『夕張市石炭博物館』リニューアル1年に満たない火災でこの後『夕張石炭の歴史村』はどうなるの?『ふるさと納税』での応援はどうなの?

 約1年前のゴールデンウィークに、私は『夕張石炭博物館』に赴き、その記事を書きました。

シリーズ『夕張市炭鉱博物館』

 ◇シリーズ『夕張市炭鉱博物館』【前段】
 ◇2018年4月末にリニューアルした『夕張市石炭博物館』に行ってみた
 ◇『夕張市石炭博物館』の問題点と改善に関する提言


平成31年4月18日 火災発生

 平成30年4月28日にリニューアルオープンした『夕張市石炭博物館』は、平成31年4月27日、冬季休業を終え、ゴールデンウィークを目前にオープンする予定でした。

 しかし、皮肉なことに4月18日の23時40分頃に『博物館から煙が出ている』との通報がありました。

 札幌ではすでにほとんど雪がありませんが、夕張は内陸の渓谷のため気温が低く、まだ雪が溶けきっていないようですね。

平成31年4月19日 報道が始まる


 深夜から消防が出動していたものの、火災は一向に収まらず、周囲に異臭を放ちながら煙を広げます。
 翌朝以降、マスコミ各社が報道を開始します。


 石炭に引火されている可能性が指摘され、北海道開発局⊃国土交通量や札幌市からも応援が駆けつけます。
 夕張川から水を汲み上げて坑道を水没させ、『窒息鎮火』『冷却鎮火』を目指すとの発表がされました。


関連事項として、今回のリニューアルに7億7000万円の巨費が投じられていたことも報道されます。

 原因として前日に補修のための鋼材の溶接作業がされていたことに関係があるかもしれないという報道がされます。

 施設は冬季休業中で、27日の今季のオープンに向けた作業が行われていた。石炭の崩落を防ぐため、作業員5人が18日午後3時ごろまでの約1時間、鋼材を溶接するなどし壁を補強。午後4時半ごろに施錠し撤収したという。
(朝日新聞 平成31年4月18日より引用)

平成31年4月20日 煙は止まるが消火活動が終わる目途は立たない

 3日目の20日、市消防本部などが注水で坑道を冠水させ、坑道内からの煙は収まった。火災は収束に向かっているものの、燃焼が依然として続いている可能性もあることから、消火作業は同日も夜を徹して行われ、鎮火は見通せない状況が続く。
(北海道新聞 平成31年4月21日より引用)


 水没によって煙は止まったものの、奥深い石炭層で燃焼が続いている可能性や蓄熱した石炭が再発火する可能性から、『鎮火』を認定出来ない状況が続いでいます。

平成31年4月21日 ふるさと納税の募集が開始

消防の注水で煙は収まったが、21日正午現在も鎮火は確認できず、修理や営業再開の見通しは立たない。
(毎日新聞 平成31年4月21日より引用)

・・・と、いうように、本館は無事であるものの見どころの一つである模擬坑道が水没している状態です。

 市は2007年に財政破綻し、全国唯一の財政再生団体のため、多額の修復費を工面するのが困難と判断。ふるさと納税を使い、返礼品なしで寄付の募集を開始した。「火災で模擬坑道が再び皆様にご利用いただけるまでに多くの時間と資金が必要。夕張市にとって象徴的な場所であり、温かい支援を」と呼びかけている。
(毎日新聞 平成31年4月21日より引用

 ふるさと納税は、ふるさとチョイスの該当ページから行なうことが出来ます。

これから『夕張石炭の歴史村』はどうなるの?

 鎮火が確認された後、水没した模擬坑道は、ポンプで汲み出して水を取り除くのでしょうが、まずはそれを公費で賄えるのか否か、という問題があります。

 入り組んだ坑道から安全を確保した上で水を取り除くという作業は、ある程度の援助はあるにせよ消防には出来ないでしょうし、まずはこれが大きな障壁となってくるでしょう。
 ふるさと納税がどの程度集まるのか、未知数です。

 当初4月27日に予定されていた今年のオープンは未定という形で発表があり、延期になる見込みです。
 とりあえず火災さえ鎮火してしまえば、当面の間は模擬坑道を除いた本館部分のみ公開するという方法が採られるとは思いますが、煙は止まったとはいえ、鎮火が確認されるまでの間、万全を期すために開業は見合わされるでしょう。

 非常に見応えのあった模擬坑道が見られなくなるというのは残念ではありますが、模擬坑道内には各種の炭鉱設備や機械も設置されており、火災により焼失したこれらを復元するのは並大抵のことではありません。

 財政再建団体の夕張市としては、ふるさと納税に期待をするしかない状況と言わざるを得ないでしょう。

 市長職務代理者の斎藤幹夫理事は「オープン時期は申しあげられない。鎮火と原因解明が先だ。本館に被害はない。再生に向けて進んでいきたい」と話した。

 「素人目で見ても、ここまで燃えていたら復旧は無理だと思う」。19日午前、沼ノ沢地区に住む小川昭雄さん(72)は現場に駆けつけ、高く立ち上る煙を見て嘆いた。「3月でJR(石勝線夕張支線)が廃線になった。この博物館がなくなったら、夕張には何もなくなってしまうのでは」

 住民の女性(65)は、多くの死者を出した81年の北炭夕張新鉱事故を思い出す。「模擬坑道は世界的にも希少な遺産。早く鎮火してほしい。市民みんなが心配している」と話した。
(朝日新聞 平成31年4月20日より引用)

 夕張支線の廃線もあり、暗い話ばかりではなく何とかなってくれるといいのですが・・・

余談:鈴木直道新知事の『勘所の良さ』

 平成31年4月20日には、先日の選挙で圧勝し、北海道知事に就任する夕張市の前市長、鈴木直道氏がインタビューに応じます。

「きのう続いてた煙だとか臭いも収まっていることみると(消火活動は)計画通り進んでいるのかなと」
(平成31年4月20日 FNNより引用)

 夕張といえば鈴木直道氏を連想する方も多いでしょうし、災害対応の迷惑にならない範囲で現地に急行し、『大丈夫だ』と落ち着いた様子で話が出来る、というのは大きいなと思います。
 全国区の知名度がある方が北海道の知名度を上げ、注目を集めるということを着実に進めてゆき、少しでも北海道が良くなっていってくれれば・・・と願ってやみません。

シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?


当記事は平成28年5月9日の記事を一部改訂の上、再録したものです。
現在、ウェルピアひかりのの札幌市による保留地分譲は完了しており、民間で流通しています。
札幌市の分譲当時の状況を示す資料として、本記事を公開します。

さて、今回取り上げるのは東雁来『ウェルピアひかりの』です。

『ウェルピアひかりの』は、明日、平成28年5月10日から一週間に渡り公開抽選会が開始され、その後、公開抽選会で抽選とならなかった土地の先着順分譲受付が始まります。

既にゴールデンウィークには『ウェルピアひかりのゴールデンウィーク住宅祭』として、公開抽選会に先立ってプロモーションイベントが開催されました。

札幌の不動産市況は在庫の枯渇から、停滞ムードが漂いつつあるようですが、ありがたい事に私の身辺では新規の案件も安定的に依頼頂いており、長方形の更地から超難易度の無道路地や欠陥だらけの建物まで、バリエーションに富んだ仕事をさせてもらっており、楽しく過ごしております。

ただ、中古マンションの一般流通は在庫不足から下火になってしまっており、また、アパート・マンションなどの収益用・投資用の不動産に関しても、あまりに高値となってしまって売主側・買主側の双方とも身動きが取りづらい、というのが正直な処です。

そんなこんなで忙しくしており、ブログの更新もままならない状況ですが、『ウェルピアひかりの』に関しては毎年恒例の記事ですから、今年も書きましょう。

『ウェルピアひかりの』は、札幌市が唯一分譲しているニュータウンであり、
札幌市の戸建分野では今最も注目度の高い地区です。

平成26年から紹介してきた地区ですが、この地区の『土地区画整理事業』の完了予定は、平成29年度ですから、あと丸2年しかないという事になります。ちょっと寂しいですね。
(平成30年度~平成35年度は『清算期間』といい、いわば後処理の期間になります。)

さて、ここで『土地区画整理事業』という言葉について簡単に紹介しましょう。
『土地区画整理事業』とは『土地区画整理法』に基づいて行われる事業で、ざっと言えば、キタナイ市街地をキレイにして価値の向上を目指す事業
もっと言えば、道路や公園の整備を含む区画整理をする事で、土地や道路を直線に整え、利便性や財産価値の向上を目指す事業です。

『土地を切り貼りして四角く整理する』とでも言いましょうか。
その『区画整理の施行者が切れ端を集めた土地』『保留地』と言い、『元の地主が持っていた土地を切って四角く整理した土地』『仮換地』と言います。

まー、これはあくまでイメージの話であって、『保留地』『仮換地』四角い更地である事に変わりはありませんし、『仮換地』と言っても、元の土地とは遠く離れた場所になる事も多々あります。

そして、ぶっちゃけた話、整理する前と後で、土地の面積は、当然に小さくなります。
そりゃーそうです、道を広くして、公園などの公共用地を確保する事が『区画整理』なのですから。
この、目減りする部分を『減歩(げんぶ)』と言い、目減りの割合を『減歩率』と言います。

『ウェルピアひかりの』では、なんとその目減りの割合…『減歩率』は、50.70%にもなります。
つまり、土地区画整理事業によって、土地の面積は半分以下になる、という事です。
別の側面から見れば、土地の面積単価が2倍以上になる、とも言えます。 
これは別に不適当な数値という訳ではなく、区画整理前の状況を見てみると納得の行く数値です。

『ウェルピアひかりの』全体のうち『保留地』となった土地の割合は20.18%、
道路や公園となった土地…『公共減歩』の割合は31.53%ですから、残り48.29%が『仮換地』…『元の地主が持っていた土地を切って四角く整理した土地』です。
(数値については札幌市公式サイトの最新年度のデータから引用しています。)

そして、札幌市が冒頭に紹介したようなプロモーションイベントを開催したり、
SUUMOに特設コーナーを設置したりして分譲している土地は、区画整理によって『区画整理の施行者(札幌市)が切れ端を集めた土地』である『保留地』なのです。

区画整理の施行者(札幌市)はこの『保留地』を売却することによって、区画整理の為に支出した費用を回収する、というのが土地区画整理法のメソッドです。

道路や公園となった『公共減歩』、札幌市(施行者)によって分譲される『保留地』
それでは『仮換地』はどうなっているのでしょうか?

『仮換地』は『元の地主が持っていた土地を切って四角く整理した土地』ですが、
元の地主というのはどのような人々なのでしょうか?

既に事業が開始して12年が経過している平成20年当時の航空写真を見ても、この地域に関してはさほど人口密度が高かった訳ではない、という事が分かります。

更に昭和50年頃の航空写真を見ると、殆どが農地であった事が分かるでしょう。

ですから、『仮換地』のうちの大部分は、当時から東雁来で農業を営んでいた方々が取得しました。
広大な畑の半分程度の面積とはいえ、かなり大きな宅地が『仮換地』となってでしょうが、土壌改良の為に土壌の入れ替えが行なわれたり、道路が整備されたりしていますから、農業を継続していくことは現実的ではありません。

ご自身の住居を大きめに建てたり、アパート経営を行なっている方が多いように見受けられます。
都市計画上、事務所や店舗、倉庫などはごく限られたエリアにしか建設する事が出来ませんから、更地にしておくと税金が高く付きますからアパート経営をしていく、というのが王道でしょう。

区画整理事業が始まる以前にこの地区に住んでいたのは、農家の方だけではありません。
航空写真を見るとさほど世帯数が多い訳ではありませんが、雁来川沿いに民家が立ち並んでいます。
また、昭和40年代には現在の東雁来9条~10条周辺『ライラック団地』が形成され、当時流行りだった中規模な宅地造成が行なわれていた事が分かります。
(ちなみに、現在も『ライラック町内会』や『ライラック公園』といった地名が残されています。)

こういった、一般的な規模の宅地にお住まいだった方々も、区画整理事業に伴って、相応の移転補償金を受け取り、自宅を明け渡し、『仮換地』を取得する事になります。

『仮換地』に戸建を新築する人もいたでしょうが、それなりに高齢化の進んだ地区ですから、『仮換地』を売却した資金を元手に、マンションや施設に移るという方も多かったのではないでしょうか。

そして、第三の『仮換地』の取得者として、『不在地主』がいます。
地元の農家の方の血縁者が相続で引き継いだ土地が『仮換地』になったケースもあれば、原野商法のような『将来値上がりするかも…』という投機的な目的で購入されたケースもあります。

特に後者に関しては、ライラック団地などが形成された昭和40~50年前後に、道路もなく地盤が軟弱で、建物が建つ見込みが薄いにも関わらず札幌市外に分譲されたような形跡があり、
『どうにもならない土地をつかまされてしまった』人が多くいたようです。

そういった『不在地主』の方々にとって、この土地区画整理事業はまさに福音と言えるでしょう。
建物が建築不能だった土地が、多少目減りしても、ニュータウンの四角い更地に生まれ変わるのですから。
『仮換地』であっても『保留地』と同様に売却する事は可能ですから、開発中のニュータウンとして注目度が高いうちに売却して換金してしまうのも賢い手段です。

ただし、『不在地主』の方が取得する『仮換地』を売却するにあたっては、いくつかハードルがあります。

1.売却を依頼する業者は自分で見つける必要がある。
これは不動産を売却するにあたって共通のハードルですが、信頼できる不動産業者を探す必要がある、というのが第一段階です。
特に『不在地主』の『仮換地』は通常より特殊な取扱いが多くなる為、通常の売却よりも慎重に不動産業者を選んでゆく必要があります。

2.『仮換地』の取引は法律的に特殊な取扱いが必要になる。
ここまでに説明してきたように、土地区画整理法というのは、非常に厄介な法律です。
不動産業者の必須国家資格である宅地建物取引士試験では、土地区画整理法に関するテーマが必ず出題されるほどの重要項目ですが、実務上では、札幌でさほど多くが実施されていない都合、きちんと取引をこなせる不動産営業マンがどの程度いるか、未知数です。

3.札幌市の『保留地』がライバルになる。
これまでに書いて来た通り、札幌市は『保留地』を大々的に広告費を投入して分譲しています。
同じエリアで更地を売る、という事は必然的に札幌市の『保留地』がライバルになる、という事です。
『保留地』の価格はインターネット上で公開されてしまっていますから、様々な条件を勘案して多少上回る価格で成約する事は可能ですが、『保留地』の分譲価格を大幅に上回る価格での成約は見込めません。
価格がある程度固定している点、比較対象となってしまう土地が多く存在する点がネックです。

ただし、札幌市が大々的に広告してくれている分、エリアの認知度は高いですし、極論、札幌市の『保留地』よりも安い価格設定にしてしまえば、割安感があってかなり売りやすくなる、という事でもあります。

4.不動産売買には『本人確認』が必要になる。
実はこれが一番のネックとなり得るハードルです。
札幌近郊にお住まいの『不在地主』の場合にはさほど問題にはなりませんが、北海道外にお住まいの方が『仮換地』を所有している場合には、ちょっと問題となります。

不動産業者が売却を受託するにあたっては『本人確認』が必要になります。
どんな事を確認するかといえば『その人が間違いなく本人か』、『その人が不動産の所有権を本当に持っているか』、『不動産を売却する意志があるか』などです。

普通の感覚では考えられませんが『売主のなりすまし』『所有権がない売却』というのが、不動産業界ではよくあるトラブルとして、業界紙などで取り上げられています。

印鑑証明や権利証を偽造した完全に詐欺的ななりすましもあれば、他に相続人がいるのに自分だけで売却を決めてしまったり、という事もあります。
不動産業者が『本人確認』を怠ると、買主から損害賠償を求められる場合もあります。

そういった意味で、不動産業者としても『不在地主』との業務は慎重に薦めてゆく必要があります。
業者とケースによっては、遠方のお客様をお断りする場合もあるかもしれませんね。

『仮換地』を売却する場合、これらのポイントに留意する必要があります。
私としては、土地区画整理法の取り扱いや不在地主とのやり取り、可能な限り高値で成約するよう販売戦略を組んでゆく事を大前提に業務を遂行していますから、東雁来の『仮換地』を所有する『不在地主』の方からの依頼も受けています。

ウェルピアひかりのの『仮換地』の売却相談をご希望の方問合せフォームからご連絡下さい。
ブログへのメッセージでも対応致しますが、個人情報を含む事になるのでコメントはご遠慮下さい。

◆シリーズ『東雁来』関連記事

◇ シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?
◇ シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか
◇ シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?
◇ シリーズ『東雁来』④ 東雁来の歴史 ~明治から戦前まで~
◇ シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~

シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか


当記事は平成27年1月10日の記事を一部改訂の上、再録したものです。
現在、ウェルピアひかりのの札幌市による保留地分譲は完了しており、民間で流通しています。
札幌市の分譲当時の状況を示す資料として、本記事を公開します。

さて本日、1月10日から1月12日まで、多くの人は三連休が始まりました。
そこで、新築を検討している方への私からの提案なのですが、『ウェルピアひかりの』の新春住宅祭へ行ってみては如何でしょうか?

新築を検討している方でなくとも、不動産を勉強している方にお勧めです。

『ウェルピアひかりの』とは、札幌市東区東雁来にある、札幌市の新規分譲団地の名称で札幌市の新築市場では非常に注目度の高いエリアです。

まぁ、『注目度が高い』というのは、賛美両論あるという事でもありますが、その辺、私が不動産のプロとしてどう考えているかは、過去の記事を参照して下さい。

さて、その『ウェルピアひかりの』ですが、本日1月10日から成人の日の1月12日まで、『ウェルピアひかりの 新春住宅祭』なるイベントを開催しています。

これ、毎年シーズンごとに定期的に開催しているイベントではあるのですが、キャンペーンのための景品が、結構豪華です。

1.招運!!初夢抽選会
 計10組に1万円相当の金券、旅行券、食事券のいずれかをプレゼント
2.福袋プレゼント!
 毎日先着10名に生活雑貨3500円相当をプレゼント
3.開運!ぴかりん おみくじ抽選会
 抽選の小吉、中吉、大吉に応じてぴかりんグッズをプレゼント
4.W見学プレゼント!
 指定のモデルハウスを見学すると、『あったかブランケット』をプレゼント

※各プレゼントの応募の為には指定された数のモデルハウスを見学する必要があります。
 また、景品の応募には期間中1家族1セットのみなどの制限があります。

さて、私はなぜ札幌市やハウスメーカーの太鼓持ちのような記事を書いたのでしょうか?
それは当然、他にはない、面白い情報があるからです。

広告であれこれプレゼントと言われても、具体的に何なのか分からなければ、行く気も失せる
というものです。

本日、初日に来場をした知人から、景品の写真を預かりましたので、この際、景品の中身、見せてしまいます(∩´∀`)∩

まずは、『2.福袋プレゼント!
モデルハウス3軒を内覧してスタンプを集める事で、受け取る事ができます。
左上から紹介しましょう。
 ・マルチオープナー(栓抜き、キャップ明け等)
 ・折り畳み水切りボウル
 ・掃除用マイクロファイバーセット
 ・ミニ湯たんぽ
 ・ディズニー魔法瓶
 ・万能ピーラー
 ・折り畳みバケツ

年末のビンゴゲームの景品のようですが、割と役に立ちそうですね。

次に『3.開運!ぴかりん おみくじ抽選会
これはモデルハウス3軒ごとに1回、計3回までくじを引いた結果に応じて、小吉、中吉、大吉があるそうですが、知人は大吉を引き当てたそうです。

これも左上から紹介します。
 ・ぴかりんエコバッグ
 ・ぴかりんボールペン 3本
 ・ぴかりんメモ帳 2冊
 ・ぴかりんボックスティッシュ 2箱
 ・ぴかりんミニフラットホイッスル 2個
 ・ぴかりん反射ステッカー
 ・ぴかりんてぶくろ 2組
 ・ぴかりん絆創膏 5組

『ぴかりん』は『ウェルピアひかりの』のマスコットキャラクターです。

…うーん、大吉でこれですか…まぁ、しょうがないですよね。
小吉や中吉は、数の差こそあれぴかりんグッズの詰め合わせでしょうね。

4.W見学プレゼント!』は、茶色くて落ち着いた柄のブランケットだったようです。
これは、モデルハウスのうち指定された2種類を内覧した方に、もれなくプレゼントされるものですが、知人は受け取らなかったとの事です。

…と、いう訳で、明日と明後日の2日しか有効ではない情報ですが、札幌市が主導する住宅地分譲事業でどのようなキャンペーンがあったのか、今後のためにも大変資料性の高い情報であると考え、掲載しました。

最後に『1.招運!!初夢抽選会』ですが、モデルハウスを3軒内覧した後5つの景品のうちから1つを選び、後日、各2名の計10名に1万円相当のプレゼントが当選します。
5つの景品は下記の通り。
 ・全国共通すし券
 ・こども商品券
 ・温泉入浴回数券
 ・ガソリンカード
 ・札幌グランドホテルレストラン食事券

これは、それぞれ2名ずつの当選者しかいない訳ですから、如何に競争率の低い景品を選ぶかが、当選のカギになるでしょう。

すし券やガソリンカードは汎用性も換金性も高いですから、競争率は高いはずです。
こども商品券は子供服や玩具を買えるという事なので、これは微妙です。
狙い目は温泉券か食事券のどちらかでしょう。

まぁ、札幌市が税金を使ってこのように豪華なキャンペーンを実施している事には、あまり良い気持がしない市民の方もいらっしゃるのではないかと思います。

しかし、原発に反対して停止させたところで、それまでに原発を建設するためにかかった費用や、これから停止した後の原発を維持するためにかかる費用がゼロになる訳ではありません。

物事というのは、途上にあるものを瞬時にゼロにすることは出来ません。
それが現実的な考え方であって、良識ある人の了見というものです。

そういった意味では、私は札幌市の『ウェルピアひかりの』の分譲事業が、自身のビジネスと関係なく、一市民として成功してほしいと考えています。

まぁ、そんなこんなで、この連休に時間がある方で、
 ・住宅の新築を検討している方
 ・不動産業や建築業を勉強したい方
 ・都市計画と都市政策のフィールドワークをしたい方
 ・結構豪華なキャンペーン景品をタダでもらいたい方
・・・などは、『ウェルピアひかりの』へ行くことを個人的にお勧めします。

参加方法は至って簡単。
明日と明後日の10:00~16:00までに、現地事務所に行きましょう。
そしてスタンプラリーのカードを受け取って、各モデルハウスを内覧します。
現地事務所にもモデルルームにも駐車場がありますから、車でも安心です。
 ・ウェルピアひかりの 現場事務所
   北海道札幌市東区東雁来11条2丁目(街区番号2)



※ 前述の通り現在は保留地分譲は終了しており、現地事務所も現存しません。

◆シリーズ『東雁来』関連記事

◇ シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?
◇ シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか
◇ シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?
◇ シリーズ『東雁来』④ 東雁来の歴史 ~明治から戦前まで~
◇ シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~

シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?


当記事は平成26年4月7日の記事を一部改訂の上、再録したものです。
現在、ウェルピアひかりのの札幌市による保留地分譲は完了しており、民間で流通しています。
札幌市の分譲当時の状況を示す資料として、本記事を公開します。

一週間後、平成26年4月14日(月)から東雁来『ウェルピアひかりの』の保留地分譲が始まります。
毎年毎年の恒例行事でもあるのですが、この日から同地区の現地事務所が開き、資料も解禁になります。
『ウェルピアひかりの』札幌市の戸建分野で今最も注目度の高い地区です。

注目度が高い、というのは好評悪評色んな意味で…ですね。

好評としては『札幌市が分譲する新しい街並みで商業施設も充実』
悪評としては『泥炭地でとにかく地盤が悪い、水はけ最悪』
それぞれまったく別のところを見ているので、こればかりは相容れないんですよね。

私は商売柄、交通の利便と収益性・処分価値しか見ない人なので、自分自身が買いたいとは思いませんが、そういう選択肢もアリなんじゃないかな、とは思います。
ただ、自分が納得して購入したものであれば、それで良いのですが、情報を集めずになんとなく買ってしまって後で後悔、というのはあんまりだと思いますので、情報の一つとして『東雁来』『ウェルピアひかりの』について私なりにまとめてみます。

◆事業の概要

『ウェルピアひかりの』は地区計画『東雁来第二地区地区』区域で、平成3年度見直しに伴い市街化区域に編入、平成8年から土地区画整理事業を開始し、平成30年に完了予定です。
現在、札幌市と協賛業者が分譲を行っています。

余談ですが、第一区画にあたる地区計画『東雁来地区』は、昭和53年度見直しに伴い市街化区域に編入、昭和58年から平成元年まで土地区画整理事業により整理されました。

◆地盤の悪さ

さて、批判の対象となっている『地盤の悪さ』ですが、札幌市が提供する地震防災マップ液状化危険度図を見ると、あまり地盤が強いとは言えませんが、周辺にはもっと悪い状況の土地も多く、市内でここだけが極端に地盤が悪い土地である、という客観的根拠はありません。
まぁ、売主である札幌市の出した資料が客観的かは置いておいて、札幌市の公開する各種資料を否定する第三者的資料も公開されてはいませんからね。
(数値が良いのは、泥炭地の上に盛り土をしているから、という見解も聞きますが、それにしたって数値的な調査データを見たことがないのです。
 ただ、建築業・不動産業に携わる人間の経験則としては一考の余地があります。)

とはいえ、当の札幌市自身も、土地の概要に『軟弱地盤』と小さく書いて販売しています。
批判している方は、『札幌市主導で軟弱地盤の土地を売りさばくのか』という、良心的・道義的批判によるところが大きいように思います。

◆ニュータウンゆえの宿命

また『ウェルピアひかりの』の各種広告に記載されているようにこういったニュータウンには『子育てファミリー世代の皆さんが暮らしています』これはもちろん良いところでもありますが、短所ともなり得ます。

私自身がそういう造成地の出身なのでよくわかるのですが、山の中を切り裂いて造った住宅街や、地の果てを埋め立てて造った住宅街は、同世代・同所得層の方が同時期に購入する関係上、20年後、30年後には、地域全体としての高齢化に見舞われ、過疎化と地価下落が発生します。
そして、人口が減れば、民間資本のショッピング施設は容赦なく閉店してゆきます。

札幌市は『ウェルピアひかりの』のバス網を充実させると掲げていますし、高齢者や障碍者に優しい福祉の整った地域とする事も目標として掲げています。
地下鉄からもJRからも遠く離れた地区が、将来的に便利な街であり続けられるのか、どちらかといえば疑問符が付くと感じるのは、私だけではないでしょう。

札幌市主導で行った事業だから大丈夫、という保証も当然ながら出来ません。
札幌市は過去にも都市計画の大失敗と批判されるような事業をいくつも手掛けて来たのですから。

◆とはいえ、当面は便利な状態だと思いますよ

色々悪口みたいな事を書いてしまいましたが、どんな財産にだって不確定要素やリスクは必ず付いて回るものですし、そのリスクは原則、価格に反映しているのが資本主義社会です。
そういった視点から見ると、ウェルピアひかりのの分譲価格は不当に高額と言う事も出来ません。

また、今後、平成30年まで事業が継続してゆきますから、(こういう言い方が適当かは分かりませんが)今よりは便利になってゆくことが見込まれます。
『東雁来流通工業系業務地区』として、軽工業や配送センターも誘致しているところです。
札幌市としても意地と見栄がありますから、当面はこの地区の発展に注力していくのではないでしょうか。
そういった意味で、ここ十数年単位極端に状況が悪化するかと言えば、私はNOと答えます。

いつ大地震が来るか、20年後、30年後の地価がどうなっているのか、そんなことは誰にも保証出来ませんし、そんな事を言っていたら財産なんて持てません。
どのような資産を買うにせよ、『割り切り』『納得』が肝要です。

4月14日の分譲開始に伴い、各種販売資料も公開されますので、何か興味を惹くような内容があれば、またこの地区を取り上げます。

◆個人的には…

ウェルピアひかりのは『スポーツのまち』だそうですが、計5面あるサッカーコート(+2面のフットサルコート)に時代を感じてしまいますね。

1面がコンサドーレ札幌ユース、2面が札幌サッカーアミューズメントパーク、2面が東雁来公園サッカー場だそうで、それぞれに所有者は違うそうです。

これらのコートは平成10年代の後半に開業したようですが、平成10年がコンサドーレ札幌のJリーグ加盟平成14年がワールドカップですから、本当に、時代背景がよく出ているなぁという印象ですね。

昭和の頃にも各地の広場に野球場を造って、現在その野球場がどうなっているのかを考えれば、もうちょっと合理的なものの考え方をしてくれてもよいような気がするんですけどねぇ…

◆シリーズ『東雁来』関連記事

◇ シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?
◇ シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか
◇ シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?
◇ シリーズ『東雁来』④ 東雁来の歴史 ~明治から戦前まで~
◇ シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~

シリーズ『澄川』⑨ 器械場道路でアシリベツ器械場に行ってみよう!


さてはて、散逸的ではありますが澄川の歴史に関することを色々と紹介して来ましたシリーズ澄川ですが、9回目を迎えました。
3年前からのシリーズのリブート記事が多くなっていましたが、今回は完全新規書き下ろしの記事となります。

澄川で第一の道路『本願寺道路』、第二の道路『器械場道路』、第三の道路『平岸澄川線』のうち、明治の澄川の木材供給拠点としての在り方を示す道路として、最も重要な道路は『器械場道路』である、と紹介しました。

現在の滝野に当たる『アシリベツ器械場』にはお雇い外国人ホーレス=ケプロン氏が設置した水力式器械製材所があり、そこで製材された木材を札幌市街の中心部へ運び出す為の道路が『器械場道路』であった訳です。
大正5年の地形図を見てみましょう。

次に、現在の地図にルートを落とし込んだものを見比べてみましょう。

現在の『平岸街道』の一部となっている『本願寺道路』を南平岸の南側で分岐したのち、地下鉄澄川駅の東側を経由、澄川小学校、澄川中学校、澄川南小学校を経由して滝野方向に抜けてゆく長い道です。

なお、青線の中が抜けている部分は市道『福住桑園通』の指定区域、太い青線となっている部分は市道『澄川厚別滝連絡線』の指定区域です。
『澄川厚別(アシリベツ)滝連絡線』は、ほぼ器械場道路のルートを辿っていると言っていいでしょう。

では、『器械場道路』は現在どのような姿になっているのでしょうか?
実際に『器械場』に行ってみよう、というのが本記事の趣旨です。

まず、本願寺道路との分岐部分、南平岸駅の南西側ですね。
市内でも有名なホビーショップである『オーム模型店』が写真左手にあたります。

左側が『器械場道路』、右側が『本願寺道路』で、間にある緑の木々は『天神山』のものです。

同じ地点から北方向を振り返った写真です。
左手側にはこのあたりの小学校としては最も古い『平岸小学校』があります。
平岸全域は勿論、昭和40年代までは澄川の奥地からここまで通学してきていたと言います。

そこからまっすぐ澄川駅の東側を経由し、澄川小学校を経由してゆくと、澄川5条5丁目付近で右手側に分岐をします。
ここで左手側の道路を通ると先ほど触れた『福住桑園通』のルートで、クラーク博士像のある羊ヶ丘展望台、そして札幌ドームのある福住へと到達します。

ここからが現在の市道の枠組みでは『澄川厚別滝連絡線』となります。

旧『機械場道路』の区間でも、ここからは片道1車線となります。

左手側には『澄川北緑地』が広がります。
かなり広い緑地ですが、遊具や設備はそんなにありません。


左手奥に見える緑色のフェンスが澄川中学校の敷地です。

左手側は『木挽山』の傾斜で、かなり急な坂道になっています。
看板にも書かれている通り、除雪車が登れない為、冬期間通行止めになっています。

さらに進んでゆきますと澄川5条・6条と9丁目・10丁目の交差点にぶつかります。
この交差点を地元の方は『五差路(ごさろ)』と呼びますが、実際の交差点は通常の十字路(四差路)になっています。
実はこの交差点はオリンピック頃に整理されるまで実際に5本の道路による交差点≒五差路だったのです。
現在は、その姿を偲び『五差路記念公園』が設置されています。

かなり大きな滑り台がある立派な公園ですが、周囲の通行量が多いのにも関わらずフェンスは設置されておらず、ボール遊びなどには適さない造りになっていますね。

ここでメインストリートは『澄川通』にバトンタッチして、『器械場道路』は五差路記念公園を東側に迂回したルートを通ってゆくことになります。

『器械場道路』は元々が尾根道ですから、くねくねとアップダウンしながら進んでいくことになります。

札幌オリンピックの際に真駒内競技場への道として整備された『五輪通り』と陸橋で立体交差します。
『五輪通り』は札幌オリンピックの際に整備された、真駒内競技場へ通じる道です。

橋を下り方向に進んだ時左手側(東側)から西岡方向を見た写真です。
逆の右手側(西側)、真駒内方向を見下ろした写真です。
そこから『器械場道路』は澄川5条と6条の間を10丁目~13丁目の住宅街を進んでゆきます。

住宅街の南端、都市計画道路『水源地通』との交点に到達しました。
ここから先は市街化調整区域の山林になります。

アシリベツ器械場の跡地にある滝野霊園の案内板も掲出されています。
ここから9km山林

下には市内各所のラブホテルの立て看板が打ち捨てられているのがなんとも・・・

市街化調整区域側、南東角には介護施設『ライフふくまつ』があります。

そこから少し南に進むと光塩女子短期大学西岡キャンパスが。
インターネットで検索をしても何をやっている校舎なのか分かりません。
1987年、昭和62年完成とのこと。

光塩学園周辺の路肩は道路との高低差が大きく、路肩軟弱の看板が立っています。

ここからしばらくはゴルフ場の裏道となっている山林をひたすら9km進むのみ。

中間には陸上自衛隊真駒内射撃場があります。
ちなみにこちらは豊平区西岡の市街化調整区域に所在しており、『器械場道路』は南区と豊平区の境界ともなっています。
古い道路ほど、境界線となるという部分もありますが他に目印がない、というのもあるかと。

スポーツ競技で射撃をやるような場合には許可を得て立ち入ることも出来るそうです。

あとは器械場までひたすら山林、山林、山林・・・


道路の舗装状況がかなり悪くなっている箇所も多くなっています。
この坂を下ると、滝野すずらん丘陵公園に到達します。

この写真の撮影は平成28年9月で、記事執筆現在から2年半前になりますが、この頃は器械場に対する理解が十分ではなく(今も十分ではありませんが)、この周辺の事が分からずに写真を撮っていました。

その為、器械場の跡地とされる場所にある記念碑『厚別水車器械跡』について、撮影が漏れてしまいました。
これも平成10年に建立されたもので、少ない資料からはおそらくアシリベツの滝の周辺であろう、という程度の推察しか出来ません。
明治期の地図がない場所ですからもしかしたら、別の場所に存在していたという事もあるかもしれません。

余談ですが、『器械場』で検索した際に出てくる『器械場入口』というバス停。



南区や澄川図書館の記述では『器械場の名前を平成に残す』ものとされています。
嘘ではないのですが、こちらは道道341号『真駒内御料札幌線』に所在するバス停ですから、『器械場道路』とは関係ありません。
現在、滝野へはこの道道341号線がメインのアクセス道路となっており、滝野霊園のメインの入口もこちら。

先ほど看板にも描かれていた滝野霊園のシンボルのモアイ像も道道341号線側にあります。

この道道341号線は戦後の昭和36年に制定された道で、それまでの地図を見ると道路形状がかなり怪しい部分があります。
昭和19年にこの周辺の地名が『滝野』に改められるまでは『器械場』という地名でしたから、元々にアシリベツ器械場に由来するとはいえ、バス停に関しては地名としての『器械場』の入口であると考えた方がよいでしょう。

・・・えーと、ちょっと分かりづらいですかね。
バス停『器械場入口』は、アシリベツ器械場の入口という意味ではなく、器械場が閉鎖された後の集落『器械場』の入口なのではないか、という事です。

まー、アシリベツ器械場は明治19年に閉鎖していますから、当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。

さて、今回は2年半も寝かせていた写真を引っ張り出してきて器械場道路のルートを辿ってみました。
道路を辿る記事って、撮影の為に車を停めるのはなかなか憚られますし、冗長になりがちなのでどうかと思いましたが、また機会があればやってみたいと思います。