KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②


シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

前回の記事は平成29年3月に書いたものですから、
続きを書くのに1年以上もかかってしまいました。
この間に様々な環境の変化があり、ブログもこちらに移りましたが、
引き続き北広島の歴史を探ってゆきましょう。

さて、『北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①』では、
明治以前から主要な交通の要衝であって島松(シュママップ)があった、
国道36号線に沿って展開しなかったことは不自然である、と紹介しました。

また、『北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている』では、
現在の北広島市は3つのエリアに分かれてしまっており、
国道36号線「室蘭街道」沿いに大曲エリアが、
国道274号線沿いに西の里エリアが、
いずれも札幌寄りに形成されており、一体的な市街形成がされていないと紹介しました。

北広島の中心街であるところの中央エリア、つまりは北広島市役所の所在地は、
道道46号「江別恵庭線」道道1080号「栗山北広島線」の交差点にあり、
これらはそれなりに交通量の多い道路ですが、他のエリアについて、
これらの道路に沿って市街形成がされていない、というのは、
前回紹介した通り、別の自治体が合併されたという場合を除いては、
まず考えられない、特異な市街形成であると言えるでしょう。

ちなみに北広島市は明治以来これまで一度も合併を経験していません。
札幌市、江別市、小樽市、石狩市、千歳市、いずれも合併を経験しているのと対照的ですね。

市街地の分裂は札幌近郊においては北広島市特有の問題であって、
人口減少時代において、教育や就業も含めたインフラの整備という意味で、
非常に重大な問題である、と言えるでしょう。

そのような問題が生じる事になった歴史的経緯を見てゆきましょう。
明治17年に入植した和田郁次郎氏らの『廣島開墾地』は、
何故、札幌越新道(現在の国道36号線)沿いに入植をしなかったのでしょうか。
これには2つの理由があります。

入植前、札幌越新道が開通した頃の状況を図に示しました。

札幌もそうですが、明治6年当時、北広島は未開の原野でした。

『植物園の耳』でも紹介したように明治6年当時というのは、
札幌の中心部であっても都市機能も揃わない状況でしたから、
郊外に至っては、かろうじて木を切り倒した道が付いただけ、という状態です。
道路状況は悪く、馬が通るのもやっとで馬車などはもっての外。
札幌越新道も、太平洋側に出る最初の道とは言っても、同じことです。

明治初期、札幌の都市機能が出揃わないうちから、
開拓使主導で入植が始まりますが、北広島で入植が始まるのは、
前述の通り明治17年の事で、和田氏が北海道を巡った末に出した結論です。

入植の前年、明治16年に和田郁次郎氏は4人の人夫を連れ、
『大曲道路』(現:道道1080号線)を開削し、これが廣島開墾地への道となります。

地図中の大曲道路の東端現在の北広島市役所の場所であり和田氏の邸宅です。
幾ら木を切り開いただけと言っても、この距離を1年で切り開くというのは大変な事です。
今回の謎『北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?』
一つめの理由は札幌越新道の周りは官林に囲まれていたから、です。

地図に記載されている野幌官林輪厚官林島松官林月寒原野は、
いずれも国有地であり、当時は開拓の対象ではなかったのです。

官林は国で利用する材木を確保する目的もありましたが、
田畑の水源の為の森林:水源涵養林としての役割もありました。

開墾地というのは開拓使の認可を得て貸下げや払下げを受けるものですから、
民間人が自分の臨むままに開拓を行える訳ではありません。

そもそも論として、札幌越新道の周辺は開拓しなかったのではなく、
官林ばかりで開拓を許されていなかったのです。

北広島市の中心が偏在の位置にあるのは、
そういった消極的理由だけなのかと言えば、そうではありません。

積極的理由として、稲作をする目的があった、という事もあります。
当初の北広島の開拓は大曲道路に沿って行われてゆきますが、
大曲道路は輪厚川に沿って下っており、
現在の北広島市は、この水源を利用する事が念頭に置かれていると言えます。

ここで国土地理院の色別標高図を見てみましょう。
赤いラインは標高20m以下の箇所に私が引きました。

札幌、江別、北広島、恵庭、千歳・・・早くから人が集まった町は、
いずれも同じような高さ・・・標高20~35mのラインにあるのです。

と、言うのにも当然理由があります。
標高が高い部分というのは支笏火山の溶岩で出来た岩盤の上にあり、
崖地も多い為に農業用地としては不適当であり、
標高が低い部分水の流れが遅く停滞し、湿地帯・泥炭地となる為、
そのままでは農業に向かないだけでなく、居住や生活にも不向きです。

そういった意味で、この立地を選んだ和田郁次郎氏には、
良い土地を見極めるセンスがあった、と言っていいでしょう。

札幌から比較的近い立地にある事で、交通や物の運搬にも便利で、
農業が上手く行かないうちは林業や炭焼き、大工仕事などの出稼ぎで乗り切ったとも言います。

このようにして北広島の中心は現在の位置に定められた訳ですが、
その後、現在のように3つに分裂した市街形成がなされていったのには、
どのような理由があるのでしょうか、
そして北広島開墾のリーダー、和田郁次郎氏はその分裂を望んでいたのでしょうか。

シリーズ次回『北広島は何故3つに分裂したのか?』で紹介しましょう。


【参考文献】
 ・広島町郷土史研究会『研究郷土史北ひろしま』昭和61年6月12日発行
 ・北ひろしま郷土史研究会『研究郷土史北ひろしま~広島村を創立した和田郁次郎の生涯~』平成8年7月12日発行

KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①


当記事は2017年03月28日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

さて『北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている』では、
北広島市には市街の中心軸となる一本の幹線道路がなく、
街の外側を走る3本の道路それぞれで市街が形成されており、
それは非常に特殊かつ非合理的な構成であると紹介しました。

言ってしまえば、今流行りの『コンパクトシティ』とは逆の、
二正面作戦ならぬ『三正面作戦』をしなければならないのが、
人口減少時代における北広島市の課題である
と言えるでしょう。

そもそも論として、何故このような形になったのでしょうか?

北広島市の偉人に『和田郁次郎』氏という方がいます。
和田氏は明治17年に現在の北広島市への入植を取り仕切った人で、
広島県の出身者で一つの村を作ろうという目標を持っていました。
この、和田郁次郎氏についてはのちのち触れて行きますが、
現在の北広島市の前身にあたる広島町、そして広島村、
さらにその以前の月寒村の『輪厚移民』にさかのぼっても、
その原点は明治17年にある、という事が今回重要となるポイントです。

明治17年と言えば、北海道にとってどんな時代だったでしょうか?

シリーズ『澄川』でも度々紹介してきましたが、
明治15年、それまで北海道開拓の中枢を担った開拓使は廃止され、
『三県一局時代』と呼ばれる分権的な時代に入ってゆきました。

澄川でも官林は民間に払い下げられ、北海道において『官』の存在感は薄らいでゆきます。

そうした時代に入植した和田郁次郎氏ら『輪厚移民』は、
堅い結束による『民』の力で村を大きく、豊かに育ててゆきました。

前回、私は『市街地は幹線道路から格子状に拡大する』という原則を示し、
北海道で有数の古い道路として札幌越新道≒室蘭街道≒札幌本道・・・
すなわち、現在の国道36号線を紹介しました。

さて、国道36号線と言えば現在も札幌・千歳・室蘭を結ぶ北海道の大動脈
古来から、本州との船便に太平洋ルートを使用する際には本州への道でもありました。
また、白老を経由し函館に至る、オホーツク海側より雪の少ない陸路でもありました。

江戸末期から切り開かれた『札幌越新道』は、
明治2年に開拓使が置かれ札幌に本府によっても積極的に利用され、
明治6年にはほぼ同様のルートが『札幌本道』『室蘭街道』として再整備されています。

当時、北海道の街道沿いには『駅逓』(えきてい)と呼ばれる官営施設が設置されていました。
これは休憩所であると同時に馬の貸し出し、物資運搬や通信の為の施設です。
江戸時代の本州で言うところの宿場に近いかもしれませんね。

明治6年、室蘭街道の開通に伴い、現在の北広島市島松に『島松駅逓所』が設置されます。
『少年よ大志を抱け』で有名なクラーク博士は、明治10年にここでその言葉を発したと言われています。

その事にちなんで、北広島市はクラーク博士を前面に押し出して広報活動を行なっています。
カントリーサインや市のロゴマークなどに積極的にクラーク博士を起用しています。


正直、明治10年当時、そこは札幌郡月寒村だった訳ですし、
クラーク博士自身は帰任の通過点でそれを言った他に北広島市に縁もないようですから、
羊ケ丘公園や北海道大学などの観光地としてのブランドに背乗りしているように感じますが、
そもそもクラーク博士自体が札幌農学校の初代教頭であるものの、
在任期間はわずか8ヶ月で、教え子は一期生のみというのですから、
まー、イメージ戦略とはそういうもの、と割り切るしかないのかもしれません。

明治期の北広島にはもう一人の偉人『中山久蔵』氏も関わっています。
中山久蔵氏は明治以前から北海道に移り住んでいた方で、
明治4年から島松付近を開墾し始め、試行錯誤をしながら稲作を成功させました。
その後、稲作の手法や『赤毛種』の種籾を広め、高く評価されました。
そして、明治17年には中山氏宅が正式に島松駅逓所となりました。

中山久蔵氏の功績によりこの近辺は『寒地稲作発祥の地』とされ、
島松駅逓所には寒地稲作発祥の地の碑が設置されています。

北広島市もこれもPRに利用しており、北広島商工会はゆるキャラ『まいピー』を設定しました。
これは赤毛種のキャラクターで『久蔵おじいさんに育てられました』という設定です。

しかし、こちらもクラーク博士のように自治体ごとの元祖争いのようなものがあり、
恵庭市も『寒地稲作発祥の地』を主張していたりします。
http://www.eniwa-cci.or.jp/shokka/introducing/komezukuri.html

この周辺は島松川を境に札幌郡月寒村と千歳郡島松村の境界だった為、
中山久蔵氏の実験水田はその両方に広がっていたのです。
(島松川は現在の北広島市と恵庭市との境界でもあります。)


このように島松は明治以前から『シュママップ』と呼ばれる交通の要衝であり、
札幌から太平洋側へ抜ける為に旧来使われていたのは室蘭街道≒国道36号線だった訳です。

明治17年に入植した和田郁次郎氏ら輪厚移民、のちの広島村の人々は、
何故、室蘭街道沿いではなく、道道46号線≒広島本通を中心地としたのでしょうか?

その事が、現在の『二正面作戦』的な北広島市の市街形成の原点となっているのです。

元々あった幹線道路の近くから外れて集落を設けた理由は何なのでしょうか?

この謎を紐解いてゆく回答編は次回以降。

KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている


当記事は2017年03月21日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿


幹線道路
というものは、しばしば市街形成における『骨格』『血管』に例えられます。

整備された流量の多い道路がある事でヒトやモノが『血液』のように流れ、それが『肉』である住宅地や商工業地を支える強靭な『骨格』としての役割を果たします。

中心的な道路から毛細血管のように道路網が発展し、都市として機能してゆきます。

札幌を例に取れば、古くは江戸時代からある道路や開拓使によって拓かれた道路・・・
東西には札幌本道(≒現:国道5号線・旧5号線)、南北には本願寺道路(≒現:石山通)、そして斜めに室蘭街道≒札幌越新道(≒現:国道36号線)を中心に市街が形成されました。

創成川通りは当初”運河縁”と呼ばれ、陸路としては古くから整備されていた訳ではありません。
運河も物流と言う意味では道路と同様の役割を果たしますが、
周辺の開発という意味では気軽に寄り道が出来る陸路よりは影響力は小さいようです。

他にもそれぞれの村ごとに、中心となる道路を中心に切り開かれていく訳です。

札幌市近隣の自治体の都市計画図を見てゆきましょう。

まずは小樽市札幌本道(≒現:国道5号線)を中心に、岩壁を避けて市街が形成されています。

明治以前からある漁村を合併して大きくなってきた都合、市街化区域が分散しているという特徴があります。
特に小樽市西部、旧高島町地区や旧塩谷村地区に関しては、扱いに苦慮しているようです。

次に江別市の都市計画図を見てみましょう。

江別市は江別一番通(≒現:国道12号線)JR函館本線を中心に、
札幌市以上に計画的な格子状の市街形成がなされていますが、
これは江別市が屯田兵によって切り開かれた、『官』の色合いが非常に強い町である事に由来します。


次に石狩市の都市計画図を見てみましょう。

石狩市は軽石馬車軌道(≒現:道道44号線)を中心として形成され、
江別市よりも細かい格子状の区割りがされた計画都市ですが、
これは江別市とは別の由来で、戦前は殆どが畑であり、
戦後しばらくしてから宅地開発が始まった、という背景があります。
札幌のベッドダウンとして開発された為、市内中心部まで住宅地が広がっており、
中心部に広めの区画の商業地が少ないことが現代においてはネックになっています。

札幌市の都市計画図も見てみましょう。

札幌市に関しても小樽市と同様に
明治・昭和期に多くの村が合併した名残はありますが、 戦後の農地改革による宅地化札幌オリンピックによる人口増で、一つの町としての体裁を保っており、飛び地は定山渓や北丘珠の一部に留まっています。

どの自治体に関しても、市内で最も大きな幹線道路に中心街が存在し、
市役所や商店街も幹線道路のほど近くにある、というのが共通の特徴です。

一般的に、市街形成においては最も大きな幹線道路が街の『背骨』になり、
そこから格子状・放射状に市街が広がってゆく
、というのが一般的な形です。

また、その市街が都市計画法によって『市街化区域』に指定され、
郊外の土地が『市街化調整区域』として原野や山林のまま残る、というのが通常です。

しかし、北広島市に関しては事情が大きく異なるのです。
北広島市の都市計画図を見てみましょう。

・・・非常にイビツですね。

北広島市には大きく3つの市街化区域エリアがあります。
(北広島市都市計画マスタープランでは5つの区分ですが、ここでは私の定義でお話します。)

まずは画像右側、北広島市役所JR北広島駅がある『中央エリア』
都市計画マスタープランでは『東部地区』『北広島団地』の2地区にあたります。
これがこれまでに述べたいわゆる『通常の市街形成』によるエリアで、
江別から恵庭へ南北に走る広島本通(≒現:道道46号線)沿いに形成された市街地です。
JRの駅もそばにありますから、比較的、江別市に近い構成と言えるかもしれません。

次に画像の左下にあたる『大曲・輪厚エリア』
都市計画マスタープランでは『大曲地区』『西部地区』の2地区にあたります。戦後国道36号線沿線に開発されたエリアで、札幌市清田区の延長上にあります。
札幌と北広島の境界は厚別川ですが、川を挟んだだけでほぼ一繋ぎの町という印象です。

大曲の住宅地を抜けると大曲工業団地、輪厚のゴルフ場などを抜けて恵庭・千歳へ至ります。
国道36号線の他にもそのバイパスにあたる羊ケ丘通や、
千歳まで至る高速道路である道央自動車道に沿って市街が形成されています。

最後、一番小さなエリアですが画像の左上『西の里エリア』
都市計画マスタープランでは『西の里地区』にあたります。
こちらも戦後、国道274号線沿線に開発されたエリアですが、その大半が住宅地です。
現在は札幌市厚別区と隣接していますが元々は厚別区との距離がありました。
平成初期に『虹ヶ丘』として西端が開発され、札幌市との距離が縮まりましたが、
丘陵地にある為に距離が離れており、大曲・輪厚地区ほどの一体感はありません。

各種施設も地元住民の利便の為の物が中心で、これといった特色はありません。
札幌市のベッドタウンとしての側面が強いと言えるでしょう。

このように、一つの自治体の中に3つも市街化区域があり、
それぞれにそれなりに距離が離れており、またそれなりの規模である
というのは、
(少なくとも札幌圏においては)非常に特殊な市街形成の形態であると言えます。

小樽市も飛び地的に市街化区域が分散していますが、
これは元々複数の自治体が合併した事によりますし、
何より、どの市街化区域も国道5号線(旧:札幌本道)を中心に形成されています。

一方の北広島市は明治27年に札幌郡月寒(つきさっぷ)村から分村して以来、
他の自治体を合併したという事はありませんし、
3つのエリアはそれぞれ別の道路の沿線に市街が形成されている点で、小樽と異なります。
(3つの道路・・・道道46号線・国道36号線・国道274号線)

そういった意味で、北広島市は『背骨のない町』であると言えます。

道路は人や車の通り道である他、上下水道やガスなどの配管の埋設があり、
電柱が敷設されているなど、様々な生活インフラの経路になっています
から、
これは江別市や石狩市のように、一つの道を中心に据えて開発をした方が、
都市開発のコストを考えれば間違いなく合理的であると言えるでしょう。

街のメインストリートたる道道46号線『広島本通』に面さない、
『大曲・輪厚エリア』や『西の里エリア』が戦後開発されていったのは何故なのか?

通常の市街化形成のセオリーでは有り得ない3つの幹線道路と3つのエリアで、
北広島市は将来どうすれば人口減の時代を乗り切ってゆけるのでしょうか?

幹線道路を町の外側に複数持つ『背骨のない町』は、
『外骨格都市』として成り立ってゆく事が出来るのでしょうか?

シリーズ次回に続きます。

KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】


シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

さて、新規記事でございます。
前回紹介した通り、平成29年5月、北広島市役所の新庁舎が竣工し、
第1~第3まである旧庁舎については、今後解体する運びとなりました。

新庁舎については昨年の段階で既に取材をしているのですが、
諸事情によって今回の機会を待つまで掲載が遅れてしまいました。
一部写真に古いものが混じっていますが、ご容赦ください。
さて、紆余曲折あって設置されたこの新庁舎、
不動産に携わる者にとっても、調査活動のしやすい良い庁舎であると言えます。

今まで北広島中央にあった第1~第3庁舎の機能が集約された他、
それまでは北広島市土木現業所まで行かなければ取得できなかった、
道路台帳図が新庁舎で取得する事が出来るようになったのです。

これによって殆どの調査が新庁舎だけで完結するようになりました。
初めて行く方にも分かりやすい案内図が庁舎の入口にあります。

<3階>

<4階>

不動産調査に関わる部署は3、4階に集中しています。

3階の都市計画課で調べる用途地域はインターネットからも見る事が出来ますし、固定資産税の評価証明書などもインターネットから申請書をダウンロードして作成して持参するという手順です。

 北広島市「市税に関する証明書」
 http://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/hotnews/detail/00011402.html

肝心の道路調査は、4階の窓口に出向く必要があります。

ずいぶんとオシャレな庁舎になったものです。

4階14番窓口「都市整備課」で職員の方に声をかけましょう。
所在地を聞かれるので住所を答えるか、地図を見せましょう。

すると「北広島市地籍集成図」を提示してくれますので、
道路台帳を取得したい場所を確認します。

職員の方がデスクで作業をし、道路台帳図を出力してくれます。

土木事務所と違い、微妙にカラーで出力されるようになりました。
手数料は変わらず140円と少し高めですが、
600円取られる江別市よりはずっとマシです。

台帳図と一緒に渡された納付書を2階の北洋銀行で支払います。

<上下水道>
同じく4階の12番窓口「水道施設課」でタッチパネルを操作します。

写真右手側のディスプレイがタッチパネル端末です。
住所と地番を入力すると、周辺地図に配管状況が入った画面が表示されます。
水道台帳図と下水道台帳図がそれぞれ別の用紙で出力され、
納付書を渡されるので同じように2階の北洋銀行で払込みましょう。

国道・道道の場合の調査方法は前回と同一ですが、一応紹介します。

<国道>
その道路が『国道』の場合は『札幌建設開発部』が窓口です。
窓口の場所と調べ方は『A-7 国道の詳細を知りたいとき』で紹介しています。

<道道>
その道路が『道道』の場合は『札幌建設管理部』が窓口です。
窓口の場所と調べ方は『札幌市外の『道道(どうどう)』について知りたいとき』で紹介しています。

このように、新庁舎への建て替えによって窓口が集約され、
北広島での調査は非常にやりやすくなったと言ってよいでしょう。

不動産を流通させるに当たっては、まず役所が調査しやすい環境を提供することが第一である、と常々提言していますが、北広島市についてもある程度の水準には達したと言っていいでしょう。

今後、北広島が再び隆盛を取り戻せるよう、
市には今後も是非頑張ってもらいたいと思います。

もーちょっと道路台帳図を見易く・綺麗にしてほしいなー、なんて。

KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】


当記事は2014年06月26日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

この記事は上記の通り4年近く前に書いた記事です。
この頃、北広島市役所の旧庁舎は解体・新庁舎の建設予定があり、
旧庁舎時代の記録を残しておく必要から書いたものです。
それでは早速、一部改稿した過去の記事を見てゆきましょう。

今回、紹介する自治体は『北広島市』です。
平成8年までは『札幌郡広島町』でしたが、人口の増加に伴い市制へ移行しました。
名称は現在の広島県広島市からの開拓入植者が多かった事に由来します。
実は札幌市内にも、広島県をルーツに持つ方は多いようです。

当初は札幌市のベッドダウンとして発展し、新千歳空港へは札幌よりもずっと近い事から、
工業団地が主軸となってきており、現在も『輪厚工業団地』が分譲中です。
一方で住宅地はというと…札幌や本州への若年層の流出があり、高齢化が進んでいます。
まぁ、これは全国的な潮流であって北広島に限ったことではないのですが・・・

それでは、具体的な調査窓口を紹介してゆきましょう。

<市道>
その道が北広島市の『市道』の場合の窓口はこちらです。
北広島市土木事務所 北海道北広島市共栄196-1


道路台帳のコピー代金は一枚につき140円
図面の精度ですが、正直に言ってしまうとかなりラフで見づらい印象を受けます。

ちなみにこの窓口は最近まで各インターネット地図に登録されておらず、
Googleマップのナビゲーションで現地に行こうとすると難儀していましたが、
ようやく各種インターネット正しく地図にも反映されるようになりました。
噂の日本ハムファイターズのボールパーク予定地からも近いですね。

北広島のHPには市道の台帳交付などの調査窓口について、書いていません。
調査窓口が分からない、というのは公益上よろしくない事だと思うのですが、
各自治体では、まだそういった面での整備が不十分な場合が多いのです。
→平成29年3月に改善されました。

<国道>
その道路が『国道』の場合は『札幌建設開発部』が窓口です。
窓口の場所と調べ方は『A-7 国道の詳細を知りたいとき』で紹介しています。

<道道>
その道路が『道道』の場合は『札幌建設管理部』が窓口です。
窓口の場所と調べ方は『札幌市外の『道道(どうどう)』について知りたいとき』で紹介しています。

<位置指定道路>
位置指定道路や上下水道の窓口は、市役所本庁舎(北広島市中央4丁目2番地1)です。
庁舎は3つに分かれており、位置指定道路第二庁舎の建築指導課
上水道第三庁舎の水道施設課下水道は同じく第三庁舎の下水道課です。
(上下水道の台帳については水道施設課の窓口にあるタッチパネル端末で取得可能)

・・・と、ここまで書いてきましたが、この文章も、将来的には改定が必要になります。
実は北広島市の庁舎はかなり老朽化が進んでおり
20年以上前から建て替え計画を検討していましたが、
諸事情によってまったく話が進んでいませんでした。

しかし、平成26年1月16日、ようやく具体的なプロジェクトとして建替計画が決定され、
具体的なイメージ図やタイムスケジュールも公表されています。
平成27年7月から着工し、平成29年7月に工事完了の予定ですから、
3年後には、不動産調査の窓口についてもかなり様変わりする可能性があります。
そうなると当時の状況がわかる資料が殆ど残りませんから、
このようなブログも一つの重要な資料になるのでは…などと考えています。

北広島市役所の庁舎建替計画については、追々紹介するかもしれません。

・・・と、言っておいて、結局建て替えが済んでから1年を経るまで、
建て替え計画について紹介する機会はなかったんですがね!!

次回は新庁舎になってからの調査方法について紹介してゆく予定です。

KH-0 この道なぁに?『北広島』がはじまります


平成30年3月26日、プロ野球日本ハムファイターズの移転候補地が、
北広島市の『きたひろしま総合運動公園』に内定しました。
候補地として、真駒内アイスアリーナや北海道大学敷地が取り沙汰されたり、
それ以前は月寒グリーンドームや八紘学園の敷地も俎上に挙がりましたが、
結局の処、札幌市から実現性のあるプランが示されなかったという事でしょう。

まー、『勝ち馬に乗る』『長い物に巻かれる』札幌の人の市民性というのは、
好成績のうちは良いものの、負けが込むと途端に応援しなくなってしまうので、
率直に言って、大阪や広島のような球団との関係性は作れないでしょう。

北海道の人は大らかだというイメージがあるかもしれませんが、
環境が厳しく所得も低い分、シビアで利己的な方が多いのです。
東北もそれは同じで、西の方とは傾向が大きく異なるように思います。
(そうでもしないと生きていけないのだから仕方ないでしょう。)

まー、私も札幌出身ですし一概に北の人間を否定しているのではなく、
西の人は西の人で別の面倒さ、厄介さがあるのでお互い様ですね。

さて、以前から私の営業エリアは札幌市とその近隣と紹介してきましたが、
具体的には札幌の南東側・・・北広島市、江別市の取引が多く、
北西側・・・小樽市や石狩市の取引はそう多くありません。

特に北広島市に関しては札幌市に次いで取引が多く、
またマニアックな取り扱いについてもある程度通じていますから、
ファイターズ移転決定で注目度もあるこの機会に、
過去の記事も含めて北広島市における不動産調査や北広島の歴史、
都市計画などについて、気まぐれに紹介してゆこうと思います。

まずは不動産調査について、まとめる事にしましょう。

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
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札幌市外の『道道(どうどう)』について知りたいとき


当記事は2014年06月19日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

今日は北海道が管轄する道、『道道』の調べ方を紹介しましょう。

北海道ではテレビやラジオで『どうどう』という音を聞くことは日常的ですが、
『道道』と文字として書くと、かなり違和感があるように感じるのは私だけでしょうか?
PC上で変換をする際も誤変換が目立つので『みちみち』と打っています。

本題に入りましょう。
札幌市内の『道道』については、札幌市が管理を行っています。
これは、政令指定都市に与えられた行政権限の委譲によるもので、
これによって市内の『道道』については、札幌市役所で調べることが出来ます。
調べ方については、『A-6 市道・道道の詳細を知りたいとき』で紹介しています。

札幌市外にある道道については、各自治体に行っても教えてもらえません。
例えば、石狩市を走っている道道のことを石狩市役所に問い合わせても無駄という事です。

道道を調べる窓口は北海道の『札幌建設管理部』という部署です。
ちなみに『札幌建設管理部』は道央圏≒空知総合振興局管轄の場合です。
ほかの地域では『旭川建設管理部』『小樽建設管理部』などになります。

国道を管轄する国の窓口『札幌開発建設部』なので、メチャクチャ紛らわしいですね(; ・`д・´)

“札幌”建設管理部ですが、千歳市や石狩市…空知地域全体を管轄しています。
この役所は札幌に本所があり、各地区に『出張所』があります。

札幌にある本所では、空知振興局のすべての道道を調べる事が出来ますが、
各出張所では、出張所それぞれの管轄地域の道道についてしか、調べられません
・・・と、いう事は札幌市の本所で調べるのが一番確実という事です。
私も通常は本所にしか行きませんが、市外遠方の方もいらっしゃるでしょうから、
各出張所についても紹介してゆこうと思います。

各窓口へ出向き、『道道の台帳の写し頂きたい』と伝え、受付簿に署名すると、
職員が道路台帳のコピーを無料で取ってきてくれます。
希望があればA全版(A4サイズの8倍)やB全版で図面をコピーしてもらえますが、
通常はB4~A2サイズの部分コピーまたは縮小コピーです。

札幌市をはじめとして、各自治体では台帳のコピーは有料ですが、北海道は無料なのです。
(各出張所に電話で問い合わせて調査した結果です。今後変更となる可能性があります。)

さて、各窓口の場所と管轄について紹介していきましょう。

札幌建設管理部 札幌市中央区南11条西16丁目2番1号(011-561-0201)
 管轄:空知総合振興局管轄区域の全域

千歳出張所 千歳市桂木6丁目1番28号(0123-23-4191)
 管轄:北広島市・千歳市・恵庭市




滝川出張所
 滝川市流通団地3丁目1番5号(0125-22-3434)
 管轄:滝川市・芦別市・砂川市・赤平市・歌志内市・上砂川町・浦臼町・新十津川町
    奈井江町・雨竜町石狩川流域下水道・北海道子どもの国・徳富ダム

深川出張所 深川市錦町北4番11号(0164-22-1411)
 管轄:深川市・妹背牛町・秩父別町・北竜町・沼田町

当別出張所 石狩郡当別町栄町192番7号(0133-23-2220)
 管轄:江別市(一部除く)・石狩市(一部除く)・当別町・新篠津村
     真駒内公園・野幌総合運動公園

 ※ 江別市・石狩市の一部については西野にある『事業課』が管轄しているので、
    道路台帳は本所で取得して下さい。




長沼出張所
 夕張郡長沼町市街地(01238-8-2346)
 管轄:夕張市・長沼町・南幌町・由仁町・栗山町・栗山ダム

岩見沢出張所 岩見沢市上幌向南1条2丁目(0126-26-3011)
 管轄:岩見沢市・美唄市・三笠市・月形町・美唄ダム

・・・と、まぁ私も行ったことのない窓口が多数あります。

ところでここまでのリストに、札幌に隣接する『小樽市』が入っていませんね。
これは単純な話で小樽は後志総合振興局の管轄だから、という話です。
いずれは小樽についても取り上げてゆきますが、1日の代休では窓口は回り切れませんでした。

引き続き、札幌市以外での道路の窓口について紹介してゆきます。