さて、シリーズ『位置指定道路』の記事を初めてゆくにあたって、
過去記事の再録をしてゆく前に一つ、新規記事を書きたいと思います。
そも、『位置指定道路』というものを認識するにあたっては、
建築基準法における2つの大前提を抑えておかなければなりません。
『接道義務』
建物の敷地は『建築基準法上の道路』に接している必要がある。
『建築基準法上の道路』
『接道義務』を満たすための道路は、国道、都道府県道、市町村道といった、公道は勿論のこと、それ以外の一定の『私道』も認められる。
『建築基準法上の道路』については、建築基準法第42条に定めがあり、いくつかの種類はありますが、公道以外で最もメジャーなものが、建築基準法第42条1項5号に定める『位置指定道路』です。
建築基準法における『位置指定道路』の定めについては、
次回以降、その必要性や経緯についても解説してゆきますが、
今回はその前身ともいえる制度である『建築線』について紹介してゆきます。
建築基準法は建物の建築に関する法律でありますが、
戦後、昭和25年に定められた法律です。
それでは、それ以前には、建物の建築に関する法律はなかったのでしょうか?
勿論そんな訳はなく、それ以前には『市街地建築物法』(大正8年4月法律第37号)が施行されていました。
そこでは建物の建築について、このように定められています。
第七條 道路敷地ノ境界線ヲ以テ建築線トス 但シ特別ノ事由アルトキハ行政官廳ハ別ニ建築線ヲ指定スルコトヲ得
第八條 建築物ノ敷地ハ建築線ニ接セシムルコトヲ要ス 但シ特別ノ事由アル場合ニ於テ行政官廳ノ許可ヲ受ケタルトキハ此ノ限ニ在ラス
第九條 建築物ハ建築線ヨリ突出セシムルコトヲ得ス
但シ建築線カ道路幅ノ境界線ヨリ後退シテ指定セラレタルモノナルトキハ命令ノ定ムル所ニ依リ 建築物ノ前面突出部又ハ基礎ハ道路幅ノ境界線ヲ超エサル範囲内ニ於テ建築線ヨリ之ヲ突出セシムルコトヲ得
(口語訳)
第7条 道路敷地の境界線を建築線とする。ただし、特別の事情があるときは行政官庁は別に建築線を指定することができる。
第8条 建築物の敷地は建築線に接するようにする必要がある。ただし、特別の事情がある場合で行政官庁の許可を受けたときはこの限りではない。
第9条 建築物を建築線から突出させることはできない。
ただし、建築線が道路の境界線から後退して指定されているときは、
建築物の前面突出部または基礎を、道路の境界線を超えない範囲で建築線から突出させることができる。
つまり、第7条で原則的には道路となっている敷地の境界線が『建築線』である、と定めており、
また、第8条では建物の敷地は『建築線』に接するようにしなければならないとしています。
そして、第9条で建物は『建築線』≒道路敷地に原則はみ出してはならないとされています。
これが現在の建築基準法で言う所の『接道義務』の原点である訳ですね。
また、『建築基準法上の道路』≒『建築線』ということが出来ます。
第7条の特例として行政官庁が”道路ではない場所に”『建築線』を指定する事が出来る、とされています。
これが『告示建築線』と呼ばれるもので、行政官庁が告示して、指定する建築線です。
行政官庁が全く道路のないところに指定することも少なくなかったそうで、
特に東京や大阪では、現存する建築線が大きな問題になることも多いようです。
札幌市でも昭和2年5月に指定された現在の『位置指定道路第1号』を始め、
市内の中心部に複数の建築線が指定され、その一部が現存しています。
(現存しないものは、公道になったものや、廃止になったものがありますが、詳細は不明です。)
北10条西1丁目にある位置指定道路第1号の昭和2年における告示建築線図面です。
そして戦後、『市街地建築物法』が『建築基準法』に切り替わるにあたって、
建築基準法施行時の附則第5項では以下のように定められたのです。
(この法律施行前に指定された建築線)
5 市街地建築物法第7条但書の規定によつて指定された建築線で、その間の距離が4メートル以上のものは、
その建築線の位置にこの法律第42条第1項第5号の規定による道路の位置の指定があつたものとみなす。
『第七条但書の規定』とは、建築線のうち道路敷地の境界ではないもの、つまり『告示建築線』です。
そして、『この法律第42条第1項第5号の規定』とは前述の通り、位置指定道路の規定です。
つまり、『告示建築線』のうち、幅が4m以上のものは位置指定道路の指定があったものとみなす、という事です。
では、4m未満の『告示建築線』はどうなのか、と言えば建築基準法第42条2項にこのような定めがあります。
2 この章の規定が適用されるに至つた際現に建築物が立ち並んでいる幅員4メートル未満の道で、特定行政庁の指定したものは、前項の規定にかかわらず、同項の道路とみなし、その中心線からの水平距離2メートル(前項の規定により指定された区域内においては、3メートル(特定行政庁が周囲の状況により避難及び通行の安全上支障がないと認める場合は、2メートル)。以下この項及び次項において同じ。)の線をその道路の境界線とみなす。
ただし、当該道がその中心線からの水平距離2メートル未満でがけ地、川、線路敷地その他これらに類するものに沿う場合においては、当該がけ地等の道の側の境界線及びその境界線から道の側に水平距離4メートルの線をその道路の境界線とみなす。
条文番号から『2項道路』という呼び名が一般的ですね。
これは『告示建築線』に限らず、昭和25年当時に存在した4m以未満の道について、
新規に建物を建てようとする場合には(原則)幅4mを確保すれば、その建築を認める、という規定です。
道路幅を確保するために建物を後退させることを『セットバック』と言います。
このようにして道路を広げてゆき、防災や通行の確保、採光の改善などを図ってゆく訳です。
これは北7条東13~14丁目にある『苗穂工場裏通線』幅3.64m。
『公道』であり、かつ『2項道路』という特殊なものです。
おそらく、元々は『告示建築線』であったのではなかろうかと思っています。
この規定では『この章の規定が適用されるに至つた際現に建築物が立ち並んでいる』との前提がありますが、更にそれでは、昭和25年当時に建築物が立ち並んでいなかった『告示建築線』はどうなのでしょうか?
答えは簡単、建築基準法上の道路としては認められないのです。
しかし、『現に建築物が立ち並んでいる』のかどうか、という判定は、自治体が行わなければなりません。
自治体と土地所有者の争いが発生したという事例も少なくないようです。
また、戦後間もない昭和25年時点の状況で『現に』ですから、空襲などで焼け落ちた市街は、対象外という事です。
物の資料によると、戦災の激しかった名古屋では、ほとんど告示建築線が残っていないそうです。
そういった種々の問題を孕みつつも、『告示建築線』は今も街並みの中に潜んでいるのです。
次回以降、『位置指定道路』の取扱いについて紹介していきましょう。