別”警戒区域』も定められており、周知や避難体制の確保に加え、区域内の土地建物の所有者に対しても、厳しい制限が加えられます。

◇建築物の構造規制
土砂災害の影響を受ける基礎や柱、外壁などを鉄筋コンクリートなどの耐久性の強い構造が必要とされます。
建物とは別に、土砂に耐える擁壁を設けるなどの方法もありますが、
どちらにせよ、それ以外の地域に建築するより工費は高くなってしまいます。

◇特定の開発行為に対する許可制
宅地造成を行なったり、子供や高齢者が集まる施設(幼稚園や病院、介護施設)を建設しようとする場合には、
自治体の指導に従った造成や建築を行なわなければならない事とされています。

◇建築物の移転 
危険な箇所に所在する建物について、自治体は移転の勧告をする事が出来ます。
勧告に従った場合には、その為の費用の一部について『社会資本整備総合交付金』が支給されます。
更に『住宅金融支援機構』からの融資(地すべり等関連住宅融資)が受けられますが、金利は民間の銀行から住宅ローンを受ける場合とさほど変わりません。

『特別』警戒区域の場合には総じて、対応の為にそれなりの費用が発生する訳ですね。

国交省や自治体は『土砂災害警戒区域』をイエローゾーン『土砂災害特別警戒区域』をレッドゾーンと通称し、資料でも主に黄色と赤で色分けしています。

さて、もう一度『紅桜大擁壁』の図面を見てみましょう。

黄色で『土砂災害警戒区域』はありますが、レッドゾーンの指定はありません。

つまり、住民に対して危険を周知し、避難体制を整える必要はあるものの、土地建物の所有者がアレコレしなくてはならないという制限は一切ないのです。

ただし、『土砂災害警戒区域』は、重要事項説明で特に説明しなければならない項目ですから、不動産を売買したり賃貸する場合には、相手方に対して土砂災害の危険が周知されます。
ですから、必然的に不動産の価格は指定を受けてない場合と比較すると、若干下落してしまうでしょう。

土砂災害の危険を周知する目的でイエローゾーンに指定されている訳ですが、どういった基準を持って『危険である』とされているかについても、見ておきましょう。
イエローゾーンに指定される基準は下記の通りです。

■急傾斜地の崩壊
 イ 傾斜度が30度以上高さが5m以上の区域
 ロ 急傾斜地の上端から水平距離が10m以内の区域
 ハ 急傾斜地の下端から急傾斜地高さの2倍(50mを超える場合は50m)以内の区域

■土石流
 土石流の発生のおそれのある渓流において、
 扇頂部から下流で勾配が2度以上の区域

■地滑り
 イ 地滑り区域(地滑りしている区域または地滑りするおそれのある区域)
 ロ 地滑り区域下端から地滑り地塊の長さに相当する距離
   (250mを超える場合は、250m)の範囲内の区域

『紅桜大擁壁』の場合、傾斜度は30度どころか90度、高さ10m超ですから当然指定されますね。
そして、その傾斜地の上側と下側の所定の範囲が区域として指定された訳です。

例えば、擁壁の構造や老朽化の度合いを検査して『危険』と指定されたり、
現地の地盤の状況をボーリング調査で調べて軟弱度を判定したり、
具体的に災害のシミュレーションを行なった上で個別的に指定されている訳ではなく高さと角度といった、土地の形状が指定の基準である、という事は覚えておきましょう。

土地の形状が公的に『危険』とされている訳ですから、安全と反論することは出来ませんが、どのような基準をもって指定されているかを理解し、リスクを分析すべきでしょう。

ちなみに、『紅桜大擁壁』はほぼ垂直の巨大な擁壁であって、かなり威圧感がありますが、それでもレッドゾーンには指定されていない訳です。

土地所有者に実際に制限が課せられるレッドゾーン、『土砂災害特別警戒区域』はどのような状況であれば指定されるのでしょうか?

この最寄りの指定区域に、紅桜公園に隣接する寺院『慧照寺』があります。
『条丁目』が施行されていない市街化調整区域、澄川458番10に所在する寺院です。

 土砂災害警戒区域・土砂災害特別警戒区域区域図(その1)I-0-576-2994
  http://www.njwa.jp/hokkaido-sabou/designated_PDF/I-0-576-2994_kuikizu.pdf
うーん、スゴイですね。
恐らくは岩石や土砂の採掘が原因と思われる、白い岩壁があらわになっています。
レッドゾーン、土砂災害特別警戒区域というのはこのレベルの危険度という訳です。

南区では札幌市内の411か所のうち、過半数の211箇所を占めていますから、実は意外と身近にあるのが、この『土砂災害警戒区域』です。

北海道では土砂災害警戒区域の情報を下記のサイトで紹介していますから、
不動産を所有されている方は一度目を通しておくとよいでしょう。
  北海道土砂災害警戒情報システム 土砂災害警戒区域等指定状況
   http://www.njwa.jp/hokkaido-sabou/others/displayDesignatedMap.do

イエローゾーンであり、土砂災害防止法上ではそこまで危険度はないとされている紅桜大擁壁ではありますが、築造からじきに50年を迎え、老朽化が進行していることは間違いありません。

各所にコンクリートの剥落やクラック、鉄骨のサビなどが見られます。
前述の通り、この擁壁は札幌市が市道の一部として管理していますから大事に至ることはないでしょうが、コンクリートの寿命を考えると、いずれ大修繕が必要になるでしょうね。

“シリーズ『澄川』⑦ 宅地造成の巨大構造物『紅桜大擁壁』と『土砂災害警戒区域』” への4件の返信

  1. たいへん興味深く拝見しました。澄川南小学校の開校は昭和58年かと思います。『紅桜大擁壁』は私が真駒内小学校に通っていた昭和50年代からありましたから,かれこれ40年以上ですね。紅桜公園北側の通称「桜が丘」と呼ばれていた地区(4条11丁目,12丁目)はまわりの澄川と少し雰囲気が異なり,やや寂しい地区だった記憶があります。緑ヶ丘も当時のスーパーが閉店となり,住民の高齢化が顕著になっていますね。少々さびしい気も致します。

    1. >M.Aさん
      コメントありがとうございます。
      澄川南小学校は昭和57年に条例で設置され、昭和58年度から授業が始まっているようですね。
      ご指摘の4条11丁目~12丁目については、『桜ヶ山団地』という分譲名だったようで、
      道路所有者と住人の間でかなり激しい争いが長期間続いたようです。
      同シリーズの⑧で少し触れていますのでよろしければ。
      http://z-behemoth.com/2019/03/28/%e3%82%b7%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%80%8e%e6%be%84%e5%b7%9d%e3%80%8f%e2%91%a7%e3%80%80%e6%be%84%e5%b7%9d%e5%8d%97%e9%83%a8%e3%81%ae%e5%a4%a7%e9%96%8b%e7%99%ba%e3%80%8e%e7%b7%91%e3%83%b6%e4%b8%98/
      より詳細については結構えぐい話なので『郷土史澄川ものがたり』をご参照下さい(; ・`д・´)

  2. こんにちは!とてもわかりやすい文章で興味深く読ませて頂きました。

    今度こちらの擁壁の下付近に家を建てたいと思っているものです。知りたいことが記事の中に沢山ありまして大変助かりました。
    ありがとうございました!
    危険区域であるため不安があり、市に問い合わせなどをしましたが、しっかり管理はされていて点検や定期的なパトロールを行なってもらっているようですね。
    大規模修繕が未来してもらえるかわからないですが…。
    色々と昔の航空写真を見たところ、勝手に全て盛土なのだと思っていましたが、昔全て崖だったように思える写真が出てきました。出来たらで良いのですが擁壁の成り立ちについて記事以外に知っていることがありましたら教えていただけると助かります。

    1. まいさん

      概ねの情報はシリーズ『澄川』①~⑨で記載していますが、
      ⑧に記載したように、擁壁の西側の分譲については『郷土史澄川ものがたり』に少し触れられています。
      http://z-behemoth.com/tag/%e6%be%84%e5%b7%9d/

      崖崩れや修繕については、札幌市の管理となっている以上、
      行政問題となりますから、最低限の維持営繕はされてゆくでしょう。
      それ以外の問題として、商業施設が少なく、駅からもある程度距離がありますから、
      現在の高騰した土地価格、建築費で将来的に資産形成がなされるか、
      じっくりと慎重に判断されるとよろしいでしょう。

      航空写真を見て崖だと判断したとのことですが、
      大正期からの地形図についてはシリーズ記事で掲載していますが、
      特にこの部分が急な崖であったという等高線の状態にはなっておらず、
      傾斜地ではありますが周囲の等高線と大きな違いは見当たりません。

      ご参考まで。

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