『市街化調整区域』について定期的に紹介しているために、『市街化調整区域』の処分に困った皆様がよくご覧になっているこのブログですが、そもそも皆さんが『市街化調整区域』を何故持っているのかというと、大きくは下記のいずれかの理由によるものでしょう。
◇先代や先々代などの親族が過去に購入したものを相続した
◇法人が過去に事業として買ったものが残り続けている
だって、自分で買ったものなら覚悟か諦めがあるでしょうから。
『E-6 市街化調整区域の土地を捨てたい!』で紹介したように、不動産の所有権を放棄するというのは実はとっても面倒な事だったりする訳で、そうすると『何でこんなものを買ったんだ!』という恨み節も出てくる訳です。
…と、言う訳で、過去の人々が市街化調整区域の購入に至った背景を紹介しましょう。
特に札幌市内において分散して保有されている市街化調整区域は、昭和30年代から昭和40年代にかけて分譲されたものが大半を占めます。
後になってみれば、いわゆる『原野商法』そのものなのですが、昭和50年代以降、バブルの頃の原野商法とはまた毛色が違い、単純に詐欺と断ずる事が出来ない側面もあります。
どんな風に分譲がなされたかと言うと、当時の広告媒体は新聞広告が主だったようです。
新聞や交通機関の吊広告を見て、分譲業者の営業マンに会うと、
と、こんな風な公図と地積測量図を見せられて、
『こン辺もそんうち道路が通って街ンなって値上がりすっべ』
とか何とか言っちゃって、財テク的に買ってしまったケースもありますし、
『今は村サいるけど、老後は札幌サ引っ越すべ』
というように、市外にお住まいの方が老後の為に購入したというケースもあります。
この場合、現地を見たことがないケースも多々あったようです。
どちらにせよ、それらの分譲地は当時から原野だった訳で、市街化による値上がり期待があったことだけは間違いありません。
現に原野や田畑であった土地が市街化されて財産を築いた方も多くいる以上、正直、売り手に悪意があったのか否かは当人でなければ分かりませんし、当時の時代性を考えると、何が正しかったのかという事は、断言出来ません。
特に昭和30年代の取引については、都市計画法制定の以前ですから、分譲を行った側も騙そうという意識はあまりなかったのではないかと思います。
しかし、そういう場合であっても、位置指定道路は申請されている場合が多いので、位置指定道路の申請や整地を行なっておらず、ただ分筆だけして分譲したものについては、個人的には若干意図的にやったんじゃぁないかなーという感想もなくはありません。
勿論、平地ではなく山林や急斜面の土地を長方形に区画している場合には、時期がどうだろうが詐欺でしかないのですが。
また、札幌周辺では昭和43年施行の都市計画法に基づき、昭和45年には線引きが実施されていますから、その前後に取引がされたものについては、犯意のある『原野商法』か、購入者が安易に『市街化出来る』と思い込んでいたケースです。
ここで購入者の責任をとやかく言うつもりはないのですが、インターネットの登場までは地方と都市、プロとアマの情報格差は凄まじいものがありました。
都市計画法に関する周知の徹底にはかなりの時間がかかった背景がありますし、議員に言えば市街化区域に出来る』というような与太話は未だに耳にします。
ですから、ある程度の割合において、購入者の勘違いというケースもあるのではと思います。
さて、犯意ある『原野商法』によって、まったくの原野を購入した場合であっても実際に財テクが功を奏して、大きな財産となった例も、ないではありません。
手稲区の住宅地は、元々畑だったものを画像のように区割りして販売したものがあります。
清田区などは、元々畑でも、羊ヶ丘通りや国道36号線の関係で、そのような例があったらしいという例を耳にしたことがあります。
結局のところ、昭和の土地がらみの財テクは運による部分が強かったと言えるのかもしれません。
※ 画像は本文の内容とはあまり関係ありません。
当記事は2014年07月04日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。