KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

さて、前回『北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る』では、
『大曲』という地区の由来となった大きな曲がり道とその歴史的経緯を紹介しました。

また、現在の国土地理院の『電子国土基本図』にはうっすらと『大曲』の形状が残っている事を紹介して記事を終えました。

さて、『大曲』の名称の由来になった旧大曲橋周辺は現在どのような姿になっているのでしょうか?
まずは手っ取り早く、平成後半の航空写真を見てみましょう。

こちらもうっすらと形状が残っていますね。
Ωの窪みには赤い屋根と青い屋根の2つの倉庫のような建物が建築されています。
Googleアースで立体的に見てみましょうか。

前回解説したように、大曲川には高低差がある事が分かりますね。
札幌と北広島を結ぶ清田橋はかなり高い場所に建設されています。
そして、赤い屋根と青い屋根の2つの建物の形状についても大枠が分かります。

それでは、現地を見てゆきましょう。

里塚2条7丁目美しが丘1条10丁目の間を国道36号線が走っています。
里塚側にはマクドナルドやイエローハット、ボストンベイクなどが立ち並び、美しが丘側にはコストコがある、と言えば分かりやすいでしょうか。
札幌側で最も『大曲』に近いボストンベイク里塚店から建物を見下ろしてみましょう。

ふぅむ、なかなかの廃墟っぷりですね。
一方で、倉庫前には伐採された木が積まれており、利用されているようにも見えます。
次に清田橋の上から眺めてみましょう。

庇が剥がれて骨組みだけになっており、シャッターには落書きがあります。
写真では反射してよく見えませんが、看板には『㈱三和自動車』と書いてあります。

自動車整備工場で中古車販売や事業用自動車のリースなどを行っていたとのことで、現存する東京本社の同名の会社とは関係がないように見えます。
・・・っと、看板をお見せする為に順序を無視して建物前の写真を貼ってしまいました。


清田橋からは、ボストンベイクからの脇道で『大曲』へ入っていく轍・・・砂利道が見えます。
では、その砂利道に入ってゆきましょう。

やはり車が通っている痕跡がありますね。利用されているようです。

先ほどの前面からの写真もそうですが、かなり荒廃しています。
近付くのが危険な様子がありありとお分かり頂けるでしょう。
それ以前に廃墟であっても建物への侵入は刑法130条に規定する建造物侵入に該当しますから、入ってはいけません。

さて、『大曲川』の様子を見てみましょうか。 

下水道の整備や治水によって水量はそう多くありません。
北広島側の対岸には白い建物・・・『ウィズハウス清田』があります。
運営会社のサイトによると平成20年オープンとのことです。

北広島側の対岸に移りましょう。
先ほど見えていた『ウィズハウス清田』を国道36号線とは逆から見た写真です。

ここから坂の下を見てみるとアスファルト舗装道から、左手に小さな砂利道があります。

これが『大曲』へのルートの一部な訳ですね。


砂利道の奥には60坪ほどの広場があります。


対岸には青い屋根の倉庫の一部とボストンベイクの建物が見えますね。

最後に平成2年の住宅地図をお見せしましょう。まだ工業用地だった頃ですね。

かつて交通の難所として知られた『大曲』昭和28年の室蘭街道のアスファルト舗装による整備・・・弾丸道路の開通によって、その役目を終えました。
しかし、100年近く・・・江戸時代以前を考えればそれ以上に渡って使われてきたその痕跡は、60年を経てもわずかに残されています。

いずれこの痕跡は薄らぎ、消えてゆくのでしょうが、現時点での記録とこれまでの記録の集積という意味でこの記事を作成しました。
『大曲』について色々な場所で書かれてはいますが、イモ判のように横並びのコピーではなく、別の切り口からしっかりとしたコンテンツを提供して行きたいと考えています。

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