当記事は2014年05月02日および2014年07月08日の記事を再編したものです。当時の記録を残す為、表現等は原則的に当時のものを優先しています。
今回紹介するのは決定番号:調15『石山六区西地区』です。
地区計画の範囲はこんな感じ。
Googleマップはこんな感じ。
札幌市民であれば『石山』という地名は、一応知っているという方も多いでしょう。
国道230号線『石山通』は、中心部と札幌の温泉地『定山渓』を結ぶ幹線道路で、札幌市の道路の中では有数の知名度がある『道』だからです。
中心部から定山渓までの地名は下記のようになっています。
南○条西○丁目→|→川沿→石山→藤野→簾舞→|→豊滝→小金湯→定山渓
札幌市南区の郊外は、傾斜地ではあるものの古くから安価な住宅街として造成され、多くの人が住んでいますし、その中では『石山』は比較的中心部に近いエリアです。
公共交通機関はバス以外にはありません。
かつては『定山渓鉄道(じょうてつ)』が現在の石山通に沿って敷設されており、
これらの地区も、当初の段階では定山渓鉄道があって発展してきたのですが、昭和44年に廃線となり、以後、札幌に私鉄は存在していません。
(より正確に言うと、定山渓鉄道の廃線と、この地区の『宅地化』は順番として若干前後するようです)
現在の『石山』は旧・定山渓鉄道『石切山』駅を中心とした一画です。
(お察しの通り石山という地名は採石場があることから付けられた地名です。)
石山通にほど近い部分には住居表示が実施されており、石山1条~4条に区分されていますが、石山通から離れた南側の部分は住居表示も実施されていない市街化調整区域の広大な範囲となります。
『南区石山』の範囲はこんな具合に相当広いのですが、南北に走る市道『石山穴の沢線』以外の部分は、殆どが山である、というのが実態です。
そんな中『石山六区』とは何かというと、住居表示が実施される前、この地区の地名は『石山○区』という風に区分されたものが、取り残されているものです。
現在の石山一条~石山四条、また石山東に改編された市街化区域の部分と、市街化調整区域として住居表示が実施されず、単なる『石山』のままとなっている部分に分かれます。
石山は一区から八区まであったのですが、このうち人が住み続けている石山六区地区だけがバスの路線名や地区計画などで地名に残っています。
勿論、地元の方はいまだに『〇区』と呼ぶこともあるようですが、バス停からも『〇区』という呼称は絶滅しており、公式に使われているのは石山六区だけであるようです。
詳細については末尾で項目を設けて紹介しています。
中央バス『石山六区』停留所や『石山六区会館』は、今回の地区計画『石山六区西地区』の区域より、
もっと南側にありますから『石山六区』という地区を考えた場合には、これもかなり広い範囲であるという事が出来るでしょう。
さて、現地は『石山穴の沢線』の西側と東側に分かれ、東側には河川『穴の川』が流れています。
西側はかなり急な坂道となっており、二本ある道路(どちらも『石山77号線』)のうち、
北側に関しては、冬の間の通行は禁止されているようです。北側には建物も殆どありません。
東側に関してはゆるやかな傾斜になっており、そこそこの密度で住宅が建築されています。
新しい建物や、売地もちらほらとあるのは、この地区計画が決定された結果の事でしょう。
穴の川は『砂防指定地』となっています。
これは山の崖崩れや川の氾濫の恐れがあるため、土を掘ったり盛ったりしてはいけませんよ、という地域です。
既存の敷地をそのまま使う分には影響がありませんが、土地の形を大きく変更する場合には制限がかかります。
地区計画の目標は以下の通り。
当地区は、都心部より南方約12㎞の市街化調整区域に位置し、
昭和42年及び45年に道の位置の指定を受けた道路によって構成される一団の地区であり、
現在、比較的良好な住宅市街地を形成している。
そこで、本計画では、地区の特性に応じた土地利用と建築物等に関するルールを定め、
現在の良好な住環境の維持増進を図ることを目標とする。
『既存宅地制度の代替としての建物建築可能な地区計画』です。
これは再三取り上げてきましたが、既存の土地所有者に対する救済措置という意味合いが強いものです。
そもそも、当時建築可能だった土地が、昭和43年の都市計画法の制定によって、市街化調整区域という区割りとなり、建替や新築も出来なくなってしまった、という事情があり、かつ、これをそのままにしておくと高齢化によって限界集落のようになりかねない、という配慮から、建物の再建築が可能なように地区計画を設定しているのです。
しかし、これって市街地を密集させて効率的な都市運用を行うという、
『都市計画法』や札幌市の『コンパクトシティ構想』や『都市計画マスタープラン』とは真逆の発想です。
この地区計画を決定する前段の『都市計画審議会』の議事録を見てみると、
この点について、市の職員に強く問題提起をしている市民委員の方がいます。
氏名を検索すると有限会社 市村都市環境研究所の代表者 市村一志氏のようです。
第26回 自然エネルギー普及 市村一志さん|札幌人図鑑
また、その際の議事録は第22回(事前説明)、第24回(本決定)から見る事が出来ます。
まー、このような問題提起をしても、審議会の議題に上る頃には、
住民説明会も済ませてしまっていて、根回しは万全な訳で、賛成多数で採決され、現在に至ります。
デュープロセス(適正手続)というのも、なかなか難しいものだなぁ、と実感します。
あ、今日は思いのほか長くなってしまい、いつものを忘れていました。
実際の制限の内容については札幌市HPのPDFファイルを参照して下さい。
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決定:平成16年10月8日 変更:平成18年3月31日の地区計画資料を基に記述しています。
今後、地区計画について内容やエリアの変更がある場合がありますので、ご注意下さい。
【石山一区~八区の区割りについて】
石山六区というのは、旧来の住所区画による呼称であるというのは前述したとおりですが、それでは、石山一区って具体的にどこなの?何区まであるの?
当然の疑問なのですが、実はこれを容易に調べる事は出来ません。
『石山○区』というのは旧地名ですが、あくまで俗称であって、正式な行政区分ではありません。
では、どうやって調べるのかといえば、名前の残っている町内会から調べてゆくのです。
石山二区町内会、石山三区町内会など、区制の名残は今は町内会にだけ残っています。
とはいえ、町内会も統廃合や名称変更がありますから、そこはちまちまと家系図を追うように、データを抽出した上でマッピングをしたのが、この地図です。
具体的な施設や道路を挙げるとこのような区分になります。
石山一区…藻南公園、啓北商業高校
石山二区…石山郵便局、旧定山渓鉄道石切山駅
石山三区…石山小学校、石山消防局
石山四区…国道453号線『真駒内通』の東側、現在の『石山東』
石山五区…石山南小学校、石山中学校
石山六区…市道『石山穴の沢線』の東西に渡る広大な地域
石山七区…現在の石山3条5丁目、石山3条6丁目
石山八区…石山開拓神社、介護施設『静山荘』『和幸園』
こうしてみると、現在の石山の住宅街は石山五区が中心となっていて、旧定山渓鉄道の頃の中心地、石山一区と石山二区は若干なりを潜めています。
・・・こうなったのは国道230号線『石山通』のルートによる処が大きいのでしょう。
恐らく大きな誤りはありませんが、他で分かりやすい地図などがあったら教えて下さい。
市内中心部であればまだ資料が出てくるのですが、郊外の古い地名や俗称については、なかなか洗い出しが難しく、石山の区制について取り上げている資料など、簡単には見つけられません。
今後もインターネットに上がらないマイナーな郷土史を編纂してゆければと思います。
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