『植物園の耳』① 探ると消される?!『植物園の耳』のナゾ

『植物園』というのは、札幌における一つのランドマークであり、観光名所です。
北海道大学や時計台、札幌テレビ塔、赤レンガ庁舎、すすきの交差点などと比べると全国区ではありませんし、地元民にとっても円山公園や平岡公園、五天山公園、滝野すずらん公園に比べると、知名度はさほど高いとは言えないかもしれません。

とはいえ、『植物園』というのは非常に由緒正しい施設ですし、北海道庁の一つ東のブロックにあり、北海道大学の数区画南側に位置するという立地条件から、観光地としては赤レンガ庁舎や北大構内と一体的に扱われていると言えるでしょう。

ところで平成27年11月7日放送の『ブラタモリ』第22回のテーマは『札幌』でした。
 ブラタモリ#22 札幌 ~なぜ札幌は200万都市になった?~
  http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list22/

元々インターネットなどでも注目度の高い番組ですが、私が不動産業界にいるという事もあり、地元がテーマのこの回については周囲でも注目度が高かったように思います。

この回の前半部分では植物園の東側の道路が屈曲しており、それに面する『シティハウス道庁前』が道路に合わせて曲がっていることが取り上げられました。

写真中央の緑色の局面のあるマンションが『シティハイム道庁前』です。

札幌市の中心部は扇状地の端に面しており、湧水が豊富です。
そして、湧き水を表すアイヌ語『メム』という言葉も紹介されました。
この『メム』による川の痕跡が、線路の北側の偕楽園まで残っているのだと。

札幌を自動車で走っていると、この辺りの道路が屈曲していてかなり走りづらいことは、皆さん日常的に感じていたようで、また、我々地場の不動産業者のコミュニティでもそれなりに話題になったものです。

ここで、植物園の案内図を見てみましょう。

確かに、地図右側=東側の辺が屈曲していることが分かりますね。

こりゃー、地形に詳しいタモリさんも気になる部分ですよね!!

・・・って、いやいやいや、着眼点がおかしいでしょ。

南北3区画×東西3区画=9区画を乱すもっと大きな問題がありますよね!
東側の辺の屈曲以前に、南東側に欠落した部分があるでしょうよ。
そっちの方が問題なんじゃーないですかね!!

実はこの欠落には、以前から着目していまして、調べよう、調べよう、と考えていました。
と、言うのも、この欠落部分には位置指定道路が通っているのです。

平成26年3月、札幌市都市計画情報提供サービスで位置指定道路が調べられるようになって以来、私は片っ端から位置指定道路の情報を集めていたのです。

その中でもこの欠落部分に関しては、公有地の一部が欠けている訳ですから大きな興味を持って予備調査を進めていました。

旧ブログ以来、年末年始には、シリーズ記事を書くようにしていますが、大まかに年末や新年にちなんだ記事を書くことが恒例化しており、平成29年1月にはこのエリアと『札幌市位置指定道路第1号』を悩んだ挙句、位置指定道路第1号の記事を書きました。

・・・と、言うのはこちらのエリアについては、あまりにも謎が多く、調べきれないと判断した為です。

その後、経営者になったりこのブログを設置したりとバタバタしていましたが、ようやく目途が立った為、今年のシリーズ記事ではこのエリアについて取り上げることにしました。

このエリアについては『植物園のヘソ』とか『植物園内民有地』とか、色々と通称を考えてみたのですが、私は『植物園の耳』と呼ぶことにしました。

形状が『耳』に似ているうえに、公有地の端にある私有地という意味でも『耳』ですから、我ながら良いネーミングなのではないか、と自画自賛してみます。

さて、『植物園の耳』がどうして出来たのかについて、この3年の間に古株の不動産関係者に聞いてみました。
不動産関係者、といっても郷土史の専門家ではありませんし、皆さん戦後生まれですから、大抵の方は『知らん』の一言で終わりですが、以下のような面白い回答もありました。

『明治頃のゴタゴタで官有地が反社会的勢力に乗っ取られたものではないか。』
“メム”の痕跡でこのような形になったのではないか。』
『戦後、GHQの関与などの何らかの事情で払い下げられたものではないか。』

色々な方から『探ると消されるんじゃないのか』という声が聞かれ、また、調査当初はあまりに先が見えない為、何か危険な裏事情があるのでは・・・等とも考えていました。

郷土史の方はどうなのか、と言えば、平成17年3年に発行された比較的新しい郷土史である『桑園誌 -130年の足跡をたどる-』を始めとして、さまざまな郷土史をざっと読みしましたが、植物園に関する記載はあっても、単に成り立ちと現況が書いてあるだけ。
『さっぽろ文庫』はすべて読破している訳ではありませんが、関係しそうな巻でも該当する記事は見当たりませんでした。

それでは、『北大植物園』に関する文献はないものかと探してみましたが、これもはずれ。
植物園単独に関する書籍は、札幌市の図書館では1冊しか見当たりませんでした。
北海道大学に関する記録である『北大百年史』に関しても昭和57年発行の通説、昭和55年発行の部局史のいずれも、簡単な成り立ちと現況についてしか説明がありません。

すべての文献を読破した訳ではありませんが、どうやら『植物園の耳』への関心は非常に低いように見受けられます。

まー、インターネットを見回すと建築畑の方や鉄道畑の方、園芸畑の方から新聞畑の方まで、色々な人が札幌の歴史についてインターネットで書いていますが、インターネット検索においても、有効な情報は見当たりません。

ブラタモリのナビゲーターをした2名の方に聞いてみる、という事は出来なくはありませんし、植物園を管理する北海道大学に問い合わせをする、という方法もありますがそれじゃー面白くありません。
昔から『事情通に事情を聞かない』のが、私のスタイルです。
(というか、聞いたとしてもおそらく私の知りたいことはご存じないのではないのかなー、と思うのです。)
私はあくまでもアングラ文化の人間として顔も出さずに活動をしていますから、単に地形がどーだ、郷土史がどーだという話ではなく不動産の実務家としてもっと突っ込んだことを書いていきたい、というのが本当の処です。

さて、論点をまとめましょう。

①『植物園の耳』は何故このような形状で取り残されたのか?
②『植物園の耳』はどうやって民有地となって現在に至るのか?

①については、札幌の成り立ちや地形に詳しい方であれば、ある程度想定出来る内容です。
しかし、②の発端と経緯については、調べれば調べるほど深みに嵌ってしまいます。

公有地(官有地)が民有地になった時期については、公的な記録から比較的すぐ調べがつくものですが、民有地を取得した人々と背景、という部分になると、それを知ることは非常に難しいと言わざるを得ません。

公的な記録に、取引の事情取得した人の氏素性が書かれている訳はありません。
足掛け3年に渡って・・・と言っても、最初の1年は殆ど調べず、今年のうち半年は業務に追われていましたが、調査に調査を重ねて、ある程度真実が読み取れて来ました。

フィールドワークでは植物園、北海道大学、知事公館の他、遠くは当別まで行きました。
文献調査ではある限りの地図、航空写真の他、札幌に関する人名録を市立図書館だけではなく、国会図書館のデジタルライブラリーで引っ張って読み込みました。
最終的には『北海道寺院沿革誌』などというマニアックな書籍に至りました。

開拓当初からの調査ですから、調査対象という意味でも、調査期間という意味でも、過去最長です。
勿論、まだまだ調査は可能ですし、継続はしていきますが、調査は長引けば長引くほど得られるものは少なくなっていきますし、北海道立図書館がアスベスト問題で平成29年10月から閉館中で、中長期的判断が必要となってきました。
ある程度、事実関係が明らかになってきたこのタイミングで、シリーズ記事を公開することとしました。

実務でここまで調査する事はありませんが、このブログは不動産のプロフェッショナルとして、調査能力のデモンストレーションとしてやっている、という側面もありますから、次回以降、『ここまで探れるんだ』という事をお示ししていきます。
まー、気が向いた方は不動産の売却でも依頼してみて下さい。いい仕事しますよ。

それでは次回から本格的に『植物園の耳』のナゾに迫っていきましょう。

シリーズ『植物園の耳』
 ◇『植物園の耳』① 探ると消される?!『植物園の耳』のナゾ
 ◇『植物園の耳』② 魔境『植物園の耳』の現在の姿 -建物・道路の構成-
 ◇『植物園の耳』③ 古地図から見る明治・大正の植物園の変遷
 ◇『植物園の耳』④ 『植物園の耳』はどのように民有地となって現在に至るのか?
 ◇『植物園の耳』⑤ 植物園の耳の一大所有者にして名士『林文次郎』氏の人生
 ◇『植物園の耳』⑥ 歴史的経緯に関しての時系列的まとめ

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