=前回のあらすじ=
片道2時間掛けて夕張に出向いたら、駐車場には人っ子一人いませんでした。
看板には『石炭の歴史村駐車場』という記載があります。
いくら郊外の地味な郷土資料館でも、ここまで人の気配がないのは異常です。
年甲斐もなく軽いパニックを起こしてしまいました。
周囲を見回し、歩き回ってみます。
廃業した店舗の裏に、数台の車と2台の観光バスが停まっています。
写真で見たことのある入口部分にキャラクターの『ゆうちゃん』がいます。
なるほど、ここから歩いて入っていくのか・・・随分歩きそうだな・・・
と、『博物館駐車場はこの奥です』というこじんまりとした看板が。
一回エンジン止めて歩き回らないと見つからないって導線悪すぎでしょ(; ・`д・´)
気を取り直して一車線しかない通路を進んでゆくと、奥に駐車場がありました。
駐車場にはそれなりに車が停まっており、誘導員の方も何人か。
その誘導員のうち一人だけでも表に出て案内してくれれば助かるんだけど・・・
(いや、看板がもう少し分かりやすいだけで良いんですけどね。)
さて、夕張の名物『立坑櫓』が近づいて来ます。結構距離がありますね。
さて、しばらく歩くと『石炭博物館』に到着です。
雨の中、傘をさしながら急ぎで撮影した為、写真全般がピンボケですみません。
館内に入ると、巨大なエアーコンプレッサーやら石炭オブジェやら、
リニューアルオープンを祝う関係者からの花輪が飾られていました。
入館料は夕張市民以外は大人1080円、結構高額ですが、
これでも以前よりは安くなっているようです。夕張市民は当面無料とのこと。
無料で入場出来る1階は特別展『バリバリゆうばり』。名キャッチコピーです。
炭鉱の頃から財政破綻に至るまでの夕張の歴史を簡単に紹介するパネルと、
石炭の歴史村の歴代のポスターが展示されており、
プロジェクターでは過去の映像が上映されています。
・・・感想という感想はありません、まーこんなものか、という。
問題点に関する改善案や提言については別途記事をまとめる予定です。
さて、有料区画である2階に移りましょう。
リニューアルに関する各種報道写真などで使われている部屋です。
新しい夕張のキャッチコピー『RE START!Challenge More!』が前面に押し出されています。
壁面の各パネルでは夕張市の概要について紹介されています。
この部屋を抜けると、黒いスクリーンに昭和の映像が流れているエリア。
ここには昔、石炭の元となったメタセコイヤの樹などが飾られていたそうですが、現在は昭和の映像の他、ガイドの自己紹介などが上映される、とのこと。
暗いだけなので写真は撮影していません。
続いて、常設展示のメインのスペース。夕張の歴史が紹介されています。
リニューアル前に大量にあった展示物をスリム化し、今風の見た目にしたとの事。
まぁ今風でオシャレ、というのは確かにそうだと言えます。
ネットで郷土史マニアや鉄道マニアの方の感想を見る限りでは評判は良くありませんが、まー、マニアの意見だけ聞いていても良くなるものではありません。
ただ、ちょっとパネルの文章が拙いのと読みづらいとは感じました。
白い壁面に夕張市の人口と石炭の採掘量を示す折れ線グラフが書かれています。
ただ、かなり長い区間に渡って書かれているので、上下動がピンと来ません。
2階の常設展示を見終えると、『立坑櫓』の下のエレベータに到着。
ここから1000mの地下に下りて炭鉱を探検するというストーリーです。
エレベータ内ではそのストーリーを説明するアナウンスが流れ、
真っ暗になり、炭鉱を降りていく映像がエレベータ内に映し出されます。
動画を撮っているので、是非公開したいところですが、
このサーバのアップロード制限によって叶いませんでした。
これは現地に行ってのお楽しみ、という事で。
地下には、明治から昭和までの時代ごとの炭鉱の風景が、
セットと蝋人形、小道具によって再現されています。
バブル前夜に多額の費用を掛けて制作したであろう展示は、
見応えがあり、(古びてはいても)今見ても高いクオリティであると言えます。
ボタンを押すことで炭鉱の人々の会話や、作業音などの音声が流れる展示です。
更に奥には、昭和の作業機械で石炭を掘削し、運搬する風景。
掘削・運搬する作業機械は定期的に轟音を立てて作動します。
結構短い頻度で作動するは、連休だからなのか、いつもなのか分かりませんが、
常にこんな頻度で作動しているとすれば、電気代はとんでもなくかかりますね。
面白いですし、見応えはあります。
そしてその最奥は、今回3年ぶりに公開するという『模擬坑道』です。
国の有形指定文化財で、過去に坑道として利用されていたものを、
『北海道炭礦汽船』が鉱員の研修や見学用として改築したものだそうです。
階段を下りてゆくと古びたレンガの壁が現れます。
古い建築物が好きな人にはたまりませんね。
その下は、割とこぎれいな木材(レプリカ?)で補強された公道になります。
ここが最も改修された部分のようで、工事関係者によると結露が酷く、
古い写真を見ると木部も真っ黒になっていて、かなり印象が異なります。
『鉄柱カッペ』と呼ばれる支柱に支えられた坑内を下る階段は、私が一番心惹かれた光景です。
巨大な採掘機械が石炭を掘削・運搬する情景を再現しています。
この他にも作業用機械などが展示してありますが、石炭を運び出すトロッコと並走する長距離の階段を上がり、展示は終了。
出口の脇には昭和13年に大事故が起こった『天竜抗』の入り口があります。
・・・という事で、この度リニューアルされた『夕張炭鉱博物館』について、
一通り見て回ったレポートをまとめてみました。
今回の記事中でも多少触れていますが、まだまだ課題が多い博物館であるというのが正直な感想であります。
今年から指定管理者となった『NPO炭鉱の記憶推進事業団』も、夕張市長の鈴木直道氏も、『これからの博物館』『不完全な博物館』というような事を言っていますし、予算が潤沢ではないであろう中で、あまり高望みをすることも出来ない事は理解出来ます。
しかし、これにロジカルに苦言を呈する人がいなければ、ずっと今のまま改善されず、それこそ税金の無駄遣いでしょう。
で、あれば、このような場末のブログではありますが、私の考える処の改善案というものを、後日まとめてみたいと思います。
それを見た方も同じ意見を持って頂ければ、いつか運営側も気付くでしょう。
次回、とも、いつ、とも確約は出来ませんが、現在、文章をまとめている処です。
◇シリーズ『夕張市炭鉱博物館』【前段】
◇2018年4月末にリニューアルした『夕張市石炭博物館』に行ってみた
◇『夕張市石炭博物館』の問題点と改善に関する提言
◇『夕張市石炭博物館』リニューアル1年に満たない火災でこの後『夕張石炭の歴史村』はどうなるの?『ふるさと納税』での応援はどうなの?
出生地が 夕張なので 昔からいってみたいと、想像しておりました。来年、還暦なので訪れてみたいです。両親は祖母と共に 夕張で
新婚生活を送っていたときいており 義母の家でお産したので
私の出生地が 夕張なのです。
両親は、東京の大学で知り合いました。私が産まれて半年で、又
東京に 戻ってきてしまい 58年が経過してしまった次第です。
>ハワイアンパンチさん
思い入れの深い土地がこのような取り沙汰され方をする複雑な心境をお察し致します。
当時の夕張は戦後とはいえまだ石炭の採掘が盛んで、人口も多かったものと思います。
諸行無常は世の常とはいえ、世知辛いものです。
しかしながら、思い出の土地というものは一度訪れなければ、
気持ちを整理することも難しいでしょうから、一度訪問されることをお薦めいたします。
北海道の谷地なので、夏は冷涼で過ごしやすい環境です。