2018年4月末にリニューアルした『夕張市石炭博物館』に行ってみた


前回のあらすじ=
片道2時間掛けて夕張に出向いたら、駐車場には人っ子一人いませんでした。
看板には『石炭の歴史村駐車場』という記載があります。
いくら郊外の地味な郷土資料館でも、ここまで人の気配がないのは異常です。
年甲斐もなく軽いパニックを起こしてしまいました。
周囲を見回し、歩き回ってみます。
廃業した店舗の裏に、数台の車と2台の観光バスが停まっています。
写真で見たことのある入口部分にキャラクターの『ゆうちゃん』がいます。
なるほど、ここから歩いて入っていくのか・・・随分歩きそうだな・・・
と、『博物館駐車場はこの奥です』というこじんまりとした看板が。
一回エンジン止めて歩き回らないと見つからないって導線悪すぎでしょ(; ・`д・´)

気を取り直して一車線しかない通路を進んでゆくと、奥に駐車場がありました。
駐車場にはそれなりに車が停まっており、誘導員の方も何人か。
その誘導員のうち一人だけでも表に出て案内してくれれば助かるんだけど・・・
(いや、看板がもう少し分かりやすいだけで良いんですけどね。)

さて、夕張の名物立坑櫓』が近づいて来ます。結構距離がありますね。
さて、しばらく歩くと『石炭博物館』に到着です。
雨の中、傘をさしながら急ぎで撮影した為、写真全般がピンボケですみません。
館内に入ると、巨大なエアーコンプレッサーやら石炭オブジェやら、
リニューアルオープンを祝う関係者からの花輪が飾られていました。

入館料は夕張市民以外は大人1080円、結構高額ですが、
これでも以前よりは安くなっているようです。夕張市民は当面無料とのこと。

無料で入場出来る1階は特別展『バリバリゆうばり』。名キャッチコピーです。
炭鉱の頃から財政破綻に至るまでの夕張の歴史を簡単に紹介するパネルと、
石炭の歴史村の歴代のポスターが展示されており、
プロジェクターでは過去の映像が上映されています。
・・・感想という感想はありません、まーこんなものか、という。
問題点に関する改善案や提言については別途記事をまとめる予定です。

さて、有料区画である2階に移りましょう。
リニューアルに関する各種報道写真などで使われている部屋です。
新しい夕張のキャッチコピーRE START!Challenge More!』が前面に押し出されています。
壁面の各パネルでは夕張市の概要について紹介されています。

この部屋を抜けると、黒いスクリーンに昭和の映像が流れているエリア。
ここには昔、石炭の元となったメタセコイヤの樹などが飾られていたそうですが、現在は昭和の映像の他、ガイドの自己紹介などが上映される、とのこと。
暗いだけなので写真は撮影していません。

続いて、常設展示のメインのスペース。夕張の歴史が紹介されています。
リニューアル前に大量にあった展示物をスリム化し、今風の見た目にしたとの事。
まぁ今風でオシャレ、というのは確かにそうだと言えます。
ネットで郷土史マニアや鉄道マニアの方の感想を見る限りでは評判は良くありませんが、まー、マニアの意見だけ聞いていても良くなるものではありません。

ただ、ちょっとパネルの文章が拙いのと読みづらいとは感じました。
白い壁面に夕張市の人口と石炭の採掘量を示す折れ線グラフが書かれています。
ただ、かなり長い区間に渡って書かれているので、上下動がピンと来ません。

2階の常設展示を見終えると、『立坑櫓』の下のエレベータに到着。
ここから1000mの地下に下りて炭鉱を探検するというストーリーです。

エレベータ内ではそのストーリーを説明するアナウンスが流れ、
真っ暗になり、炭鉱を降りていく映像がエレベータ内に映し出されます。
動画を撮っているので、是非公開したいところですが、
このサーバのアップロード制限によって叶いませんでした。
これは現地に行ってのお楽しみ、という事で。

地下には、明治から昭和までの時代ごとの炭鉱の風景が、
セットと蝋人形、小道具によって再現されています。
バブル前夜に多額の費用を掛けて制作したであろう展示は、
見応えがあり、(古びてはいても)今見ても高いクオリティであると言えます。
ボタンを押すことで炭鉱の人々の会話や、作業音などの音声が流れる展示です。
更に奥には、昭和の作業機械で石炭を掘削し、運搬する風景。
掘削・運搬する作業機械は定期的に轟音を立てて作動します。

結構短い頻度で作動するは、連休だからなのか、いつもなのか分かりませんが、
常にこんな頻度で作動しているとすれば、電気代はとんでもなくかかりますね。

面白いですし、見応えはあります。

そしてその最奥は、今回3年ぶりに公開するという『模擬坑道』です。
国の有形指定文化財で、過去に坑道として利用されていたものを、
『北海道炭礦汽船』が鉱員の研修や見学用として改築したものだそうです。

階段を下りてゆくと古びたレンガの壁が現れます。
古い建築物が好きな人にはたまりませんね。


その下は、割とこぎれいな木材(レプリカ?)で補強された公道になります。
ここが最も改修された部分のようで、工事関係者によると結露が酷く、
古い写真を見ると木部も真っ黒になっていて、かなり印象が異なります。

『鉄柱カッペ』と呼ばれる支柱に支えられた坑内を下る階段は、私が一番心惹かれた光景です。
巨大な採掘機械が石炭を掘削・運搬する情景を再現しています。

この他にも作業用機械などが展示してありますが、石炭を運び出すトロッコと並走する長距離の階段を上がり、展示は終了。

出口の脇には昭和13年に大事故が起こった『天竜抗』の入り口があります。

・・・という事で、この度リニューアルされた『夕張炭鉱博物館』について、
一通り見て回ったレポートをまとめてみました。

今回の記事中でも多少触れていますが、まだまだ課題が多い博物館であるというのが正直な感想であります。
今年から指定管理者となった『NPO炭鉱の記憶推進事業団』も、夕張市長の鈴木直道氏も、『これからの博物館』『不完全な博物館』というような事を言っていますし、予算が潤沢ではないであろう中で、あまり高望みをすることも出来ない事は理解出来ます。

しかし、これにロジカルに苦言を呈する人がいなければ、ずっと今のまま改善されず、それこそ税金の無駄遣いでしょう。
で、あれば、このような場末のブログではありますが、私の考える処の改善案というものを、後日まとめてみたいと思います。

それを見た方も同じ意見を持って頂ければ、いつか運営側も気付くでしょう。

次回、とも、いつ、とも確約は出来ませんが、現在、文章をまとめている処です。

シリーズ『夕張市炭鉱博物館』

 ◇シリーズ『夕張市炭鉱博物館』【前段】
 ◇2018年4月末にリニューアルした『夕張市石炭博物館』に行ってみた
 ◇『夕張市石炭博物館』の問題点と改善に関する提言
 ◇『夕張市石炭博物館』リニューアル1年に満たない火災でこの後『夕張石炭の歴史村』はどうなるの?『ふるさと納税』での応援はどうなの?

シリーズ『夕張市炭鉱博物館』【前段】


【今回は夕張へ行くに至るまでの前段で、具体的な紹介記事はありません。】

さて皆様、今年のゴールデンウィークはどのようにお過ごしでしたか。
私は残務処理に追われ、殆ど仕事で連休という実感はなかったのですが、
僅かな自由時間を自宅で過ごすと、あっと言う間に終わってしまいますから、
何とか遊んでやろうと足掻きに足掻いてみました。

連休最終日である5月6日(日)の午前中にマンションの案内を済ませ、
正午を過ぎた頃に私は急ぎ夕張に向かいました。
『石炭の歴史村』内にある『石炭博物館』に行く為です。
事前に連休中に行きたい先をいくつか見繕っていたのですが、
業務との兼ね合いからあまり遠くに行く訳にも行かず、
また、有名人の夕張市長:鈴木直道氏が来年任期満了という事で、
一度行っておきたい、と考えていた為です。

北海道の各自治体の開発においては、石炭との関連が非常に大きい、
と感じていた事も、私を石炭博物館へ足を運ばせた要因の一つです。

しかし、夕張までは片道約2時間、出発は既に正午を過ぎています。
しかも天気はあいにくの雨、というか結構強い雨が降っていました。
昼食なども考えると、到着は午後3時近く。
夕張まで行くのなら市内各所を見て回りたいという気持ちもありましたが、
既に薄暗く、また屋外での作業に困難がありましたので、
石炭博物館に行ってトンボ帰りになることを覚悟しなければなりませんでした。

ちょうどその日の朝『炭鉱博物館』が4月28日にリニューアルされた
と知り、どうしても今回の機会に行っておきたい、という想いが高まりました。


何せ、3シーズンぶりの全施設公開、数十年ぶりの全面リニューアルです。
今回の機会にぜひ見ておきたい。
そう思って、正午を過ぎ、雨が降る中、私は夕張へと車を走らせました。

時間がない癖に途中で栗山町郷土記念館にも立ち寄ってしまいましたが・・・

何やかんやで午後3時過ぎ、夕張市石炭博物館に到着しました。
入り口には幟が何本も立っており、新しく作ったであろう看板も『OPEN』と表示されています。

スロープ状の道路を下って車を進めてゆきます。
悪天候のせいか、人影も車も見当たらない。
連休最終日ですしこんなものなのか、となお車を進めると・・・
Σ(゚Д゚;駐車場に車が一台もないッ?!

・・・比喩でも何でもなく、呆然と立ち尽くす私。

次回へ続きます。

シリーズ『夕張市炭鉱博物館』

 ◇シリーズ『夕張市炭鉱博物館』【前段】
 ◇2018年4月末にリニューアルした『夕張市石炭博物館』に行ってみた
 ◇『夕張市石炭博物館』の問題点と改善に関する提言
 ◇『夕張市石炭博物館』リニューアル1年に満たない火災でこの後『夕張石炭の歴史村』はどうなるの?『ふるさと納税』での応援はどうなの?

KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②


シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

前回の記事は平成29年3月に書いたものですから、
続きを書くのに1年以上もかかってしまいました。
この間に様々な環境の変化があり、ブログもこちらに移りましたが、
引き続き北広島の歴史を探ってゆきましょう。

さて、『北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①』では、
明治以前から主要な交通の要衝であって島松(シュママップ)があった、
国道36号線に沿って展開しなかったことは不自然である、と紹介しました。

また、『北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている』では、
現在の北広島市は3つのエリアに分かれてしまっており、
国道36号線「室蘭街道」沿いに大曲エリアが、
国道274号線沿いに西の里エリアが、
いずれも札幌寄りに形成されており、一体的な市街形成がされていないと紹介しました。

北広島の中心街であるところの中央エリア、つまりは北広島市役所の所在地は、
道道46号「江別恵庭線」道道1080号「栗山北広島線」の交差点にあり、
これらはそれなりに交通量の多い道路ですが、他のエリアについて、
これらの道路に沿って市街形成がされていない、というのは、
前回紹介した通り、別の自治体が合併されたという場合を除いては、
まず考えられない、特異な市街形成であると言えるでしょう。

ちなみに北広島市は明治以来これまで一度も合併を経験していません。
札幌市、江別市、小樽市、石狩市、千歳市、いずれも合併を経験しているのと対照的ですね。

市街地の分裂は札幌近郊においては北広島市特有の問題であって、
人口減少時代において、教育や就業も含めたインフラの整備という意味で、
非常に重大な問題である、と言えるでしょう。

そのような問題が生じる事になった歴史的経緯を見てゆきましょう。
明治17年に入植した和田郁次郎氏らの『廣島開墾地』は、
何故、札幌越新道(現在の国道36号線)沿いに入植をしなかったのでしょうか。
これには2つの理由があります。

入植前、札幌越新道が開通した頃の状況を図に示しました。

札幌もそうですが、明治6年当時、北広島は未開の原野でした。

『植物園の耳』でも紹介したように明治6年当時というのは、
札幌の中心部であっても都市機能も揃わない状況でしたから、
郊外に至っては、かろうじて木を切り倒した道が付いただけ、という状態です。
道路状況は悪く、馬が通るのもやっとで馬車などはもっての外。
札幌越新道も、太平洋側に出る最初の道とは言っても、同じことです。

明治初期、札幌の都市機能が出揃わないうちから、
開拓使主導で入植が始まりますが、北広島で入植が始まるのは、
前述の通り明治17年の事で、和田氏が北海道を巡った末に出した結論です。

入植の前年、明治16年に和田郁次郎氏は4人の人夫を連れ、
『大曲道路』(現:道道1080号線)を開削し、これが廣島開墾地への道となります。

地図中の大曲道路の東端現在の北広島市役所の場所であり和田氏の邸宅です。
幾ら木を切り開いただけと言っても、この距離を1年で切り開くというのは大変な事です。
今回の謎『北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?』
一つめの理由は札幌越新道の周りは官林に囲まれていたから、です。

地図に記載されている野幌官林輪厚官林島松官林月寒原野は、
いずれも国有地であり、当時は開拓の対象ではなかったのです。

官林は国で利用する材木を確保する目的もありましたが、
田畑の水源の為の森林:水源涵養林としての役割もありました。

開墾地というのは開拓使の認可を得て貸下げや払下げを受けるものですから、
民間人が自分の臨むままに開拓を行える訳ではありません。

そもそも論として、札幌越新道の周辺は開拓しなかったのではなく、
官林ばかりで開拓を許されていなかったのです。

北広島市の中心が偏在の位置にあるのは、
そういった消極的理由だけなのかと言えば、そうではありません。

積極的理由として、稲作をする目的があった、という事もあります。
当初の北広島の開拓は大曲道路に沿って行われてゆきますが、
大曲道路は輪厚川に沿って下っており、
現在の北広島市は、この水源を利用する事が念頭に置かれていると言えます。

ここで国土地理院の色別標高図を見てみましょう。
赤いラインは標高20m以下の箇所に私が引きました。

札幌、江別、北広島、恵庭、千歳・・・早くから人が集まった町は、
いずれも同じような高さ・・・標高20~35mのラインにあるのです。

と、言うのにも当然理由があります。
標高が高い部分というのは支笏火山の溶岩で出来た岩盤の上にあり、
崖地も多い為に農業用地としては不適当であり、
標高が低い部分水の流れが遅く停滞し、湿地帯・泥炭地となる為、
そのままでは農業に向かないだけでなく、居住や生活にも不向きです。

そういった意味で、この立地を選んだ和田郁次郎氏には、
良い土地を見極めるセンスがあった、と言っていいでしょう。

札幌から比較的近い立地にある事で、交通や物の運搬にも便利で、
農業が上手く行かないうちは林業や炭焼き、大工仕事などの出稼ぎで乗り切ったとも言います。

このようにして北広島の中心は現在の位置に定められた訳ですが、
その後、現在のように3つに分裂した市街形成がなされていったのには、
どのような理由があるのでしょうか、
そして北広島開墾のリーダー、和田郁次郎氏はその分裂を望んでいたのでしょうか。

シリーズ次回『北広島は何故3つに分裂したのか?』で紹介しましょう。


【参考文献】
 ・広島町郷土史研究会『研究郷土史北ひろしま』昭和61年6月12日発行
 ・北ひろしま郷土史研究会『研究郷土史北ひろしま~広島村を創立した和田郁次郎の生涯~』平成8年7月12日発行

KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①


当記事は2017年03月28日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

さて『北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている』では、
北広島市には市街の中心軸となる一本の幹線道路がなく、
街の外側を走る3本の道路それぞれで市街が形成されており、
それは非常に特殊かつ非合理的な構成であると紹介しました。

言ってしまえば、今流行りの『コンパクトシティ』とは逆の、
二正面作戦ならぬ『三正面作戦』をしなければならないのが、
人口減少時代における北広島市の課題である
と言えるでしょう。

そもそも論として、何故このような形になったのでしょうか?

北広島市の偉人に『和田郁次郎』氏という方がいます。
和田氏は明治17年に現在の北広島市への入植を取り仕切った人で、
広島県の出身者で一つの村を作ろうという目標を持っていました。
この、和田郁次郎氏についてはのちのち触れて行きますが、
現在の北広島市の前身にあたる広島町、そして広島村、
さらにその以前の月寒村の『輪厚移民』にさかのぼっても、
その原点は明治17年にある、という事が今回重要となるポイントです。

明治17年と言えば、北海道にとってどんな時代だったでしょうか?

シリーズ『澄川』でも度々紹介してきましたが、
明治15年、それまで北海道開拓の中枢を担った開拓使は廃止され、
『三県一局時代』と呼ばれる分権的な時代に入ってゆきました。

澄川でも官林は民間に払い下げられ、北海道において『官』の存在感は薄らいでゆきます。

そうした時代に入植した和田郁次郎氏ら『輪厚移民』は、
堅い結束による『民』の力で村を大きく、豊かに育ててゆきました。

前回、私は『市街地は幹線道路から格子状に拡大する』という原則を示し、
北海道で有数の古い道路として札幌越新道≒室蘭街道≒札幌本道・・・
すなわち、現在の国道36号線を紹介しました。

さて、国道36号線と言えば現在も札幌・千歳・室蘭を結ぶ北海道の大動脈
古来から、本州との船便に太平洋ルートを使用する際には本州への道でもありました。
また、白老を経由し函館に至る、オホーツク海側より雪の少ない陸路でもありました。

江戸末期から切り開かれた『札幌越新道』は、
明治2年に開拓使が置かれ札幌に本府によっても積極的に利用され、
明治6年にはほぼ同様のルートが『札幌本道』『室蘭街道』として再整備されています。

当時、北海道の街道沿いには『駅逓』(えきてい)と呼ばれる官営施設が設置されていました。
これは休憩所であると同時に馬の貸し出し、物資運搬や通信の為の施設です。
江戸時代の本州で言うところの宿場に近いかもしれませんね。

明治6年、室蘭街道の開通に伴い、現在の北広島市島松に『島松駅逓所』が設置されます。
『少年よ大志を抱け』で有名なクラーク博士は、明治10年にここでその言葉を発したと言われています。

その事にちなんで、北広島市はクラーク博士を前面に押し出して広報活動を行なっています。
カントリーサインや市のロゴマークなどに積極的にクラーク博士を起用しています。


正直、明治10年当時、そこは札幌郡月寒村だった訳ですし、
クラーク博士自身は帰任の通過点でそれを言った他に北広島市に縁もないようですから、
羊ケ丘公園や北海道大学などの観光地としてのブランドに背乗りしているように感じますが、
そもそもクラーク博士自体が札幌農学校の初代教頭であるものの、
在任期間はわずか8ヶ月で、教え子は一期生のみというのですから、
まー、イメージ戦略とはそういうもの、と割り切るしかないのかもしれません。

明治期の北広島にはもう一人の偉人『中山久蔵』氏も関わっています。
中山久蔵氏は明治以前から北海道に移り住んでいた方で、
明治4年から島松付近を開墾し始め、試行錯誤をしながら稲作を成功させました。
その後、稲作の手法や『赤毛種』の種籾を広め、高く評価されました。
そして、明治17年には中山氏宅が正式に島松駅逓所となりました。

中山久蔵氏の功績によりこの近辺は『寒地稲作発祥の地』とされ、
島松駅逓所には寒地稲作発祥の地の碑が設置されています。

北広島市もこれもPRに利用しており、北広島商工会はゆるキャラ『まいピー』を設定しました。
これは赤毛種のキャラクターで『久蔵おじいさんに育てられました』という設定です。

しかし、こちらもクラーク博士のように自治体ごとの元祖争いのようなものがあり、
恵庭市も『寒地稲作発祥の地』を主張していたりします。
http://www.eniwa-cci.or.jp/shokka/introducing/komezukuri.html

この周辺は島松川を境に札幌郡月寒村と千歳郡島松村の境界だった為、
中山久蔵氏の実験水田はその両方に広がっていたのです。
(島松川は現在の北広島市と恵庭市との境界でもあります。)


このように島松は明治以前から『シュママップ』と呼ばれる交通の要衝であり、
札幌から太平洋側へ抜ける為に旧来使われていたのは室蘭街道≒国道36号線だった訳です。

明治17年に入植した和田郁次郎氏ら輪厚移民、のちの広島村の人々は、
何故、室蘭街道沿いではなく、道道46号線≒広島本通を中心地としたのでしょうか?

その事が、現在の『二正面作戦』的な北広島市の市街形成の原点となっているのです。

元々あった幹線道路の近くから外れて集落を設けた理由は何なのでしょうか?

この謎を紐解いてゆく回答編は次回以降。

KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている


当記事は2017年03月21日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿


幹線道路
というものは、しばしば市街形成における『骨格』『血管』に例えられます。

整備された流量の多い道路がある事でヒトやモノが『血液』のように流れ、それが『肉』である住宅地や商工業地を支える強靭な『骨格』としての役割を果たします。

中心的な道路から毛細血管のように道路網が発展し、都市として機能してゆきます。

札幌を例に取れば、古くは江戸時代からある道路や開拓使によって拓かれた道路・・・
東西には札幌本道(≒現:国道5号線・旧5号線)、南北には本願寺道路(≒現:石山通)、そして斜めに室蘭街道≒札幌越新道(≒現:国道36号線)を中心に市街が形成されました。

創成川通りは当初”運河縁”と呼ばれ、陸路としては古くから整備されていた訳ではありません。
運河も物流と言う意味では道路と同様の役割を果たしますが、
周辺の開発という意味では気軽に寄り道が出来る陸路よりは影響力は小さいようです。

他にもそれぞれの村ごとに、中心となる道路を中心に切り開かれていく訳です。

札幌市近隣の自治体の都市計画図を見てゆきましょう。

まずは小樽市札幌本道(≒現:国道5号線)を中心に、岩壁を避けて市街が形成されています。

明治以前からある漁村を合併して大きくなってきた都合、市街化区域が分散しているという特徴があります。
特に小樽市西部、旧高島町地区や旧塩谷村地区に関しては、扱いに苦慮しているようです。

次に江別市の都市計画図を見てみましょう。

江別市は江別一番通(≒現:国道12号線)JR函館本線を中心に、
札幌市以上に計画的な格子状の市街形成がなされていますが、
これは江別市が屯田兵によって切り開かれた、『官』の色合いが非常に強い町である事に由来します。


次に石狩市の都市計画図を見てみましょう。

石狩市は軽石馬車軌道(≒現:道道44号線)を中心として形成され、
江別市よりも細かい格子状の区割りがされた計画都市ですが、
これは江別市とは別の由来で、戦前は殆どが畑であり、
戦後しばらくしてから宅地開発が始まった、という背景があります。
札幌のベッドダウンとして開発された為、市内中心部まで住宅地が広がっており、
中心部に広めの区画の商業地が少ないことが現代においてはネックになっています。

札幌市の都市計画図も見てみましょう。

札幌市に関しても小樽市と同様に
明治・昭和期に多くの村が合併した名残はありますが、 戦後の農地改革による宅地化札幌オリンピックによる人口増で、一つの町としての体裁を保っており、飛び地は定山渓や北丘珠の一部に留まっています。

どの自治体に関しても、市内で最も大きな幹線道路に中心街が存在し、
市役所や商店街も幹線道路のほど近くにある、というのが共通の特徴です。

一般的に、市街形成においては最も大きな幹線道路が街の『背骨』になり、
そこから格子状・放射状に市街が広がってゆく
、というのが一般的な形です。

また、その市街が都市計画法によって『市街化区域』に指定され、
郊外の土地が『市街化調整区域』として原野や山林のまま残る、というのが通常です。

しかし、北広島市に関しては事情が大きく異なるのです。
北広島市の都市計画図を見てみましょう。

・・・非常にイビツですね。

北広島市には大きく3つの市街化区域エリアがあります。
(北広島市都市計画マスタープランでは5つの区分ですが、ここでは私の定義でお話します。)

まずは画像右側、北広島市役所JR北広島駅がある『中央エリア』
都市計画マスタープランでは『東部地区』『北広島団地』の2地区にあたります。
これがこれまでに述べたいわゆる『通常の市街形成』によるエリアで、
江別から恵庭へ南北に走る広島本通(≒現:道道46号線)沿いに形成された市街地です。
JRの駅もそばにありますから、比較的、江別市に近い構成と言えるかもしれません。

次に画像の左下にあたる『大曲・輪厚エリア』
都市計画マスタープランでは『大曲地区』『西部地区』の2地区にあたります。戦後国道36号線沿線に開発されたエリアで、札幌市清田区の延長上にあります。
札幌と北広島の境界は厚別川ですが、川を挟んだだけでほぼ一繋ぎの町という印象です。

大曲の住宅地を抜けると大曲工業団地、輪厚のゴルフ場などを抜けて恵庭・千歳へ至ります。
国道36号線の他にもそのバイパスにあたる羊ケ丘通や、
千歳まで至る高速道路である道央自動車道に沿って市街が形成されています。

最後、一番小さなエリアですが画像の左上『西の里エリア』
都市計画マスタープランでは『西の里地区』にあたります。
こちらも戦後、国道274号線沿線に開発されたエリアですが、その大半が住宅地です。
現在は札幌市厚別区と隣接していますが元々は厚別区との距離がありました。
平成初期に『虹ヶ丘』として西端が開発され、札幌市との距離が縮まりましたが、
丘陵地にある為に距離が離れており、大曲・輪厚地区ほどの一体感はありません。

各種施設も地元住民の利便の為の物が中心で、これといった特色はありません。
札幌市のベッドタウンとしての側面が強いと言えるでしょう。

このように、一つの自治体の中に3つも市街化区域があり、
それぞれにそれなりに距離が離れており、またそれなりの規模である
というのは、
(少なくとも札幌圏においては)非常に特殊な市街形成の形態であると言えます。

小樽市も飛び地的に市街化区域が分散していますが、
これは元々複数の自治体が合併した事によりますし、
何より、どの市街化区域も国道5号線(旧:札幌本道)を中心に形成されています。

一方の北広島市は明治27年に札幌郡月寒(つきさっぷ)村から分村して以来、
他の自治体を合併したという事はありませんし、
3つのエリアはそれぞれ別の道路の沿線に市街が形成されている点で、小樽と異なります。
(3つの道路・・・道道46号線・国道36号線・国道274号線)

そういった意味で、北広島市は『背骨のない町』であると言えます。

道路は人や車の通り道である他、上下水道やガスなどの配管の埋設があり、
電柱が敷設されているなど、様々な生活インフラの経路になっています
から、
これは江別市や石狩市のように、一つの道を中心に据えて開発をした方が、
都市開発のコストを考えれば間違いなく合理的であると言えるでしょう。

街のメインストリートたる道道46号線『広島本通』に面さない、
『大曲・輪厚エリア』や『西の里エリア』が戦後開発されていったのは何故なのか?

通常の市街化形成のセオリーでは有り得ない3つの幹線道路と3つのエリアで、
北広島市は将来どうすれば人口減の時代を乗り切ってゆけるのでしょうか?

幹線道路を町の外側に複数持つ『背骨のない町』は、
『外骨格都市』として成り立ってゆく事が出来るのでしょうか?

シリーズ次回に続きます。

KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】


シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

さて、新規記事でございます。
前回紹介した通り、平成29年5月、北広島市役所の新庁舎が竣工し、
第1~第3まである旧庁舎については、今後解体する運びとなりました。

新庁舎については昨年の段階で既に取材をしているのですが、
諸事情によって今回の機会を待つまで掲載が遅れてしまいました。
一部写真に古いものが混じっていますが、ご容赦ください。
さて、紆余曲折あって設置されたこの新庁舎、
不動産に携わる者にとっても、調査活動のしやすい良い庁舎であると言えます。

今まで北広島中央にあった第1~第3庁舎の機能が集約された他、
それまでは北広島市土木現業所まで行かなければ取得できなかった、
道路台帳図が新庁舎で取得する事が出来るようになったのです。

これによって殆どの調査が新庁舎だけで完結するようになりました。
初めて行く方にも分かりやすい案内図が庁舎の入口にあります。

<3階>

<4階>

不動産調査に関わる部署は3、4階に集中しています。

3階の都市計画課で調べる用途地域はインターネットからも見る事が出来ますし、固定資産税の評価証明書などもインターネットから申請書をダウンロードして作成して持参するという手順です。

 北広島市「市税に関する証明書」
 http://www.city.kitahiroshima.hokkaido.jp/hotnews/detail/00011402.html

肝心の道路調査は、4階の窓口に出向く必要があります。

ずいぶんとオシャレな庁舎になったものです。

4階14番窓口「都市整備課」で職員の方に声をかけましょう。
所在地を聞かれるので住所を答えるか、地図を見せましょう。

すると「北広島市地籍集成図」を提示してくれますので、
道路台帳を取得したい場所を確認します。

職員の方がデスクで作業をし、道路台帳図を出力してくれます。

土木事務所と違い、微妙にカラーで出力されるようになりました。
手数料は変わらず140円と少し高めですが、
600円取られる江別市よりはずっとマシです。

台帳図と一緒に渡された納付書を2階の北洋銀行で支払います。

<上下水道>
同じく4階の12番窓口「水道施設課」でタッチパネルを操作します。

写真右手側のディスプレイがタッチパネル端末です。
住所と地番を入力すると、周辺地図に配管状況が入った画面が表示されます。
水道台帳図と下水道台帳図がそれぞれ別の用紙で出力され、
納付書を渡されるので同じように2階の北洋銀行で払込みましょう。

国道・道道の場合の調査方法は前回と同一ですが、一応紹介します。

<国道>
その道路が『国道』の場合は『札幌建設開発部』が窓口です。
窓口の場所と調べ方は『A-7 国道の詳細を知りたいとき』で紹介しています。

<道道>
その道路が『道道』の場合は『札幌建設管理部』が窓口です。
窓口の場所と調べ方は『札幌市外の『道道(どうどう)』について知りたいとき』で紹介しています。

このように、新庁舎への建て替えによって窓口が集約され、
北広島での調査は非常にやりやすくなったと言ってよいでしょう。

不動産を流通させるに当たっては、まず役所が調査しやすい環境を提供することが第一である、と常々提言していますが、北広島市についてもある程度の水準には達したと言っていいでしょう。

今後、北広島が再び隆盛を取り戻せるよう、
市には今後も是非頑張ってもらいたいと思います。

もーちょっと道路台帳図を見易く・綺麗にしてほしいなー、なんて。

KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】


当記事は2014年06月26日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

この記事は上記の通り4年近く前に書いた記事です。
この頃、北広島市役所の旧庁舎は解体・新庁舎の建設予定があり、
旧庁舎時代の記録を残しておく必要から書いたものです。
それでは早速、一部改稿した過去の記事を見てゆきましょう。

今回、紹介する自治体は『北広島市』です。
平成8年までは『札幌郡広島町』でしたが、人口の増加に伴い市制へ移行しました。
名称は現在の広島県広島市からの開拓入植者が多かった事に由来します。
実は札幌市内にも、広島県をルーツに持つ方は多いようです。

当初は札幌市のベッドダウンとして発展し、新千歳空港へは札幌よりもずっと近い事から、
工業団地が主軸となってきており、現在も『輪厚工業団地』が分譲中です。
一方で住宅地はというと…札幌や本州への若年層の流出があり、高齢化が進んでいます。
まぁ、これは全国的な潮流であって北広島に限ったことではないのですが・・・

それでは、具体的な調査窓口を紹介してゆきましょう。

<市道>
その道が北広島市の『市道』の場合の窓口はこちらです。
北広島市土木事務所 北海道北広島市共栄196-1


道路台帳のコピー代金は一枚につき140円
図面の精度ですが、正直に言ってしまうとかなりラフで見づらい印象を受けます。

ちなみにこの窓口は最近まで各インターネット地図に登録されておらず、
Googleマップのナビゲーションで現地に行こうとすると難儀していましたが、
ようやく各種インターネット正しく地図にも反映されるようになりました。
噂の日本ハムファイターズのボールパーク予定地からも近いですね。

北広島のHPには市道の台帳交付などの調査窓口について、書いていません。
調査窓口が分からない、というのは公益上よろしくない事だと思うのですが、
各自治体では、まだそういった面での整備が不十分な場合が多いのです。
→平成29年3月に改善されました。

<国道>
その道路が『国道』の場合は『札幌建設開発部』が窓口です。
窓口の場所と調べ方は『A-7 国道の詳細を知りたいとき』で紹介しています。

<道道>
その道路が『道道』の場合は『札幌建設管理部』が窓口です。
窓口の場所と調べ方は『札幌市外の『道道(どうどう)』について知りたいとき』で紹介しています。

<位置指定道路>
位置指定道路や上下水道の窓口は、市役所本庁舎(北広島市中央4丁目2番地1)です。
庁舎は3つに分かれており、位置指定道路第二庁舎の建築指導課
上水道第三庁舎の水道施設課下水道は同じく第三庁舎の下水道課です。
(上下水道の台帳については水道施設課の窓口にあるタッチパネル端末で取得可能)

・・・と、ここまで書いてきましたが、この文章も、将来的には改定が必要になります。
実は北広島市の庁舎はかなり老朽化が進んでおり
20年以上前から建て替え計画を検討していましたが、
諸事情によってまったく話が進んでいませんでした。

しかし、平成26年1月16日、ようやく具体的なプロジェクトとして建替計画が決定され、
具体的なイメージ図やタイムスケジュールも公表されています。
平成27年7月から着工し、平成29年7月に工事完了の予定ですから、
3年後には、不動産調査の窓口についてもかなり様変わりする可能性があります。
そうなると当時の状況がわかる資料が殆ど残りませんから、
このようなブログも一つの重要な資料になるのでは…などと考えています。

北広島市役所の庁舎建替計画については、追々紹介するかもしれません。

・・・と、言っておいて、結局建て替えが済んでから1年を経るまで、
建て替え計画について紹介する機会はなかったんですがね!!

次回は新庁舎になってからの調査方法について紹介してゆく予定です。

KH-0 この道なぁに?『北広島』がはじまります


平成30年3月26日、プロ野球日本ハムファイターズの移転候補地が、
北広島市の『きたひろしま総合運動公園』に内定しました。
候補地として、真駒内アイスアリーナや北海道大学敷地が取り沙汰されたり、
それ以前は月寒グリーンドームや八紘学園の敷地も俎上に挙がりましたが、
結局の処、札幌市から実現性のあるプランが示されなかったという事でしょう。

まー、『勝ち馬に乗る』『長い物に巻かれる』札幌の人の市民性というのは、
好成績のうちは良いものの、負けが込むと途端に応援しなくなってしまうので、
率直に言って、大阪や広島のような球団との関係性は作れないでしょう。

北海道の人は大らかだというイメージがあるかもしれませんが、
環境が厳しく所得も低い分、シビアで利己的な方が多いのです。
東北もそれは同じで、西の方とは傾向が大きく異なるように思います。
(そうでもしないと生きていけないのだから仕方ないでしょう。)

まー、私も札幌出身ですし一概に北の人間を否定しているのではなく、
西の人は西の人で別の面倒さ、厄介さがあるのでお互い様ですね。

さて、以前から私の営業エリアは札幌市とその近隣と紹介してきましたが、
具体的には札幌の南東側・・・北広島市、江別市の取引が多く、
北西側・・・小樽市や石狩市の取引はそう多くありません。

特に北広島市に関しては札幌市に次いで取引が多く、
またマニアックな取り扱いについてもある程度通じていますから、
ファイターズ移転決定で注目度もあるこの機会に、
過去の記事も含めて北広島市における不動産調査や北広島の歴史、
都市計画などについて、気まぐれに紹介してゆこうと思います。

まずは不動産調査について、まとめる事にしましょう。

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

札幌市外の『道道(どうどう)』について知りたいとき


当記事は2014年06月19日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

今日は北海道が管轄する道、『道道』の調べ方を紹介しましょう。

北海道ではテレビやラジオで『どうどう』という音を聞くことは日常的ですが、
『道道』と文字として書くと、かなり違和感があるように感じるのは私だけでしょうか?
PC上で変換をする際も誤変換が目立つので『みちみち』と打っています。

本題に入りましょう。
札幌市内の『道道』については、札幌市が管理を行っています。
これは、政令指定都市に与えられた行政権限の委譲によるもので、
これによって市内の『道道』については、札幌市役所で調べることが出来ます。
調べ方については、『A-6 市道・道道の詳細を知りたいとき』で紹介しています。

札幌市外にある道道については、各自治体に行っても教えてもらえません。
例えば、石狩市を走っている道道のことを石狩市役所に問い合わせても無駄という事です。

道道を調べる窓口は北海道の『札幌建設管理部』という部署です。
ちなみに『札幌建設管理部』は道央圏≒空知総合振興局管轄の場合です。
ほかの地域では『旭川建設管理部』『小樽建設管理部』などになります。

国道を管轄する国の窓口『札幌開発建設部』なので、メチャクチャ紛らわしいですね(; ・`д・´)

“札幌”建設管理部ですが、千歳市や石狩市…空知地域全体を管轄しています。
この役所は札幌に本所があり、各地区に『出張所』があります。

札幌にある本所では、空知振興局のすべての道道を調べる事が出来ますが、
各出張所では、出張所それぞれの管轄地域の道道についてしか、調べられません
・・・と、いう事は札幌市の本所で調べるのが一番確実という事です。
私も通常は本所にしか行きませんが、市外遠方の方もいらっしゃるでしょうから、
各出張所についても紹介してゆこうと思います。

各窓口へ出向き、『道道の台帳の写し頂きたい』と伝え、受付簿に署名すると、
職員が道路台帳のコピーを無料で取ってきてくれます。
希望があればA全版(A4サイズの8倍)やB全版で図面をコピーしてもらえますが、
通常はB4~A2サイズの部分コピーまたは縮小コピーです。

札幌市をはじめとして、各自治体では台帳のコピーは有料ですが、北海道は無料なのです。
(各出張所に電話で問い合わせて調査した結果です。今後変更となる可能性があります。)

さて、各窓口の場所と管轄について紹介していきましょう。

札幌建設管理部 札幌市中央区南11条西16丁目2番1号(011-561-0201)
 管轄:空知総合振興局管轄区域の全域

千歳出張所 千歳市桂木6丁目1番28号(0123-23-4191)
 管轄:北広島市・千歳市・恵庭市




滝川出張所
 滝川市流通団地3丁目1番5号(0125-22-3434)
 管轄:滝川市・芦別市・砂川市・赤平市・歌志内市・上砂川町・浦臼町・新十津川町
    奈井江町・雨竜町石狩川流域下水道・北海道子どもの国・徳富ダム

深川出張所 深川市錦町北4番11号(0164-22-1411)
 管轄:深川市・妹背牛町・秩父別町・北竜町・沼田町

当別出張所 石狩郡当別町栄町192番7号(0133-23-2220)
 管轄:江別市(一部除く)・石狩市(一部除く)・当別町・新篠津村
     真駒内公園・野幌総合運動公園

 ※ 江別市・石狩市の一部については西野にある『事業課』が管轄しているので、
    道路台帳は本所で取得して下さい。




長沼出張所
 夕張郡長沼町市街地(01238-8-2346)
 管轄:夕張市・長沼町・南幌町・由仁町・栗山町・栗山ダム

岩見沢出張所 岩見沢市上幌向南1条2丁目(0126-26-3011)
 管轄:岩見沢市・美唄市・三笠市・月形町・美唄ダム

・・・と、まぁ私も行ったことのない窓口が多数あります。

ところでここまでのリストに、札幌に隣接する『小樽市』が入っていませんね。
これは単純な話で小樽は後志総合振興局の管轄だから、という話です。
いずれは小樽についても取り上げてゆきますが、1日の代休では窓口は回り切れませんでした。

引き続き、札幌市以外での道路の窓口について紹介してゆきます。

『植物園の耳』⑥ 歴史的経緯に関しての時系列的まとめ

さて、前回で一区切り、と宣言しておいてなんですが、
『植物園の耳』に関する事実関係を時系列でまとめた記事を書いていなかったので、この機会にまとめてゆきましょう。
(この機会、というのは書く時間がないから今度にしよう、と思っていたけどやっぱり書こう、という事になった、という『機会』です。)

前回の『『植物園の耳』⑤ 植物園の耳の一大所有者にして名士『林文次郎』氏の人生』と照らし合わせてみると、林文次郎氏が生きた時代の歴史的背景が分かりやすいかもしれません。

明治9年頃
 現在の植物園は北海道大学の施設である事は既に紹介した通りですが、
 北大の前身としては明治9年開校の札幌農学校が有名です。
 実は更なる前身として明治2年開校の開拓使仮学校、
 明治8年開校の札幌学校がありますが、
 札幌農学校となるまでは体制が整わなかったというのが実情のようです。

 札幌農学校とは別個の動きですが、『植物園の耳』に関する流れとして、開拓使がお雇い外国人ルイ・ベーマー氏に依頼し、北4条西1丁目に温室を建設します。
 これがのちに移設され、植物園の原型となります。

 また、お雇い外国人エドウィン・ダン氏が道庁の西側に牧羊場を設置します。
 エドウィン・ダン氏は開拓使における欧米式の家畜育成の指導を担った人物です。
 現在の自衛隊駅前~真駒内駅に広がる牧牛場明治9年に設置し、
 牧牛場の他、植物園の位置に『牧羊場』、他にも養豚場や牧馬場を指導しています。
 特に真駒内の牧牛場はのちに種畜場となり、家畜全般の育成の地になりました。
 その後、終戦に伴い米軍が進駐し『キャンプ・クロフォード』となり、
 その敷地が返還され『陸上自衛隊真駒内駐屯地』や札幌オリンピックにおける競技会場となりました。
 現在も真駒内には『エドウィン・ダン記念館』があります。

 エドウィン・ダン氏が道庁の西側で羊の飼育を行っていたという事実は、驚くほど文献に残されていませんし、知られてもいません。
 また、開拓使が関わっていたのはともかくとして、
 実際ににエドウィン・ダンが携わっていたのか否かは、不明です。
 (『桑園誌』には明治15年の設置とされていますが、文献の読み違いと思われます。)

 おそらく、予定地とはされていたものの何らかの事情で上手く行かなかったか、中心地と近すぎてすぐに不便を生じてしまったのではないか、と思われます。

 また翌明治10年には開拓使が北7条西7丁目『仮博物場』を設置します。

明治15年
 明治10年に開拓使が設置した『仮博物場』は、明治15年に現在の植物場に移設され、現在も存在する『開拓使博物場』が落成します。
 これは札幌農学校の施設ではなく、開拓使勧業課の施設です。

明治17年
 札幌農学校が札幌勧業課から博物場の移管を受け、植物園の設置準備を開始します。
 管轄が開拓使勧業課から札幌勧業課に変わったのは、明治15年の開拓使解体に伴うものです。
 まず最初に博物場の周辺1万5千坪の移管を受け、ここから宮部金吾氏による植物園の準備が始まります。
 植物園の構成の設計、周辺地の移管の働きかけを開始します。

明治18年1月
 植物園の設置が許可され、測量作業が開始されます。

 前年に勧業課から移管を受けた図Ⅰの1万5千坪の他、
 この年には 図Ⅱ北海道事業管理局農業事務所2720坪養蚕用地
 図Ⅲ2650坪と図Ⅳ788坪の牧羊場用地も移管を受けます。

 10年足らずでなかったことにされる牧羊場って何だったんだよ
 という気がしないではありませんが、北海道開拓=欧米文化の導入は試行錯誤の連続であったと言う事でもあるのでしょう。

明治18年10月
 このようにして着々と測量作業や土地の移管が進んでゆく中で、
 明治9年北4条西1丁目に設置された旧植物園からの移転を完了します。

明治19年7月
 この年、植物園設置の実務的中心人物である宮部金吾氏がハーバード大学へ、札幌農学校初の海外留学生として、3年間の留学に出ます。
 宮部金吾氏によると『洋行出發の頃には道路は西八丁目で終わってゐた。そして現在の市立病院のところには桑園の養蠺室があつた。』   

 ここで言う『道路』とは、植物園の南側を通る現在の『北2条通』です。
 また、『現在の市立病院のところ』とは、その道向かいにある敷地、
 現在のヤマダ電機札幌本店周辺の土地の事で、
 この周辺には、蚕を育てる為の養蚕室があった、とのことです。

明治20年前後
 宮部金吾氏の不在は続きますが、北東角にある図Ⅴの樹木園2600坪が北海道庁育種場から移管されます。

明治22年頃
 この時期、図Ⅵ北海道廳立病院の建設計画が持ち上がります。
 北海道庁立病院は、のちの札幌区立病院、そして現在の札幌市立病院です。

 札幌市立病院側が南側にある図Ⅱ1600坪の敷地を譲渡し、
 代わりに元々用意されていた図Ⅵの植物園内の敷地6000坪を植物園側が取得したという事です。
 Σ(゚Д゚;なんでか敷地増えてるッ?!

 この辺りの事情についてはかなり不可解な部分が多いのですが、後日、シリーズ植物園の耳『札幌病院と植物園の不可解な敷地交換』で紹介する予定です。

明治23年
 この年、植物園の南側に面する『北2条通』が開通します。
 宮部金吾氏によるとその北側に『狭長なる不要の地が残ってゐたが、これを再び植物園に合併した。』との事。
 また、南西側(図Ⅶ)の畑4000坪を道庁から引き継ぐ。他にも北西側(図Ⅷ2200坪を同時に引き継ぎます。
 これによって札幌農学校付属植物園の敷地はほぼ現在の形になります。
 西南隅の一小民有地を除く外は、殆ど二百間四方役四萬坪の地積を占有するに至つた。』
 この、『西南隅の一小民有地』と言うのが『植物園の耳』です。

明治28年3月
 『『植物園の耳』④ 『植物園の耳』はどのように民有地となって現在に至るのか?』で紹介した通り、『植物園の耳』が民間人、星野和太郎氏の名義になるのは明治28年の事です。

 また、たびたび引用している宮部金吾氏の言は、昭和2年北海道大学退官後に著した自伝の内容ですから、後日当時を振り返って語ったものです。

 ここまでの精力的な範囲拡大を見ても、宮部金吾氏が植物園を南北3区画×東西3区画の完全な正方形にしたかったであろうことは想像に難くありません。
 そんなさなか、昔の下宿生が自身のライフワークである植物園の整備を阻害する事になった事に、どんな思いを抱いたのでしょうか。
 或いは、宮部金吾氏と星野和太郎氏の間に、何らかの確執があったのでしょうか。
 今となっては想像するほかありません。

明治33年
 この年、宮部金吾氏が植物園長に就任します。

明治34年2月
 星野和太郎氏から林文次郎氏へ、北2条西10丁目1番地1が譲渡されます。
 当時の林文次郎氏の登記住所は熊本県塩屋町16番地です。

 この翌年、明治35年には星野和太郎氏は北一条郵便局の局長に就任します。
 郵便局長の5年の任期を終えたのち2代目の局長となるのも林文次郎氏です。

 当初はただ土地を売買しただけの関係かと考えていたのですが、
 郵便局長を引き継いだ件などを考えると、ある意味で林氏は星野氏の後継者的立場であったのではなかろうか、とも考えています。

明治42年
 この年、従来は出入り自由であった植物園の周囲を竹垣で囲み、
 正門を置いて入り口を定めて出入りを制限し始めます。

 植物園はあくまでも大学の研究施設ですから、
 植えている植物を持ち去られたり、他の植物が移入したりという事を避ける為でしょう。

明治44年
 その2年後には入園料3銭を徴収するようになります。
 勿論、収益の為というよりは出入の取り締まりが目的であったと思われます。

大正6年4月
 林文次郎氏が札幌区から北2条西10丁目2番1を取得します。
 この部分はメムから生じた川に沿った部分で殆ど道にも接していませんから、
 現実的に氏以外にこの土地を買う事は出来なかったと言えるでしょう。

 札幌区から払い下げを受けたのではないかな、と予想されます。

大正14年8月
 それまで東北帝国大学札幌農科大学植物園長官舎に住んでいた宮部金吾氏が、
 この年、転居して北6条西13丁目(現在の宮部記念緑地)に居を構えます。

大正15年
 宮部金吾氏が植物園長を退官…という説があるが昭和2年という説もあり、記述が一致していません。
 昭和2年に北海道帝国大学を退官したのは確定していますから、
 北大には在籍したまま植物園長のみ辞任したのかもしれません。

昭和2年
 宮部金吾氏が北大の定年制の導入による依頼退官の発令で退官。
 退官後も昭和26年に没するまでラジオ出演などで市民に親しまれたそうです。
 昭和24年には札幌市初の名誉市民となっています。
 (Wikipediaの記載によると名誉市民・栄誉市民は過去4名、
  北海道大学の教授と市長経験者2名ずつと、かなり限られています。)

昭和3年
 宮部金吾氏の伝記によると、この頃には、北2条通の下水道工事によって、メム(湧水)が枯れ、小川は干上がったと記載されています。

 寒冷地農業のセオリーとして『土管を埋める』という方法があります。
 埋めた土管『暗渠排水』を通って地下水が抜ける事で、
 土中の水分を減らして、耕作に適した土地に変化させる訳です。
 そういえば『ブラタモリ』でも紹介されていましたね。

 これは、農業用暗渠に限った話ではなく衛生下水道でも同じことです。
 下水道が整備されたことで札幌の各地の『メム』が枯れたと言われています。

 まぁ、水はけが良くなる訳ですから都市としては寧ろ好都合でしょう。
 そうして、植物園の耳にあったメムや小川も姿を消すこととなったのです。

昭和25年4月
 株式会社神原商事が札幌市中央区北2条西9丁目に移転してきます。
 神原商事の公式サイトから社歴を調べると、
 昭和9年4月に樺太、敷香町にて三幸商会として創業し、
 昭和21年4月の終戦後に北海道、小樽にて営業開始したものが、
 この時期に『植物園の耳』に移って来ます。

 以降、平成2年まで北2条西9丁目7番地に本店を置きますが、
 登記に関してはこの時点では成されていません。
 当初は借地だったのか、あるいは占有だったのかは判然としません。

昭和26年1月
 札幌市北2条西10丁目4番地について、久島久義氏が所有権保存登記。
 久島久義氏の登記住所は北2条10丁目1番地と、元々氏の土地です。
 1番地、2番地1昭和23年久原久氏という方に売却されています。
 どうも、『久原』氏と『久島』氏は同一人物なのでは?という気もします。
 この後10年も経たず、どちらの土地も売却されてしまいますから、
 どのような方だったのか、現在のところ調べる目途は立っていません。

 4番地は一番奥の細い土地ですが、何の目的で登記されたのかと言えば、
 植物園との間の空白地であったから、という事情が想定されます。

 戦後の混乱期には色々なことがあったのでしょう。

昭和28年6月
 今回の参考文献として重要な伝記『宮部金吾』が発行されました。

昭和33年12月
 北2条西9丁目1番地社団法人北海道乗用自動車協会により登記されます。
 これは『登録地成』といって、国からの払い下げを受けたものです。
 どんな協会だったのか名前からは想像出来ませんが実はタクシーの協会です。
  北海道ハイヤー協会
   http://hokuhakyo.or.jp/about/

昭和43年
 植物園の北側の敷地が道路拡張の為に道路に一部提供されます。
 『植物園の耳』とは直接関係ありませんが、一応記載しておきましょう。

昭和49年8月
 株式会社神原商事が札幌市位置指定道路第5113号を申請します。
 神原商事の事務所は公道に面していませんでしたから、
 これを改善する為に位置指定道路を申請したのでしょう。

 もともと、北二条通に面した敷地だけが合法的に建物の建築が可能でしたが、
 これによって、植物園の耳の奥の方も開発が可能となりました。

昭和49年
 植物園の全周に金属フェンスが完成し、それまでの木柵から切り替わります。
 植物園と『植物園の耳』の間の境界がはっきりさせられた訳です。

北海道開拓から約45年前までの100年に渡る歴史を追いました。
一つ一つの事柄が濃厚であり、また過去の出来事を調べるには限界があります。
おそらく、長くこういった活動をしていたり、不動産業に携わることで、
これらの事情をより深く知る機会も出てくるのだろうとは考えていますが、
この、ごくごく小さなエリアであってもこのように濃厚な歴史があるのだという事が、不動産調査の醍醐味です。

ここからさらに45年、昭和末期から平成後期までの歴史を経ている訳ですが、ちょっと、これ以降の事情については個人情報などの兼ね合いもあって、あまり詳細な情報をなかなかインターネットに公開してゆくことは憚られます。

一方で、ここからの事情と言うのも非常に面白い処がありますから、まぁ、差支えのない範囲で今後も『植物園の耳』について紹介してゆこうと考えています。

シリーズ『植物園の耳』
 ◇『植物園の耳』① 探ると消される?!『植物園の耳』のナゾ
 ◇『植物園の耳』② 魔境『植物園の耳』の現在の姿 -建物・道路の構成-
 ◇『植物園の耳』③ 古地図から見る明治・大正の植物園の変遷
 ◇『植物園の耳』④ 『植物園の耳』はどのように民有地となって現在に至るのか?
 ◇『植物園の耳』⑤ 植物園の耳の一大所有者にして名士『林文次郎』氏の人生
 ◇『植物園の耳』⑥ 歴史的経緯に関しての時系列的まとめ

【参考文献】
『伝記叢書232 宮部金吾』相川仁童 平成8年10月26日
『北大百年史 通説』ぎょうせい 昭和57年7月25日
『北大百年史 部局史』ぎょうせい 昭和55年10月15日
『桑園誌 -130年の足跡をたどる-』札幌市中央区桑園地区連合町内会 平成17年3月31日
『新聞と人名録にみる明治の札幌』札幌市教育委員会 昭和60年3月28日
『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所 大正3年11月1日
『札幌之人』鈴木源十郎 大正4年1月1日
『北海道人名辞書』北海民論社 大正12年9月30日

『大島てる』と『ファンキー中村』は中の島地区の凋落を嗤うか

当記事は2016年3月18日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

『事実は小説より奇なり』というのは人間の性質を非常によく表した言葉だと感じます。

人間は創作よりも事実を重んじるものです。
勿論、退屈で平凡な事実よりも、ドラマチックな創作の方が良い、という向きもありますが、
ドラマチックでセンセーショナルな事実であれば、それは創作に勝るでしょう。
『ノンフィクション』という言葉の魔力は非常に強力で、
それが故に『リアリティショー』『モキュメンタリー』といったジャンルも登場しました。

※ リアリティショー
   台本のないリアルな出演者の反応をウリにした番組。
   『電波少年』や『あいのり』、『テラスハウス』あたりですね。
  モキュメンタリー
   モック・ドキュメンタリーの略。ドキュメンタリー風の創作作品。
   『ブレアウィッチプロジェクト』が一番有名ですね。

ドラマやアニメの舞台(ロケ地)になった場所を訪れる『聖地巡礼』という行為も、
現実との繋がりを求めているという側面があると言えるでしょう。

また一方で、『隠されている事を知りたい』『舞台裏を見たい』という欲求も、
人間としてはごくごく当たり前の精神現象でありますが、
インターネット時代になって、テレビや新聞で扱われなかった情報が重宝がられたり、
逆にインターネットの誤った風説を真に受けてしまう人も多くいるようです。
まぁ、ネット以前から『陰謀論』は盛んにもてはやされていた訳で、
インターネットではそういった傾向が増幅されやすい、という事です。

特に『怪談』の分野では、その両面の心理的働きが非常に強い事は、
『ホントにあった怖い話』や『ホントは怖い○○○○』などのタイトルが、
非常に頻繁に使われている事からも、よくわかるでしょう。
(例:ホントは怖いグリム童話、ホントは怖いサザエさん、などなど)

人間は『知られざる真実』が大好きな生き物です。

さて、そんな人間心理を巧みに掴むコンテンツが『大島てる』です。
『大島てる』は事件や事故などで人が亡くなった建物をGoogleマップ上で表示するという、
『事故物件公示サイト』として不動産関係者だけではなく、
一般の方や怪談マニア、事故物件マニアまで広く注目されているコンテンツです。

 大島てる CAVEAT EMPTOR: 事故物件公示サイト
  http://www.oshimaland.co.jp/

私自身、不動産調査の一環として、『大島てる』を閲覧する事がありますが、
誰もが匿名で事故物件を追加・編集できるシステムの都合上、
その信憑性はWikipediaや2ちゃんねる程度のものでしかない
、と、
以前、本館の記事で紹介したところ、非常に大きな反響があり、
終いには『大島てる』管理人本人を名乗る方からのコメントなども寄せられました。
(まぁ、ご本人へメールで連絡していた内容とコメントの内容に齟齬があったので、
 コメントの方は『騙り』であったと判断していますが…本当の処は分かりません。)

 ◇ 『高額で成約したマンションを『大島てる』に事故物件扱いされるの巻』

話は変わりますが、不動産の価格ってどのように決まっているか、ご存知でしょうか?
不動産の俗語『一物四価』が大ウソってホント?』では、
不動産鑑定士が国や自治体に示す『鑑定価格』と、『実勢価格(時価)』が、
入れ子構造・相互干渉的に影響しあって決まってゆく、と紹介しましたが、
その『実勢価格』はどのように決まるかと言えば、
資本主義の原理で、需要があるものは高値になり、需要のないものは安値となります。

つまり、『誰も欲しくない不動産の価値は、どんどん下がってゆく』訳ですね。

『不動産を欲しい・欲しくない』と判断をするのは買い手ですが、
不動産を購入する時のファクターって、どんなものでしょうか?
もちろん、価格もあるでしょう、交通の便が良いであるとか、
病院や学校が近いというのも要因でしょうし、治安の良し悪しも重要でしょう。

しかし、表面に見える便利さだけがファクターではありません。
高級住宅街のイメージの強い大田区田園調布は正直めちゃくちゃ不便ですし、
札幌の住宅街でも高値の付く『山鼻』地区は地下鉄駅まで徒歩20~30分かかりますが、地下鉄駅から徒歩5分の土地の大半よりもずっと地価が高いのです。

このように実勢価格は『なんとなく良さそうなイメージ』で形成されている部分も大きいのです。

この商売をやっていると『いくら便利でも、○区や○○区はイヤだよ』と言う方もいますし、一方で中心部までかなり距離があり地下鉄からも遠い『明日風』『東雁来』を、新興住宅地(ニュータウン)であるという理由で購入される方も多いですが、これはまさに合理的・数値的利便性ではなくイメージで不動産を選んでいるという好例でしょう。

一方で札幌市内の『なんとなく悪そうなイメージ』を持たれている地域として、
私が非常に注目をしているのが『中の島』地区です。

中の島は札幌市豊平区、地下鉄南北線の中の島駅周辺の地区です。
札幌の地名の由来ともなった河川、豊平川の東側に面するこの地域は、
市内中心部にほど近く、かつ、戦後まで市街化されずに農地のまま残っていた為、
昭和40年代と早いうちからマンション開発が進んだ地区です。
海のない街である札幌市にとっては、豊平川沿いは今でいう東京の湾岸エリアのような扱いで、オーシャンビューならぬリバーサイドの景観がウリになりました。
また現在でも『豊平川の花火が見える』というキャッチコピーには人気があります。

しかし、そのように利便性の高い地域だったからこそと言えますが、
地元の人間…特に現在50~60歳程度の方の口からは、
暴力団関係の事件が起こったであるとか、治安が悪いという評判をたまに耳にします。
歓楽街のすすきのに近い事からも、すすきので働く方が中の島を住まいにしているという話も聞き、
正直に言って、そういった職業の方が多い、という事は事実のようです。

他にも、以下のような要因から、中の島の評価は若干下がり気味である事は否めません。
1.中の島のメインストリート『中の島通』の東側に『豊平川通』、西側に『平岸通』が整備された事で、昭和後期から人の流れが大きく変わり、中の島が素通りされてしまう事が多くなった。

2.中の島の中心に位置する北海道工業大学が北海道科学大学に名称変更し、本部が手稲区前田に移ってしまった事で『落ち目』の印象、将来性への不安を与えてしまった。
  ※ ただし、本部は移りましたが中の島キャンパスは当面の間、移転の予定はないとの事です。

3.隣接する『平岸』や『澄川』は6条を超す大規模な地名なのに対して、『中の島』は2条までしかない小規模な地名である為、地域としての存在感が薄い。

しかし、個人的主観ですが、中の島はそんなに悪い街ではありません。
事実関係が明確でないので『暴力団はいない』とは言えませんが、
『反社会的勢力排除条項』などの普及により、今現在で治安が悪い、という話はそう聞きません。

そんな中の島地区ですが、不動産業に従事する者として今後を不安に思うのが、先述した『大島てる』という大きなコンテンツの存在です。

人間は『知られざる真実』(に見えるもの)を好みますから、
大島てるというノンフィクションの草の根サイトの影響力は想像を絶するものがあります。

『大島てる』は日本中どころか世界規模のコンテンツですから、
中の島の事故物件だけが取り上げられている訳ではありません。

しかし、私の知る限り『中の島』だけは少し事情が異なるのです。
それが『ファンキー中村』氏の怪談にまつわる投稿の存在です。

ファンキー中村氏とは何者なのか?公式サイトのプロフィールを引用してみましょう。
http://funky-nakamura.com/profile/index.htmlより引用)

 ファンキー中村 プロフィール
 ファンキー中村(小林克也氏より名づけられる)
 北海道岩見沢市生まれ。出生後すぐに東京へ移住する。
 その後、返還翌年の沖縄県那覇市へ移住するが小学校4年の2学期に母の体調不良により故郷北海道に戻る。
 15歳で渡米、ここで出会ったアメリカ車の魅力に強く惹かれ、
 その知識により帰国後は20年近く雑誌にてライター活動をする。
 某ディスコにてDance Music系のRemixerを歴任、
 公式ドラッグレースのメインMCを務めるなど多岐に渡り、活動の幅を広げる。
 本人自ら体験した怪談(実話怪談)を語るという分野の先駆者であり、怪談クリエーターとして現在は活躍中。
 (以下略。強調・下線は筆者による。)

この、『本人自ら体験した怪談(実話怪談)』の中に、札幌に居住中のエピソードが多くあるのです。
特に中の島の分譲マンション、中古マンションに関するエピソードは、
そのうち4つがマンション名を特定された上で『事故物件』として『大島てる』に登録されています。

YouTubeにはそのうち3つの動画が投稿されていますから、その内容も併せて見てみましょう。

ちなみに大島てるやYouTubeへ投稿したのは誰かは、分かりませんが、
大島てるへはいずれも平成24年9月23日に投稿されていることから、同一人物による投稿と思われます。

<ファミール中の島>
 怪談のタイトル『事故物件』
 YouTube  http://www.youtube.com/watch?v=5wR5F9xaxww
 大島てる http://www.oshimaland.co.jp/?p=sx7kh5je

<第2佐々木マンション>
 怪談のタイトル『におい』
 YouTube  http://www.youtube.com/watch?v=ADas9Cd9zO8
      http://www.youtube.com/watch?v=OZT7Fl8Vq6g
 大島てる http://www.oshimaland.co.jp/?p=8mbwbw6s

<カトレアハイツ札幌>
 怪談のタイトル『屋上の女』
 YouTube  動画は投稿されていないようです。
 大島てる http://www.oshimaland.co.jp/?p=ckvjiru8

<京王もなみマンション>
 怪談のタイトル『呼ぶ女』
 YouTube  http://www.youtube.com/watch?v=th2YzLpveOM
 大島てる http://www.oshimaland.co.jp/?p=t9s73z23

動画内の情報では物件を特定するには至りませんが、
動画で『これはインターネットだから言わない方がいいかな』など、
意図的に所在をボカしているような言い回しをしている事から、
ファンキー中村氏が定期的に開催している怪談ライブなどでは、
実際に建物名まで言及してエピソードを語っている可能性もあります。

前述したように、中の島に関してマイナスイメージを持つ方は確かにいますし、
開発から40年も経っていれば、そりゃー事件や事故が実際に起こった事だってあるのかもしれません。
しかし、怪談を根拠として私有財産が『事故物件』として取り扱われている事には、大きな問題があります。

まぁ、ファンキー中村氏はあくまで実話だというテイで怪談をしている訳ですが、
もし実話であるとしたって『心霊現象が起こる』というのは、事故物件と扱えるものではないでしょう。

私の周りのマンション購入希望者や不動産関係者からも、
『中の島って事故物件が多いんでしょう?』と聞かれる事があります。

大島てるを見たという方もいれば人から噂を聞いたという方もいますが、
風説というのはそういうもので、少なからず大島てるの影響があるとは言えるでしょう。

先の話に戻りますが、これが『なんとなく悪そうなイメージ』であって、
中の島の不動産価値を下げる要因となりうるものであると言えると私は考えます。
特に、昭和に建設されたマンションに関して、イメージへの悪影響は計り知れません。

これら4件の投稿が平成26年9月23日にされて以来、
どれだけの人がこの風説に触れ、中の島地区に悪印象を持ったでしょうか。
そこで、私は各投稿に対してコメントで異議を唱える事にしました。

4つの投稿に対するコメントでの指摘の要点は下記の2つ。
1.怪談を根拠に特定のマンションを『事故物件』扱いするのには問題がある。
2.動画がYouTubeにある3件については、動画内で所在が特定出来ない。

、<ファミール中の島>


<第2佐々木マンション>

<カトレアハイツ札幌>

<京王もなみマンション>

しかし、平成27年10月29日に投稿してから現在に至るまで約5か月、これら4つの投稿が修正・削除されるような気配はまったくありません。

別に、私は『大島てる』管理人の大島学氏やファンキー中村氏が主導して、
中の島地区を貶めているとは考えていませんし、
そんな証拠がどこにもない以上、そんな事実もどこにもありません。

しかしまぁ、中の島にお住まいの方、特に同じマンションを所有の方は、
明確な因果関係を立証する事は出来ないものの、
こういった投稿が『大島てる』にある事で、資産価値に良い影響を与える事はない訳です。

『大島てる』管理人大島学氏の運営スタンスは高度に一貫しています。
事故が事実であれば、関係者の心情に配慮するのではなく公共の福祉として公開する。
事実ではない投稿でも、コメント等での指摘がない限り、そのまま公開する。

…2ちゃんねるの元管理人のひろゆき氏にも通じるような、
インターネット上の大コンテンツを育てられる方に特有の意思の強さですが、
この件に関してはコメントで指摘があってから約5ヶ月が経っているのに、投稿は掲載されたまま。
しかも、コメントは地図から直接確認する事は出来ず、別ページを開かねばなりません。

これでは自浄作用を期待したり閲覧者の正常な判断を仰ぐ事は出来ないのではないでしょうか。

そして、一つの事実として『大島学』氏と『ファンキー中村』氏は、
複数度に渡ってコラボイベントを開催している
、という事も付け加えておきましょう。

ちなみに平成28年3月26日に開催されるイベントの告知を引用しましょう。

 事故物件とゆうれい噺
  稀代の怪談クリエーターファンキー中村の実話怪談と、
  事故物件検索サイト管理人の大島てるとの一騎打ち!
  現実に存在する”忌地”と、それらに巻き起こる”怪異”とが成す双璧!
  何をお持ち帰り頂くかは、あ・な・た・し・だ・い・・・

なーんだ、本人がコラボイベントに『実話』って書いてるんですから、きっと実話なんですね。
大島学氏も、このキャッチコピーのイベントに主役格として出演するという事は、ファンキー中村氏の話が実話である事を積極的に追認はしているかは兎も角、ある程度の理解をもってコラボレーションしているのでしょう。

ちなみに2ちゃんねるには、ファンキー中村氏の会談が実話か否かを検証するスレッドがあります。
 ファンキー中村の実話怪談を検証するスレ
  http://toro.2ch.net/test/read.cgi/occult/1375874452/

もっとも、別に怪談が実話かどうかなんていう事は、本筋ではないのです。
最初に述べたように、これがあたかも『知られざる真実』であるかのように、
インターネット上に風説が広がってしまうことによって、
中の島地区にとって良くない影響が出ているのではないか、という事を懸念して已みません。

繰り返しになりますが、この記事は何らかの事実関係を断定するものではありません。
くれぐれも邪推しないで下さいね。判明している事実は、下記の事項だけです。
1.投稿者は不明だが、『大島てる』に『ファンキー中村』氏の怪談を根拠とした投稿が掲載されており、投稿へのコメントで指摘があっても半年近く掲載され続けている。
2.投稿者は不明だが、YouTubeに『ファンキー中村』氏の怪談が投稿されている。
3.『大島てる』管理人の大島学氏とファンキー中村氏は、複数回に渡りコラボレーションイベントを開催している。

それ以外の事は一市民の私には知り得ませんし、知るつもりもありません。
ただただそれだけの事ですが、
迷惑を被っている中の島の住民の皆様には、心からお見舞いを申し上げます。

<H27.03.19追記>
 この記事の公開から数時間後、当日の午前中には今回紹介した4つの投稿はすべて削除されました。
 前回と異なり、大島てると名乗る方からのご連絡等はありませんので、
 おそらくは前回のコメントの方は『騙り』だったのでは…と考えています。

 それはそれとして、この記事をどうするのか?というお話ですが、そのままにしておきます。

 と、言いますのは、根本的に『自由な投稿に比して自浄作用が非常に弱い』という問題があり、
 もし、削除依頼を出した所で『削除して終わり』という対応がされるだけで、それ以上の対応が無い事で、
 ユーザーによる虚偽・欺罔など不適切な投稿がなされ続けている、という現状について、
 一般の認知を得なければ、今回のように一つの地域の不動産価値が、
 二年半に渡って毀損され続けるという異常事態が今後もまかり通る事になります。

 勿論、ユーザーが自由に投稿したものについて全ての責任を管理人が負うというのはナンセンスですが、
 ここまでの大コンテンツになり、テレビへの出演や有料イベントの開催をしているにも関わらず、
 自浄作用を高める措置もせずに『指摘されたら削除してお終い』というのでは、
 無責任な風説で資産価値を下落させられた不動産所有者の方と比して、あまりにアンフェアでしょう。

 勿論、私的なコンテンツに対して、あれこれと横から口を挟む正当な権利など、私にはありません。
 ですから、せめて私は私的なコンテンツとして、ユーザーのリテラシーを高める為、
 啓蒙活動としての当該記事を維持してゆこうと考え、この記事を軌道修正をしない事を決めました。

 インターネットは自由な情報発信の場ではありますが、
 この20年であまりに裾野が広がった事もあり、ある種の無法地帯に陥っていると言えるでしょう。
 利用者それぞれがメディア・リテラシーを持って、情報を適切に扱えるようになる未来が実現する事を望みます。

<H30.2.15追記>
 とかなんとか言ってから、もう2年近くが経ちますが、
 大島てる氏はファンキー中村氏とのコラボをしなくなってしまったようです。
 辞めてしまった、というのは語弊があると考えこういう書き方をしますが、
 2016年は一緒に全国を回っていたのに、不思議だなーと思います。
 ◇ 『大島てる ファンキー中村』Google検索
 ◇ 『大島てる ファンキー中村』Bing検索

 まー、客の入りだとか分け前の問題だとか、
 色々な事情があるでしょうから、根拠のない邪推はやめましょう。

 とりあえず元記事を書いて削除された4つのマンションについては、
 本日現在において、誤った情報が復活していない事に安堵していますが、
 誤った情報、いい加減な情報は未だ溢れており、
 これが自浄作用のある仕組みに改められる様子はありません。

 昨年末には大島てる氏に対して殺害予告をした人物に対して、
 警察に通報するほか、自身でも住民票を取得したり自宅を確認するなどして、
 自首を促していたようで、かなりナイーヴに対応しているようです。

 ◇事故物件サイト「大島てる」管理人を殺害予告した犯人逮捕!!
   http://tocana.jp/2017/11/post_15073_entry.html

 勿論、違法行為であるのか否かという事が大前提ではありますが、
 逮捕から数ヶ月経っても犯人の氏名や生年月日を晒し続けているのを見るに、
 人に言うのは好きだけれども、人に言われるのは大嫌い、という性格なのでしょう。

 前回のような例もありますし、私も住民票を取られたりとか、
 手紙が送られたりとか炎上を誘導されるようなことがあるのかもしれませんね。

【関連記事】
◇ 高額で成約したマンションを『大島てる』に事故物件扱いされるの巻
◇ 事故物件扱いされた物件についての『大島てる』氏とのやりとりを公開します
◇ 『大島てる』と『ファンキー中村』は中の島地区の凋落を嗤うか
◇ 事故物件公示サイト『大島てる』への削除依頼の方法とは?

事故物件扱いされた物件についての『大島てる』氏とのやりとりを公開します


この記事は2018年2月13日に新規に書き下ろしたものです。

前回『高額で成約したマンションを『大島てる』に事故物件扱いされるの巻』の最後は、このような締めくくりをしました。

平成27年8月30日追記
『大島てる』氏からの当記事へのコメントでの申し出により、
先方へメールにて物件情報を送信したところ、該当する投稿は削除されました。

削除されるまでにコメントで『大島てる』を名乗る方とやりとりしましたが、
メールとコメントで矛盾する部分が多くあり、
実際に本人だったのか否か、また複数の運営者がいるのか等、
私には判然としない部分が多かったように思われます。

当時非公開だったメールでのやりとりを含め、次の記事に掲載予定です。

当時はこの件について、あまり突っ込んで記載はしていませんでしたが、元の記事を書いて2年半、物件が成約してからかなり経ちますから、この際、『大島てる』氏とのやりとりを直接送ったメールも含め公開し、この件についての私の見解を記述したいと思います。

ブログへのコメントについては従来公開していたもので、私からのメールへの返信はなく、私のメールのみの掲載ですので、文章の使用許諾や著作権云々という問題にはならないものと判断しています。

文書については原文ママですが、着色や下線・強調は私によるものです。

= = = 以下、引用部分 = = =

大島てる 
 大島てるです。

 誤報を削除させて頂きたいと思います。
 物件はどちらでしょうか?

細丼 善太郎 【この道なぁに?in札幌】 
 >大島てる様
 いつも貴サイトを利用させて頂き、ありがとうございます。

 また、誤報の削除の申し出についてもありがたく存じますが、
 本文中でも触れている通り、ここで物件名を明記する事は、
 投稿型コンテンツにありがちな編集合戦を誘発させる可能性があり、
 売主買主双方のお客様にご迷惑となる可能性がわずかでもある以上、控えさせて頂きたく存じます。

 貴サイトへの削除依頼が憚られたのも上記の理由によります。

 メールなどの非公開性が保たれた方法で、削除をお願いしたいのですが、如何でしょうか。

 

大島てる 
 >細丼 善太郎 【この道なぁに?in札幌】さん
 では,公開できる範囲内でヒントをお願いします。

 7月13日付ブログ記事の内容も参考にさせて頂いた上で物件の特定を試みてみます。

大島てる 
 弊サイト中に
  『平成○○年○月頃  事故のあった部屋を格安で売り出していた』
 との記述は見当たりません。

細丼 善太郎 【この道なぁに?in札幌】 
 >『大島てる』様
 先に述べた通り、本件についてはコメント欄で物件名を明示する事はございません。

 >弊サイト中に
 >『平成○○年○月頃  事故のあった部屋を格安で売り出していた』
 >との記述は見当たりません。
 当然、検索してすぐに引っかかるようでは、物件名を秘匿しても無意味ですから、
 貴サイトへの書き込みの内容についても主旨はそのままに言い回しを変更しています。

 現状では、貴方様が大島てる様ご本人であるのか、
 私には特定出来ない状況でございますので、
 貴社のメールアドレス宛に、物件を特定の上、
 当ブログのURLを明記し、メールをお送り致しました。
 ご参照の上、ご対応頂けますようお願い申し上げます。

 今後とも何卒宜しくお願い致します。

【このコメントの直前に後述するメールを送信しています。】

大島てる 
 >細丼 善太郎 【この道なぁに?in札幌】さん
 「変更」ということはそのような書き込みはそもそもないということでしょうか?

大島てる 
 >細丼 善太郎 【この道なぁに?in札幌】さん
 存在しない書き込みの訂正は致しかねます。

細丼 善太郎 【この道なぁに?in札幌】 
 >大島てるさん
 いいえ、ございます。
 『言い回しを変更』と言うのは、
 まったく同じ文言で検出されないよう、
 同義語で置き換えたという意味でご理解下さい。

 貴サイトの該当物件のURLについては、
 info@oshimaland.co.jpへ明示した上でお送り致しましたので、
 そちらをご参照の上ご対応下さいませ。

 実際にご確認頂ければ、
 『言い回しを変更』という表現についてもご納得頂けるものと存じます。

細丼 善太郎 【この道なぁに?in札幌】 
 >大島てる様
 該当物件の記事を削除頂き、ありがとうございました。

 また、本件に関しては、数日に渡り返信が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。

 当ブログは不動産実務に関する実体験を開示することで、
 不動産取引を検討する方や同業者の生きた資料とすべく執筆しておりますが、
 なにぶん個別の事象に関してはすべてを開示する訳にもゆかず、
 物件名を明示して回答する事が出来なかった件についてもお詫び致します。

 もし、大島てる様さえよろしければ、当記事でのコメントのやりとり並びに、
 私から先般お送りしたメールをまとめて、どのような経緯があったか、
 一つの記事としてブログで公開させて頂ければと存じます。
 もし了承を頂けるのであれば、再度コメント頂ければ幸いでございます。
 コメント頂けない場合には、了承がなかったものとして、記事には致しません。

 どちらにせよ今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

= = = 以上、引用部分 = = =

・・・と、ここで『大島てる』を名乗る人物との交信は途絶えます。
このやりとりで私は『コメントがなかった場合には記事にはしない』と書いています。
Σ(゚Д゚;約束破ってんじゃん!

これには理由があります。
今回記事にしたのは、このやりとりと矛盾するメールの内容や、この1年半後、『『大島てる』と『ファンキー中村』は中の島地区の凋落を嗤うか』の経緯から、私とやり取りをした『大島てる』氏はなりすましだったと判断した為です。

というか、『記事にしない』というのは私の一方的な宣言であって、大島てる氏からの意思表示があって何か約束をした訳ではありませんからね。

まず、やりとりの途中で私から送ったメールを見てみましょう。

= = = 以下、引用部分 = = =

弊ブログへのコメントについてのご確認 2015年8月30日 20:06
 株式会社大島てる 代表取締役 大島 学様

 いつも貴サイトを利用させて頂き、ありがとうございます。

 突然メールを差し上げる事をお許し下さい。
 私は札幌市で不動産業を営む傍ら個人ブログを運営している者です

 先月、貴サイトへの投稿内容について触れた記事をブログに掲載したところ、
 『大島てる』様を名乗る方から、ブログで触れた物件はどの物件なのか、
 削除をするために教えて欲しいという旨の書き込みを頂きました。

 私と致しましては、事実関係無根の事とはいえ、
 インターネット上で物件名を明示する事で、
 お客様にご迷惑をお掛けする可能性がある以上は、
 お答えできませんと回答したにも関わらず、
 『大島てる』を名乗る方からは繰り返しコメントを頂いております。

 該当記事
  http://ameblo.jp/sapporo-michi/entry-12049224538.html

 ご本人であるのか特定出来ない状況でこのようなメールをお送りするのは非常に恐縮ですが、
 もし、弊ブログにコメント頂いている『大島てる』様がご本人であった場合には、
 ブログにて触れた物件は下記の物件となりますので、記事の削除を頂ければと存じます。http://www.oshimaland.co.jp/?p=sjgo85r3

 もし、弊ブログへのコメントがなりすましであって、
 本メールにお心当たりがないという事であれば、
 大変申し訳ございませんが、本メールについては無視頂ければと存じます。

 突然の不躾なメール、大変失礼致しました。
 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 細丼 善太郎

= = = 以上、引用部分 = = =

(元記事のURLは現在リンク切れとなっています。)

・・・これは次回の記事とも絡んでくる内容なのですが、
このメールをして、コメントでもメールを送った旨を明示しているのに、
その2時間後も執拗な・・・というか、ある種感情的なコメントをされています。
『「変更」ということはそのような書き込みはそもそもないということでしょうか?』
『存在しない書き込みの訂正は致しかねます。』

どうもしっくり来ない、というのが正直なところです。
また、大島てる氏本人も8月30日以前の27日時点で、
私の記事を『大島てる』名義のTwitterとFacebookでシェアしています。

この記事に関する大島てる氏のフォロワーの人々の感想は非常に好意的でした。

大島てる氏によるこのシェアの仕方やコメントの様子を見るに、
もしかして炎上させようとしたのかな?と思わなくもないですし、
『大島てる』氏は複数人いて、統制が取れていないのかな?とも思うのですが、
それを主張する根拠はどこにもありませんし、邪推をするのは止しましょう。

(炎上させようとしたのかな、とは今も少し思っています。
 と、言うのは、次の記事『中の島』の時にはシェアされず、
 何のコメントもなしに即座に該当の物件が削除されて終わった為です。
 自身に関する記事を必ずシェアする方針であれば、そのようにはしないはずです。)

まー、このようにして自分の中で釈然としないなーという想いがあり、
総合的に判断をして、コメントの『大島てる』氏に対して一方的に宣言した、
『記事にしない』という前提を破って今回の記事をまとめる事にしました。

もし、これらすべての『大島てる』氏が同一人物だったとしたら、
てんでバラバラで一貫しないこれらの対応について公開する事を『大島てる』氏は嫌がるかもしれません。

しかし、ご本人が『他人(ひと)の嫌がる事をやる』事を次世代の創業者へのメッセージとして送っているそうなので、まー、たぶん大丈夫でしょう。

 大島てる氏「私を訴えてくる大家の方が幽霊より怖い」 – ライブドアニュース
  http://news.livedoor.com/article/detail/13615795/

次回は、このやりとりの1年後に書いた記事、
『大島てる』と『ファンキー中村』は中の島地区の凋落を嗤うか』を再録します。

【関連記事】
◇ 高額で成約したマンションを『大島てる』に事故物件扱いされるの巻
◇ 事故物件扱いされた物件についての『大島てる』氏とのやりとりを公開します
◇ 『大島てる』と『ファンキー中村』は中の島地区の凋落を嗤うか
◇ 事故物件公示サイト『大島てる』への削除依頼の方法とは?

高額で成約したマンションを『大島てる』に事故物件扱いされるの巻


当記事は2015年7月13日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

不動産業者の仕事は、取引が終わったからといって完全に終わる訳ではありません。

買主側に付いた場合は、当然その不動産と長く関わって行くことになります。
買主様がお住まいになったり、事務所にしたり、賃貸アパートなら管理受託したり…
お客様との付き合いが続く限り、その不動産とも付き合ってゆくことになります。
最終的には、その不動産を手放す時も、売却を依頼して頂けるなら、
大変光栄なことで、不動産屋冥利に尽きるというものです。

売主側に付いた場合、一旦その不動産とは直接関係が無くなるとはいえ、のちのちのトラブル発生を予見しておく必要があります。
とはいえ、買主側にも業者がいる場合には、こちらから積極的に接触は取りません。
土地を売却した後は、無事に建物が建ってゆくかを見守ります。
建物を売却した場合には、その後問題なく、居住・運営・賃貸しているか、定期的に確認します。

買主側にも売主側にも立つ、『両手』取引の場合には、この両面があるので責任も重大です。

・・・と、毎度毎度前置きが長いですね。

『大島てる』というウェブサイトがあります。
事故物件の情報を広く募っているサイトで、Googleマップから事件事故の情報を閲覧する事が出来ます。

事故物件公示サイト: 大島てる CAVEAT EMPTOR
 http://www.oshimaland.co.jp/

誰でも簡単に投稿出来る為、Wikipediaや2ちゃんねるのようなもの、と言えば分かりやすいでしょうか。
事件事故の情報というのは不動産取引上、不動産屋としては知っておかなければならない事項ですから、
不動産を売買する場合には、出来るだけ見ておくようにしています。

勤め先で管理しているアパートで火災があり、不幸にも入居者が亡くなってしまった事がありましたが、
火災が起こったのが明け方で、朝9時頃にはもう事故情報が登録されていました。
新聞やニュースに掲載された情報に関しては、ほぼ確実に反映されると考えて良いようです。

しかし、事故物件の情報を気軽に投稿出来るという事から、たとえ情報が真実であっても、
不動産価値の下落に繋がる為、掲載して欲しくないという批判もあります
し、
何より、誰でも投稿出来るため、デマやいい加減な情報が多いのも事実です。

既にタイトルに結論は書いてしまっているんですが、
先日、『大島てる』を閲覧していた処、過去に取引したマンションが掲載されていました。

  『平成○○年○月頃  事故のあった部屋を格安で売り出していた』
   ※ 物件が特定出来ないように、細かな言い回しについては若干変更しています。

えっ…もしかして当時、情報を見落としていた…?おかしいなー…
と、よく日時を見てみると、どうやら私が売った部屋の事を言っているらしいのです。

(改めて当時の流通履歴を見直しましたが、その時期に他に売りに出た部屋はありませんでした。)

その物件は、付き合いの古いお客様が所有していたマンションで、
私がこの職業に就いて初めて売却したマンション、かつ、初めて『両手』で成約した物件でした。
(それまでに中古マンション以外の土地や建物の取引経験はありました。)
かなり独特な販売戦略が見事に『当たった』、非常に思い出深い物件の一つです。

では、本当に事故物件だったのかと言えば当然、事実無根です。

まず、前の所有者が貸していた入居者の方は確かにお亡くなりになっていたのですが、
ご病気で病院に入院してでの事ですから、事故物件ではありません。
(通常、事故物件というのは『建物内で』、『自殺、他殺、事故死』されたものを指します。)

また、『格安』というのも大きな誤りで、かなり高額での成約でした。

具体的には当時のの直近の成約実績より2~3割も高額で成約しています。
(これはかなり大々的なリフォームを実施した関係もあります。)
これを機に建築当初からの成約履歴を確認していたのですが、当時築25年のマンションでしたが、成約価格は築10年の頃と同水準でしたから、如何に高額で成約したかが分かって頂けるでしょう。
恐らく、同じマンションの住人が広告を見て相場も分からずに『安い、事故物件に違いない!』と、『大島てる』に投稿したものと思われますが、非常にタチが悪いですね。
『大島てる』は、誤情報で事実確認が出来た場合には削除に応じる事もありますが、ある種の炎上商法で、ないものをないと証明する『悪魔の証明』をわざわざしてゆくのも、火に油を注ぐ行為になりかねないと考え、現在のところ、静観しています。
(時期だけで、号室が明示されていない為、無いものを無いと示しづらい、という面も…)

また賃貸物件の募集広告『告知事項あり』と記載されていたことを根拠に、
『大島てる』への登録を行なっている方もいるようですが、
『告知事項あり』は必ずしも事件事故による心理的瑕疵物件に限られた記載ではありません。

 

『大島てる』は、非常に意義があるサイトだと考えていますが、
このように、利用する際には、インターネットリテラシーが必要になりますね。

一般の方が不動産の購入をする際に参考にすることも多々あるとは思いますが、
せいぜいWikipediaや2ちゃんねる程度の信憑性、と考えておきましょう。
(まー、Wikipediaの信憑性についてもかなり誤解している方も多いようですが…)

平成27年8月30日追記
『大島てる』氏からの当記事へのコメントでの申し出により、
先方へメールにて物件情報を送信したところ、該当する投稿は削除されました。

削除されるまでにコメントで『大島てる』を名乗る方とやりとりしましたが、
メールとコメントで矛盾する部分が多くあり、
実際に本人だったのか否か、また複数の運営者がいるのか等、
私には判然としない部分が多かったように思われます。

当時非公開だったメールでのやりとりを含め、次の記事に掲載しています。

【関連記事】
◇ 高額で成約したマンションを『大島てる』に事故物件扱いされるの巻
◇ 事故物件扱いされた物件についての『大島てる』氏とのやりとりを公開します
◇ 『大島てる』と『ファンキー中村』は中の島地区の凋落を嗤うか
◇ 事故物件公示サイト『大島てる』への削除依頼の方法とは?

マンション管理適正化法は、中古マンションの流通をまったく適正化していない!

関連記事
 ◇中古マンション売買における『重要事項に係る調査報告書』とその実務上の問題点
 ◇プロを気取った小僧、マンション管理会社にまんまと騙されるの巻①
 ◇プロを気取った小僧、マンション管理会社にまんまと騙されるの巻②
 ◇プロを気取った小僧、マンション管理会社にまんまと騙されるの巻③

さて、中古マンションの流通の重要な役割を担う『重要事項に係る調査報告書』は、
通常マンションの管理会社に属する管理業務主任者が作成しますが、
現状ではその内容に問題があるケースが多い、というお話を展開してきました。

今回は管理会社と管理業務主任者の問題を制度的な観点から見てゆきましょう。

マンションの管理会社と管理業務主任者の法的な根拠は、
平成13年施行の『マンションの管理の適正化の推進に関する法律』によります。
この、略称『マンション管理適正化法』の根底には、

マンションの管理組合を管理会社から保護しよう、という理念があります。
具体的には、マンション管理組合との契約の際には重要事項説明を行う事や、
修繕積立金などを始めとする財産の管理や会計処理について定められています。

一方で、マンションを新たに買おうとする消費者の保護までは考えられていません
例えば、国土交通省では違反行為について監督処分の基準を公開していますが、
この中でマンション管理組合との契約の際に管理業務主任者が作成・説明する『重要事項説明書』に、誤りがあった場合には業務停止処分が定められていますが、『重要事項に係る調査報告書』の記載に誤りがあった場合の罰則については、定められていないようです。
一部、第79条『書類の閲覧』による罰則に該当するかもしれませんが、
それにしたって業務停止処分ではなく、指示処分ですから、扱いが非常に軽いことがわかります。
  http://www.kanrikyo.or.jp/format/pdf/tsuutatsu/2011shobunkijun.pdf

また、ここまでにも何度か例に出して来ましたが、
取引対象となる部屋を含めた各室内の状況についての確認に対して、
あくまで共用部のみの管理を受託しているのであって、

専有部(各室内)を管理しているのではないから、その質問に対して回答する必要がない、というのは一つの考え方でありますが、
多くの管理会社はこれを業務の省力化のための方便にしているフシがあります。
 
マンションを購入するお客様は利害関係者ですから、
詳細な情報は示せないまでも管理会社が過去に問題を知り得ているか否か』程度は、購入者に対して開示する義務があると思うのです。
 
例えば土地の売買の場合宅建主任者がこんな事情を買主様に知らせずに仲介した場合には、宅建業者には重要事項説明義務違反として責任を負わされるケースがあります。
 ・暴言や威嚇を伴うご近所トラブルを知りつつ、それを買主に知らせなかった。
 ・近隣に反社会的勢力(暴力団等)の事務所があるのを知りつつ、それを買主に知らせなかった。
 ・過去に殺人事件事故があったことを知りつつ、それを買主に知らせなかった。
 
また、以上の例では『知りつつ、知らせなかった』ケースを取り上げていますが、
『知らなかったので、知らせなかった』場合でも『調べて知っているべきだった』と判断される場合があります。
(例えば、プロが少し注意して調べれば明らかに分かる、というような場合。)
 
一方で『ちょっとやそっと調べても分からない』ような情報については、
宅建主任者が知らなかったことに対する責任を追及される事は、少ないと言えるでしょう。
 
これに倣って言えば、管理業務主任者についても、
取引対象となる部屋に影響するような周辺環境や事件事故の履歴は、当然に明らかにすべきでしょう。
 
宅地建物取引主任者に比べると、管理業務主任者の方がはるかに新しい資格ですから、
まだ十分に制度が醸成されていない、といえるかもしれませんが、
管理業務主任者が作成した『重要事項に係る調査報告書』をもとに
宅建主任者が『重要事項説明書』を作成することを鑑みれば、
そういった怠慢がマンションを中古で購入する方へ与える被害は甚大なものです。
 
もちろん、マンション管理会社の顧客は各マンションの管理組合である訳ですから、
まだ所有者ではない購入希望者を何もかも最優先する事は出来ないにしろ、
購入希望者が安心して購入できるようにする環境づくりをする事で
結果的に将来の管理組合の構成員を大事にし、そのマンションの流通価値を高める事にもなるのです。
『マンション管理適正化法』ですから、流通に主眼を置かないのも分かりますが、
現状の管理会社のマンション流通に対する在り様は、あまりにもずさんに過ぎます。
国交省は『重要事項に係る調査報告書』の重要性を考慮し、もっと制度化を進めてゆくべきだと思います。

当記事は2015年3月31日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。

プロを気取った小僧、マンション管理会社にまんまと騙されるの巻③

さて、前回、前々回、に続き『重要事項に係る調査報告書』の誤記載に騙されてしまったお話。
  ◇中古マンション売買における『重要事項に係る調査報告書』とその実務上の問題点
 ◇プロを気取った小僧、マンション管理会社にまんまと騙されるの巻①
 ◇プロを気取った小僧、マンション管理会社にまんまと騙されるの巻②

事例の二つ目は、『建物の不具合』についての問題。

 
売却を受託したマンションの一室を内覧させて頂いた際に、
室内を注意深く観察していると『ある不具合』があるのでは?と感じたので、
売主様に『こんな不具合ありませんでしたか?』と確認すると、
『よく分からない』『特に気付かなかった』という回答。
…判定が難しい不具合のため、住んでいるだけでは分からない事も多いのです。
 
私自身も、確たる証拠がある訳ではないので、まずは不具合の可能性を認識して、
その日の段階ではまだ荷物も搬出出来ていなかったので、そこまでとしました。
 
後日、管理会社に『重要事項に係る調査報告書』を請求するにあたって、
私は、『事件事故の履歴』『近隣トラブル』『暴力団の入居』などと併せて、
その部屋を含め、同一のマンションの共用部や他の部屋で過去に『ある不具合』の記録がないかと確認しました。
 
すると、先方から返って来た『重要事項に係る調査報告書』への記載は、こんな塩梅。
その部屋の不具合については所有者(売主)から報告を受けていないため、不明です』
うーん、怪しい。
と、言うのは私が確認したのはその部屋の事だけではなく、
マンションの共用部や他の部屋についても確認しているのに、
その点についての言及が一切ない、というのは他の箇所に不具合があるのでは?と考えたのです。
 
他にも不明点や不備箇所があったため先方の管理業務主任者に、
『その部屋の事は分かりました。他の部屋では不具合はないんですね?と確認すると、
向こうは『管理会社として、他のお部屋でそういう事があったとは聞いていません』との事。
とっても胡散臭いのですが、相手がそう言い張っていて、証拠がない以上、どうしようもありません。
 
そして後日、売主様が荷物を搬出した後、鍵を預かって数日かけてじっくり確認してみると…
やはり『ある不具合』が発生していることが判明しました。
 
その不具合の解消のために色々と管理会社へ働きかけたり、
今後の対応について検討するために様々な調査を重ねてゆくうち、
他の部屋にも『ある不具合』についての苦情が出ている事が判明しました。
しかも、その苦情について、先方の管理業務主任者が対応していたとの事。
 
つまり、『他のお部屋でそういう事があったとは聞いていません』というのは真っ赤なウソだったのです。
 
こちらは私も薄々感じていたので、『騙された』という訳ではないかもしれませんが、非常に悪質な不具合隠しの虚偽記載ではあると言えます。
 
今回のケースの場合、原因は以下の3点。
 ①管理会社へ口頭での確認もしつこく行ったが、管理会社が虚偽を答えた。
 ②売主も『ある不具合』を認識していなかった。
 ③『ある不具合』は即座・明瞭に判明する種類の不具合ではなかった。
 
ここまで来ると、もう現地を検査する以外に見破る術はありません。
 
このマンションとこの管理会社についてはこの問題以外にも、
色々と手を焼かされて大変苦労しましたが、無事に成約して数年が経ちますがトラブルにもなっていません。
後日、管理会社にはオトシマエを取って貰うべく、行政官庁に報告をしてお灸を据えてもらいました。
ただ、故意ではない事という主張が認められてしまい、また、我々不動産仲介業者は当事者ではないという理由から行政処分には至りませんでした。
このように、マンションの管理業というものは行政的な縛りが非常に緩く、大手業者もいい加減な事をやって開き直っている、非常に危険な業界です。

元記事を書いた2015年3月の翌月4月には、大手管理会社『北海道ベニ-エステート』の社員による1.8億円もの着服が発覚しましたが、これは氷山の一角にすぎません。
(ちなみに同社は2年後の2017年4月に『三菱地所コミュニティ株式会社』に合併されています。)

実質的な法規制がない『重要事項に係る調査報告書』については、かなりいい加減な処理がされており、仮に誤りがあったとしても管理会社は開き直り、責任を負わない事が大半です。

消費者としては、これを回避することは、非常に困難です。
宅地建物取引士はこのような実情を強く認識した上で、消費者保護のために、
きちんとした裏付け調査を行ってゆく必要がありますが、
今回取り上げた事例のように宅建士が努力をしてもどうにもならない部分が多すぎますから、まず第一に、国による法規制が最も重要であると考えます。

当記事は2015年3月30日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。