KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る

シリーズ『北広島』
 ◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
 ◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
 ◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
 ◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
 ◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
 ◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
 ◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
 ◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿

さて、北広島市の歴史についてはずいぶんと長らく紹介してきましたが、北広島市が2つに分裂した状況になった原因をざっとおさらいしましょうか。
 ①明治17年、和田郁次郎氏は稲作を行う為に北広島に入植した。
 ②当時、北広島は輪厚官林、島松官林、野幌官林に囲まれ、
  現在の中心地以外は開拓が許可されなかった。
 ③明治27年、輪厚官林と島松官林が解除され、開拓が始まる。
  中心部と大曲の『2つの北広島』が並立するようになる。

ここから、更に西の里を加えた『3つの北広島』になっていく訳ですが、今回はこの2つ目の北広島、『大曲』について紹介してゆきましょう。

そも、『大曲』とは何なのでしょうか。
『北広島市歴史遺産ハンドブック』には以下のように紹介されています。

また、北広島市のHPでは同様の文と一緒にこの画像が添えられています。

・・・え~と、インターネットに転がってる資料はこれだけです。
北広島市の2大エリアの一翼に関しても扱っているコンテンツはほとんどない訳ですね。
とはいっても所詮人口6万人の自治体の一部にすぎませんから、需要を考えればこれは仕方がないのかもしれません。

とはいえ、この2つの資料だけでは何が何やら分かりません。
郷土史の中でも、抽象的な表現とあいまいな図形だけで、イメージが付きづらいのです。

国道36号線の過去のルート『旧道』をご存知ですか?』で紹介した画像を見てみましょう。
昭和22年の航空写真です。

現在のルートと過去のルートを比較した地図です。

札幌と北広島の間にある厚別川を渡るΩ状のしこり『大曲』です。
厚別川の谷地は(現在も)かなり広く・深くなっており、これを渡る為には、一度谷底まで下りて、川を小さな橋で向こう岸まで渡り、向こう岸でまた谷底から登らなければならなかった訳です。

大正5年の大曲の姿を見てみましょう。

谷を降りきった北端には『大曲橋』という橋がかかっています。
同名の橋が平岡~大曲間の大曲通を走っていますが、これは関係ありません。
等高線を見るとかなり高低差がある事がわかり、周辺は広葉樹林になっている事が分かりますね。
わずかながら、道沿いにいくつか建物が建っていますね。

Ωの途中から右上に伸びていく線は『大曲道路』道道1080号線で、和田郁次郎氏が開拓した北広島中心部につながる道です。
『大曲』という地名自体は明治時代からあるようです。

さて、次は戦後昭和22年、先ほどの航空写真を拡大してみましょう。

森!という感じで、『開拓された』と言っても実際にはほとんど切り開かれていない事が分かりますね。
これはこのエリアに限らず、札幌市内でも同様で昭和30年台までは人口密度は非常に低かったのです。

近い年代の昭和27年の地形図も見てみましょう。

少し小奇麗になったようで、Ωの先端には何らかの建物も書かれています。
近い年代でも、航空写真と地形図では印象が違いますね。

次は昭和30年代・・・1960年代の航空写真を見てみましょう。

『大曲』が消えた!Σ(゚Д゚;
実は先ほどの航空写真・地形図の後、昭和28年『弾丸道路』が開通します。
これは米軍の要請により最新の技術であるアスファルト舗装がされた片道1車線・2車線の道路です。
それまでは『舗装』と言っても砂利での舗装が通常ですから、自動車での高速での通行が可能であることから『弾丸道路』と呼ばれた訳ですね。

大曲の急カーブを舗装するよりは鉄骨で巨大な橋を作った方が合理的だったのでしょうね。
ここで厚別川に架けられた橋を清田橋と言い、大曲橋ではなくなってしまいました。


札幌オリンピックの前後、1970年代には、両岸の開発がかなり進んでいます。
札幌市側は工業地域として、北広島市には住宅地となっています。
現在の『大曲並木』エリアですね、町名が付いたのは平成9年の事です。


昭和60年代≒1980年代の写真でもう~っすらと『大曲』の痕跡が見えます。
現在の地形図である電子国土基本図においても、同様に『大曲』の形状が見えています。

・・・かつて交通の難所として知られた『大曲』と呼ばれた箇所は戦後、清田橋によって通行に供されることはなくなり、その痕跡も薄らいでいます。
かつての『大曲』は現在、どのような状態になっているのでしょうか。

次回『KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿』で紹介してゆきましょう。

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