シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~


さて、前回は明治から戦前までの雁来村・・・現在の東雁来の歴史を紹介しました。
戦前までの雁来村は牧畜が盛んな農村でしたが、それが平成最後の区画整理地、そして札幌市が自ら大規模に分譲するおそらく最後の住宅地である『ウェルピアひかりの』となるのか、紹介してゆきましょう。

前回までは終戦時点の牧草地帯であった雁来村を紹介しました。
明治23年頃として郷土史に記される雁来村の写真は、砂利舗装がされ、半円筒型の倉庫が立ち並んでいます。
また、左手前の倉庫には牧草の山と思われるものが積みあがっています。

前回も紹介した昭和27年の地形図ではこの通り、雁来村は一帯が牧草地帯になっています。
この後、昭和30年には雁来村が所属する札幌が札幌へ編入されます。
さらにその後に豊平町や手稲町が編入されて現在の札幌市域になります。

そして昭和34年には戦前から棚ざらしになってしまっていた鉄骨トラス橋の『雁来橋』が完成します。

明治からの計画であった鉄橋による雁来橋がようやく完成したという事です。

戦後の雁来村・・・改め、雁来では東区の他の地域に遅れ、ようやくタマネギの生産が広まりました。
昭和30年代の札幌では農地解放の影響もあり、宅地の造成分譲が進んでゆきますが、雁来ではとりあえずそういった兆候は見られません。

昭和40年代には、『ライラック団地』が造成されます。
これは現在の東雁来9~10条4丁目にあたるエリアです。
形状から、農地解放によって土地の払い下げを受けた元小作人の地主による開発だと思われますが、郷土史やインターネットでもその記録は見つけることは出来ません。(このサイトが表示されてしまいます。)
区画整理によって、現在は公園や町内会の名前に名残を残すのみです。

昭和50年代には、東雁来地区に再び大きな波が訪れます。
昭和50年従来は豊平川沿いを通っていた国道275号線を現在のルートへ変更する『雁来バイパス』が着工します。
それに伴って、昭和55年に国道275号線のルートの一部でもある『雁来橋』が完成します。

昭和58年には『東雁来地区区画整理事業』が着工します。
これは赤枠で囲まれた区画『ウェルピアひかりの』である『第二地区』ではなく、左下の赤枠の欠けた部分、東雁来6~8条1丁目と東雁来8条3丁目のごく狭いエリアで行われたものです。

昭和50年代の航空写真を見ると、まだまだ畑が多くなっていることが分かりますね。
戦前はほぼすべてが『草地』でしたが、航空写真からは北側が牧草地、南側が畑になっているように見えますね。
また、ライラック団地以外には、旧・国道275号線に沿って人家がぽつぽつと建っています。

昭和60年には雁来村から『東雁来』へ町名変更、ただし、条丁目が付いた部分と付かない部分がありました。
平成元年には東雁来地区区画整理事業の換地が完了します。
6年程度で完了する規模という事で上記の航空写真でも家がみっちりと立ち並んでいます。

平成3年には、一帯が都市計画の見直しに伴い市街化調整区域から市街化区域に編入され、住宅街として、より開拓のしやすい下地が作られてゆきます。
平成8年には『東雁来第二地区土地区画整理事業』が開始します。

事業の開始時点でかなりの畑が所在していたものが、土地区画整理事業によって農地が減少してゆきます。
元々の地権者から札幌市が土地を収用し、道路や公園を設けて住宅地を造成する作業が始まってゆきます。
そして、事業の開始から7年を経た平成15年度から『ウェルピアひかりの』として保留地分譲が始まります。
名前の由来はがしかりき』から、との事ですが、このネーミングセンスは・・・

平成15年に始まった『ウェルピアひかりの』の住宅分譲はその後14年に渡って少しずつエリアを拡大して分譲がされました。
一気に販売をするという手法では、将来、同時期に一気に高齢化・過疎化が進むということから、その対策という意味もあったのでしょう。
(まぁ、事業費の関係というのも大きなところですが。)

分譲から少し年数が経った南側のエリアですね。

公園もよく整備されており、広々とした街並みになっています。

この航空写真は平成20年前後のものと思われますが、まだ現在ほど開拓が進んでいません。
ここから更に、次から次へと宅地の造成分譲がされてゆきます。
札幌市による保留地の分譲の他、元々の地主さんによる仮換地の売却や、仮換地の上にアパートやテラスハウスを建築する、という動きも活発になります。

ウェルピアひかりのひかりのはバブル崩壊後に始まった土地区画整理事業であり、失われた20年とも言われる情勢下で分譲されましたが、終盤の開発には追い風が吹いたように思います。

国道275号線の両側にはDCMホーマック東雁来店を始め、スーパーや100円均一などの他、マクドナルドやゆで太郎など飲食店等、住民の生活に直結施設が充実してゆきます。
また、南側から国道275号線にかけて、工業地として数々の倉庫・物流センターが開業します。
そういった『働く場所』が出来ることで地域内で経済が循環し、住民のサイクルが形成されることで街が長寿命化する、という狙いもあるのでしょう。

さて、平成26年には消費税8%への増税があるということで、住宅やアパートなどの建築の駆け込み需要がありました。
平成27年には相続税増税によって、地主さんが土地を更地のまま所有しているリスクが高まり、貸家建築がブームとなりました。

平成29年には日本郵政の一大物流拠点『道央札幌郵便局』が開業します。
『郵便局』とは言いますが、窓口やATMは設置されていないロジスティクスセンターです。

そのような経緯を経て、平成30年1月には『東雁来第二地区土地区画整理事業』の換地が指定され、これまで『仮換地』であったものが、正式な土地として確定されました。
これを区画整理事業の用語で『換地処分』と言います。
実際に換地処分をされた1月は年が明けていますが平成29年度内なので、記録上は『平成29年度事業完了』とされています。

東雁来の現在の姿は、国土地理院の航空写真ではまだ開拓途上のものですが、Yahoo地図では、もう少し開発が進んだ状態が見て取れます。


東雁来地区には、まだ元々の地主さんが所有している畑や、換地処分を受けたものの、遠隔地におり手付かずの宅地が数多く残されています。

土地区画整理事業が完了した事で、不動産業者やハウスメーカーも、こぞって東雁来エリアの土地所有者の方に、売却やアパート建築の営業をかけているようです。

そういった意味で、これからもまだ伸び代のある地域であると考えてはいますが、一方で、過去にあった少子高齢化による住宅団地の空疎化と同じ轍を踏んではなりません。
今後も、『東雁来』『ウェルピアひかりの』の動きを注視してゆきます。

◆シリーズ『東雁来』関連記事

◇ シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?
◇ シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか
◇ シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?
◇ シリーズ『東雁来』④ 東雁来の歴史 ~明治から戦前まで~
◇ シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~

シリーズ『東雁来』④ 東雁来の歴史 ~明治から戦前まで~


さて、昨年ようやく札幌市による土地区画整理事業が完了した『東雁来』エリア、通称『ウェルピアひかりの』について何度か紹介してきました。 
このエリアが土地区画整理がされる以前、明治からどのような経緯を経てきたのかについて改めて紹介したいと思います。

今回は『東雁来』全体ではなくそのうちの一部、『ウェルピアひかりの』の範囲を地図で赤く囲み、比較してゆきますが、歴史の記述については概ね東雁来全域の歴史であるとご理解頂ければと思います。

東雁来地区の以前の名称は雁来村と言いますが、ここに最初に入植をした人々は、明治6年対雁村があまりに不便なので開拓地を替えて欲しい、と開拓使に要望をした人々でした。
彼らは明治4年に陸前国遠田郡馬場村(現在の宮城県遠田郡涌谷町)から入植した人々の一部です。
当初は同じく対雁村と呼んでいたそうですが、開拓使から紛らわしいので『雁来村』と改称するようにと命令が下りました。

そうして手に入れた代替の土地でしたが、豊平川は当時から氾濫を繰り返しており、土質も泥炭地(現在も札幌市の北側はほとんどがそうなのですが)で水はけが悪く、農業を営むには難しい土地でありました。
その為、当初対雁村から移ってきた人々は徐々に雁来村を離れ、最終的に残った人はほとんどいなかったという事です。

豊平川の氾濫や泥炭地質は他の札幌市北部の地域でも営農の支障となり、離散する開拓地が多かったようです。
寒冷地では細菌の働きが弱く、枯れた植物が十分に分解されずに冬になるという事を繰り返して土は泥炭となり、その泥炭はべたべたと粘土のように水を含みます。

国防と富国強兵のために北海道を開拓したい国としては、開拓民が離散することは避けねばなりません。
明治18~19年、北海道庁が樺戸へ向かう道路、現在の国道275号線を整備し、併せて明治19年には豊平川の雁来村付近にも築堤が出来、豊平川の氾濫が緩和されました。

明治28年には札幌監獄の囚人の労役として、雁来付近に堤防が築造されます。

こうして明治20年代になって若干堤防のようになって安定してきたため、雁来村には富山県や福井県などから入植した人々が定住するようになったとのことです。


こちらは明治29年に大日本帝国陸地測量部が発行した地形図に彩色をしたものです。
国道は現在よりも川寄りのルートを通っており、豊平川も蛇行しています。
また、地図左下の三角点通はまだ途中で止まっています。

また、地図の右上・北東側にはがこの付近に明治の早いうちから『牧場の茶屋』と呼ばれる場所があり、ここに売店や休憩所があったそうで、立ち寄った人々は必ず立ち寄っていたそうです。
今でいうところのパーキングエリアや道の駅ですね。
この後の時代、大正の地形図にも『牧場』と記載されていますが、ぼくじょうではなく、マキバと読むそうです。

この頃の産業というと主に農業ですが特にこの地域では燕麦が生産されていました。
札幌市東区といえば現在もタマネギが有名ですが、この頃の雁来村ではまだ生産されていなかったようです。
また、毎年秋にはサケが遡上しており、サケやマスを漁獲することもあったようです。

明治35年には雁来村が札幌村に統合され、札幌村字雁来村という町名になりました。(本文では継続して雁来村と呼称します。)
札幌の歴史に詳しくない方の為に解説しますと、ここで言う『札幌』は現在の札幌市東区にあたるエリアで、現在の中央区にあたる中心街のエリアは『札幌』といいます。

同じく明治35年には、雁来村で乳牛の飼育が始まり、雁来村ではその後酪農が盛んになってゆきます。
併せて、この周辺の農作物として牧草の生産が始まります。

雁来村では他にジャガイモデントコーンが生産されていました。
デントコーンとは、主にデンプンの利用や飼料としての利用を中心として生産されるトウモロコシです。
いわゆるトウモロコシとして食用されるものはスイートコーンと呼びます。

この頃の雁来村の農家さんは川を挟んで東側である現在の札幌市白石区米里や江別市に畑を持っていた方が多く、豊平川を渡るために、渡し船を持っている方が何人もいたようです。
豊平川に架かる最寄りの橋と言えば白石本通(現在の国道12号線)に架かる東橋であって、雁来村から直線距離で最低でも2kmありますから、普段使いをするわけにはゆきませんでした。(目的地が逆方向の為、単純計算で倍の4km移動距離が増える訳です。)

その為、当時から橋を架けたいという計画があったようで、北海道開発局は明治43年頃の設計図面を公開しています。
実際に建築が始まるのは明治、大正を経て昭和になってからです。


こちらが大正15年、大日本帝国陸地測量図発行の地図です。
『雁来』のほかで分かる事として『三角』として三角点通りが開通していること、画像中央右側の『場』という文字は『牧場』の一部であることなどがあります。
画像左下には『大谷地原野』の文字、大谷地と言えば現在、札幌市厚別区の中心地の地名ですが、場所としてまったく離れています。
元々『大谷地原野』現在の白石区米里、東米里、北郷、川北、川下などを含む一帯で、雁来を超える泥炭地・軟弱地盤地でしばらく開拓が進みませんでした。
元々『厚別』も札幌市南区の奥地を指す呼称ですから、札幌の歴史においては元々の地名と現在の地名の位置がズレでしまっている事が多いのです。

画像の中央左側の『興農園』は、北海道最初のデパート『五番館』の創業者、札幌農学校出身の小川二郎氏の会社で、種苗や農機具の販売を行なっていました。
店舗は中心部にあり、この場所では牧草の生産をしていました。
記録にはありませんがもしかしたら、出張所のような形で種苗や農機具も販売していたかもしれませんね。

さて、堤防が築造されたことによってマシになったとはいえ、その後も依然、豊平川は度々氾濫していました。
ネタバレをしてしまうと豊平川は昭和56年になるまで氾濫を繰り返していたのですが、豊平川の治水というのはそれほどに困難な課題であったと言えるでしょう。

北海道開発局によると昭和7~16年、郷土史によると昭和8~19年にかけて、豊平川の河川の付け替え=ルート変更が行われます。

川が氾濫は水の流れが激しくなり、川の各部分での水量が一定ではなく、主にカーブ部分から水が溢れてしまうことで起こります。
ですから、川の深さを一定にしてカーブを直線化する、という大工事が行われます。
第二次世界大戦中をも通して行われた大工事で、戦時下でも実行するほどまでに非常に重要な意味を持っていたと言えるでしょう。

併せて明治43年から計画のあった『雁来橋』の計画も30年近くを経てようやく動き出します。
前掲の設計図に従って鉄骨トラス橋の建築が昭和13年に開始されます。
しかしながら、大東亜戦争の勃発から鉄材が不足し、橋脚(ピア、ピーア、ピアー等と言います)を設置した段階で工事は頓挫してしまいます。

やむを得ず、昭和15年には『雁来橋』として木造の橋が設置されます。

このようにして戦時中にも関わらず、豊平川の整備が進んでいきます。
そして、昭和9年には雁来村のうち、国鉄の鉄道を超えた東橋周辺(現在の札幌市中央区の東12~20丁目付近)が札幌市に編入されます。

そして昭和20年には終戦を迎えます。
上は戦後昭和27年発行の内務省地理調査所の地形図です。
地図に記載の『雁来橋』は木造のものですが、白石区と結ばれました。
雁来村一帯には牧草地が広がっているように見えます。
逆に、燕麦やジャガイモ、デントコーンなども生産されているはずなのですが、地図記号は『畑』ではなく『草地』となっています。
また、酪農では乳牛だけではなく羊も育てていたようです。

どちらにせよ、戦後の時点で純粋な農村であった東雁来村は、どのようにして札幌で平成最後の区画整理事業地『ウェルピアひかりの』となったのでしょうか?
次回の記事では戦後から平成に至る歴史を紹介してゆきましょう。

◆シリーズ『東雁来』関連記事

◇ シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?
◇ シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか
◇ シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?
◇ シリーズ『東雁来』④ 東雁来の歴史 ~明治から戦前まで~
◇ シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~

シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?


当記事は平成28年5月9日の記事を一部改訂の上、再録したものです。
現在、ウェルピアひかりのの札幌市による保留地分譲は完了しており、民間で流通しています。
札幌市の分譲当時の状況を示す資料として、本記事を公開します。

さて、今回取り上げるのは東雁来『ウェルピアひかりの』です。

『ウェルピアひかりの』は、明日、平成28年5月10日から一週間に渡り公開抽選会が開始され、その後、公開抽選会で抽選とならなかった土地の先着順分譲受付が始まります。

既にゴールデンウィークには『ウェルピアひかりのゴールデンウィーク住宅祭』として、公開抽選会に先立ってプロモーションイベントが開催されました。

札幌の不動産市況は在庫の枯渇から、停滞ムードが漂いつつあるようですが、ありがたい事に私の身辺では新規の案件も安定的に依頼頂いており、長方形の更地から超難易度の無道路地や欠陥だらけの建物まで、バリエーションに富んだ仕事をさせてもらっており、楽しく過ごしております。

ただ、中古マンションの一般流通は在庫不足から下火になってしまっており、また、アパート・マンションなどの収益用・投資用の不動産に関しても、あまりに高値となってしまって売主側・買主側の双方とも身動きが取りづらい、というのが正直な処です。

そんなこんなで忙しくしており、ブログの更新もままならない状況ですが、『ウェルピアひかりの』に関しては毎年恒例の記事ですから、今年も書きましょう。

『ウェルピアひかりの』は、札幌市が唯一分譲しているニュータウンであり、
札幌市の戸建分野では今最も注目度の高い地区です。

平成26年から紹介してきた地区ですが、この地区の『土地区画整理事業』の完了予定は、平成29年度ですから、あと丸2年しかないという事になります。ちょっと寂しいですね。
(平成30年度~平成35年度は『清算期間』といい、いわば後処理の期間になります。)

さて、ここで『土地区画整理事業』という言葉について簡単に紹介しましょう。
『土地区画整理事業』とは『土地区画整理法』に基づいて行われる事業で、ざっと言えば、キタナイ市街地をキレイにして価値の向上を目指す事業
もっと言えば、道路や公園の整備を含む区画整理をする事で、土地や道路を直線に整え、利便性や財産価値の向上を目指す事業です。

『土地を切り貼りして四角く整理する』とでも言いましょうか。
その『区画整理の施行者が切れ端を集めた土地』『保留地』と言い、『元の地主が持っていた土地を切って四角く整理した土地』『仮換地』と言います。

まー、これはあくまでイメージの話であって、『保留地』『仮換地』四角い更地である事に変わりはありませんし、『仮換地』と言っても、元の土地とは遠く離れた場所になる事も多々あります。

そして、ぶっちゃけた話、整理する前と後で、土地の面積は、当然に小さくなります。
そりゃーそうです、道を広くして、公園などの公共用地を確保する事が『区画整理』なのですから。
この、目減りする部分を『減歩(げんぶ)』と言い、目減りの割合を『減歩率』と言います。

『ウェルピアひかりの』では、なんとその目減りの割合…『減歩率』は、50.70%にもなります。
つまり、土地区画整理事業によって、土地の面積は半分以下になる、という事です。
別の側面から見れば、土地の面積単価が2倍以上になる、とも言えます。 
これは別に不適当な数値という訳ではなく、区画整理前の状況を見てみると納得の行く数値です。

『ウェルピアひかりの』全体のうち『保留地』となった土地の割合は20.18%、
道路や公園となった土地…『公共減歩』の割合は31.53%ですから、残り48.29%が『仮換地』…『元の地主が持っていた土地を切って四角く整理した土地』です。
(数値については札幌市公式サイトの最新年度のデータから引用しています。)

そして、札幌市が冒頭に紹介したようなプロモーションイベントを開催したり、
SUUMOに特設コーナーを設置したりして分譲している土地は、区画整理によって『区画整理の施行者(札幌市)が切れ端を集めた土地』である『保留地』なのです。

区画整理の施行者(札幌市)はこの『保留地』を売却することによって、区画整理の為に支出した費用を回収する、というのが土地区画整理法のメソッドです。

道路や公園となった『公共減歩』、札幌市(施行者)によって分譲される『保留地』
それでは『仮換地』はどうなっているのでしょうか?

『仮換地』は『元の地主が持っていた土地を切って四角く整理した土地』ですが、
元の地主というのはどのような人々なのでしょうか?

既に事業が開始して12年が経過している平成20年当時の航空写真を見ても、この地域に関してはさほど人口密度が高かった訳ではない、という事が分かります。

更に昭和50年頃の航空写真を見ると、殆どが農地であった事が分かるでしょう。

ですから、『仮換地』のうちの大部分は、当時から東雁来で農業を営んでいた方々が取得しました。
広大な畑の半分程度の面積とはいえ、かなり大きな宅地が『仮換地』となってでしょうが、土壌改良の為に土壌の入れ替えが行なわれたり、道路が整備されたりしていますから、農業を継続していくことは現実的ではありません。

ご自身の住居を大きめに建てたり、アパート経営を行なっている方が多いように見受けられます。
都市計画上、事務所や店舗、倉庫などはごく限られたエリアにしか建設する事が出来ませんから、更地にしておくと税金が高く付きますからアパート経営をしていく、というのが王道でしょう。

区画整理事業が始まる以前にこの地区に住んでいたのは、農家の方だけではありません。
航空写真を見るとさほど世帯数が多い訳ではありませんが、雁来川沿いに民家が立ち並んでいます。
また、昭和40年代には現在の東雁来9条~10条周辺『ライラック団地』が形成され、当時流行りだった中規模な宅地造成が行なわれていた事が分かります。
(ちなみに、現在も『ライラック町内会』や『ライラック公園』といった地名が残されています。)

こういった、一般的な規模の宅地にお住まいだった方々も、区画整理事業に伴って、相応の移転補償金を受け取り、自宅を明け渡し、『仮換地』を取得する事になります。

『仮換地』に戸建を新築する人もいたでしょうが、それなりに高齢化の進んだ地区ですから、『仮換地』を売却した資金を元手に、マンションや施設に移るという方も多かったのではないでしょうか。

そして、第三の『仮換地』の取得者として、『不在地主』がいます。
地元の農家の方の血縁者が相続で引き継いだ土地が『仮換地』になったケースもあれば、原野商法のような『将来値上がりするかも…』という投機的な目的で購入されたケースもあります。

特に後者に関しては、ライラック団地などが形成された昭和40~50年前後に、道路もなく地盤が軟弱で、建物が建つ見込みが薄いにも関わらず札幌市外に分譲されたような形跡があり、
『どうにもならない土地をつかまされてしまった』人が多くいたようです。

そういった『不在地主』の方々にとって、この土地区画整理事業はまさに福音と言えるでしょう。
建物が建築不能だった土地が、多少目減りしても、ニュータウンの四角い更地に生まれ変わるのですから。
『仮換地』であっても『保留地』と同様に売却する事は可能ですから、開発中のニュータウンとして注目度が高いうちに売却して換金してしまうのも賢い手段です。

ただし、『不在地主』の方が取得する『仮換地』を売却するにあたっては、いくつかハードルがあります。

1.売却を依頼する業者は自分で見つける必要がある。
これは不動産を売却するにあたって共通のハードルですが、信頼できる不動産業者を探す必要がある、というのが第一段階です。
特に『不在地主』の『仮換地』は通常より特殊な取扱いが多くなる為、通常の売却よりも慎重に不動産業者を選んでゆく必要があります。

2.『仮換地』の取引は法律的に特殊な取扱いが必要になる。
ここまでに説明してきたように、土地区画整理法というのは、非常に厄介な法律です。
不動産業者の必須国家資格である宅地建物取引士試験では、土地区画整理法に関するテーマが必ず出題されるほどの重要項目ですが、実務上では、札幌でさほど多くが実施されていない都合、きちんと取引をこなせる不動産営業マンがどの程度いるか、未知数です。

3.札幌市の『保留地』がライバルになる。
これまでに書いて来た通り、札幌市は『保留地』を大々的に広告費を投入して分譲しています。
同じエリアで更地を売る、という事は必然的に札幌市の『保留地』がライバルになる、という事です。
『保留地』の価格はインターネット上で公開されてしまっていますから、様々な条件を勘案して多少上回る価格で成約する事は可能ですが、『保留地』の分譲価格を大幅に上回る価格での成約は見込めません。
価格がある程度固定している点、比較対象となってしまう土地が多く存在する点がネックです。

ただし、札幌市が大々的に広告してくれている分、エリアの認知度は高いですし、極論、札幌市の『保留地』よりも安い価格設定にしてしまえば、割安感があってかなり売りやすくなる、という事でもあります。

4.不動産売買には『本人確認』が必要になる。
実はこれが一番のネックとなり得るハードルです。
札幌近郊にお住まいの『不在地主』の場合にはさほど問題にはなりませんが、北海道外にお住まいの方が『仮換地』を所有している場合には、ちょっと問題となります。

不動産業者が売却を受託するにあたっては『本人確認』が必要になります。
どんな事を確認するかといえば『その人が間違いなく本人か』、『その人が不動産の所有権を本当に持っているか』、『不動産を売却する意志があるか』などです。

普通の感覚では考えられませんが『売主のなりすまし』『所有権がない売却』というのが、不動産業界ではよくあるトラブルとして、業界紙などで取り上げられています。

印鑑証明や権利証を偽造した完全に詐欺的ななりすましもあれば、他に相続人がいるのに自分だけで売却を決めてしまったり、という事もあります。
不動産業者が『本人確認』を怠ると、買主から損害賠償を求められる場合もあります。

そういった意味で、不動産業者としても『不在地主』との業務は慎重に薦めてゆく必要があります。
業者とケースによっては、遠方のお客様をお断りする場合もあるかもしれませんね。

『仮換地』を売却する場合、これらのポイントに留意する必要があります。
私としては、土地区画整理法の取り扱いや不在地主とのやり取り、可能な限り高値で成約するよう販売戦略を組んでゆく事を大前提に業務を遂行していますから、東雁来の『仮換地』を所有する『不在地主』の方からの依頼も受けています。

ウェルピアひかりのの『仮換地』の売却相談をご希望の方問合せフォームからご連絡下さい。
ブログへのメッセージでも対応致しますが、個人情報を含む事になるのでコメントはご遠慮下さい。

◆シリーズ『東雁来』関連記事

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◇ シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~

シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか


当記事は平成27年1月10日の記事を一部改訂の上、再録したものです。
現在、ウェルピアひかりのの札幌市による保留地分譲は完了しており、民間で流通しています。
札幌市の分譲当時の状況を示す資料として、本記事を公開します。

さて本日、1月10日から1月12日まで、多くの人は三連休が始まりました。
そこで、新築を検討している方への私からの提案なのですが、『ウェルピアひかりの』の新春住宅祭へ行ってみては如何でしょうか?

新築を検討している方でなくとも、不動産を勉強している方にお勧めです。

『ウェルピアひかりの』とは、札幌市東区東雁来にある、札幌市の新規分譲団地の名称で札幌市の新築市場では非常に注目度の高いエリアです。

まぁ、『注目度が高い』というのは、賛美両論あるという事でもありますが、その辺、私が不動産のプロとしてどう考えているかは、過去の記事を参照して下さい。

さて、その『ウェルピアひかりの』ですが、本日1月10日から成人の日の1月12日まで、『ウェルピアひかりの 新春住宅祭』なるイベントを開催しています。

これ、毎年シーズンごとに定期的に開催しているイベントではあるのですが、キャンペーンのための景品が、結構豪華です。

1.招運!!初夢抽選会
 計10組に1万円相当の金券、旅行券、食事券のいずれかをプレゼント
2.福袋プレゼント!
 毎日先着10名に生活雑貨3500円相当をプレゼント
3.開運!ぴかりん おみくじ抽選会
 抽選の小吉、中吉、大吉に応じてぴかりんグッズをプレゼント
4.W見学プレゼント!
 指定のモデルハウスを見学すると、『あったかブランケット』をプレゼント

※各プレゼントの応募の為には指定された数のモデルハウスを見学する必要があります。
 また、景品の応募には期間中1家族1セットのみなどの制限があります。

さて、私はなぜ札幌市やハウスメーカーの太鼓持ちのような記事を書いたのでしょうか?
それは当然、他にはない、面白い情報があるからです。

広告であれこれプレゼントと言われても、具体的に何なのか分からなければ、行く気も失せる
というものです。

本日、初日に来場をした知人から、景品の写真を預かりましたので、この際、景品の中身、見せてしまいます(∩´∀`)∩

まずは、『2.福袋プレゼント!
モデルハウス3軒を内覧してスタンプを集める事で、受け取る事ができます。
左上から紹介しましょう。
 ・マルチオープナー(栓抜き、キャップ明け等)
 ・折り畳み水切りボウル
 ・掃除用マイクロファイバーセット
 ・ミニ湯たんぽ
 ・ディズニー魔法瓶
 ・万能ピーラー
 ・折り畳みバケツ

年末のビンゴゲームの景品のようですが、割と役に立ちそうですね。

次に『3.開運!ぴかりん おみくじ抽選会
これはモデルハウス3軒ごとに1回、計3回までくじを引いた結果に応じて、小吉、中吉、大吉があるそうですが、知人は大吉を引き当てたそうです。

これも左上から紹介します。
 ・ぴかりんエコバッグ
 ・ぴかりんボールペン 3本
 ・ぴかりんメモ帳 2冊
 ・ぴかりんボックスティッシュ 2箱
 ・ぴかりんミニフラットホイッスル 2個
 ・ぴかりん反射ステッカー
 ・ぴかりんてぶくろ 2組
 ・ぴかりん絆創膏 5組

『ぴかりん』は『ウェルピアひかりの』のマスコットキャラクターです。

…うーん、大吉でこれですか…まぁ、しょうがないですよね。
小吉や中吉は、数の差こそあれぴかりんグッズの詰め合わせでしょうね。

4.W見学プレゼント!』は、茶色くて落ち着いた柄のブランケットだったようです。
これは、モデルハウスのうち指定された2種類を内覧した方に、もれなくプレゼントされるものですが、知人は受け取らなかったとの事です。

…と、いう訳で、明日と明後日の2日しか有効ではない情報ですが、札幌市が主導する住宅地分譲事業でどのようなキャンペーンがあったのか、今後のためにも大変資料性の高い情報であると考え、掲載しました。

最後に『1.招運!!初夢抽選会』ですが、モデルハウスを3軒内覧した後5つの景品のうちから1つを選び、後日、各2名の計10名に1万円相当のプレゼントが当選します。
5つの景品は下記の通り。
 ・全国共通すし券
 ・こども商品券
 ・温泉入浴回数券
 ・ガソリンカード
 ・札幌グランドホテルレストラン食事券

これは、それぞれ2名ずつの当選者しかいない訳ですから、如何に競争率の低い景品を選ぶかが、当選のカギになるでしょう。

すし券やガソリンカードは汎用性も換金性も高いですから、競争率は高いはずです。
こども商品券は子供服や玩具を買えるという事なので、これは微妙です。
狙い目は温泉券か食事券のどちらかでしょう。

まぁ、札幌市が税金を使ってこのように豪華なキャンペーンを実施している事には、あまり良い気持がしない市民の方もいらっしゃるのではないかと思います。

しかし、原発に反対して停止させたところで、それまでに原発を建設するためにかかった費用や、これから停止した後の原発を維持するためにかかる費用がゼロになる訳ではありません。

物事というのは、途上にあるものを瞬時にゼロにすることは出来ません。
それが現実的な考え方であって、良識ある人の了見というものです。

そういった意味では、私は札幌市の『ウェルピアひかりの』の分譲事業が、自身のビジネスと関係なく、一市民として成功してほしいと考えています。

まぁ、そんなこんなで、この連休に時間がある方で、
 ・住宅の新築を検討している方
 ・不動産業や建築業を勉強したい方
 ・都市計画と都市政策のフィールドワークをしたい方
 ・結構豪華なキャンペーン景品をタダでもらいたい方
・・・などは、『ウェルピアひかりの』へ行くことを個人的にお勧めします。

参加方法は至って簡単。
明日と明後日の10:00~16:00までに、現地事務所に行きましょう。
そしてスタンプラリーのカードを受け取って、各モデルハウスを内覧します。
現地事務所にもモデルルームにも駐車場がありますから、車でも安心です。
 ・ウェルピアひかりの 現場事務所
   北海道札幌市東区東雁来11条2丁目(街区番号2)



※ 前述の通り現在は保留地分譲は終了しており、現地事務所も現存しません。

◆シリーズ『東雁来』関連記事

◇ シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?
◇ シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか
◇ シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?
◇ シリーズ『東雁来』④ 東雁来の歴史 ~明治から戦前まで~
◇ シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~

シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?


当記事は平成26年4月7日の記事を一部改訂の上、再録したものです。
現在、ウェルピアひかりのの札幌市による保留地分譲は完了しており、民間で流通しています。
札幌市の分譲当時の状況を示す資料として、本記事を公開します。

一週間後、平成26年4月14日(月)から東雁来『ウェルピアひかりの』の保留地分譲が始まります。
毎年毎年の恒例行事でもあるのですが、この日から同地区の現地事務所が開き、資料も解禁になります。
『ウェルピアひかりの』札幌市の戸建分野で今最も注目度の高い地区です。

注目度が高い、というのは好評悪評色んな意味で…ですね。

好評としては『札幌市が分譲する新しい街並みで商業施設も充実』
悪評としては『泥炭地でとにかく地盤が悪い、水はけ最悪』
それぞれまったく別のところを見ているので、こればかりは相容れないんですよね。

私は商売柄、交通の利便と収益性・処分価値しか見ない人なので、自分自身が買いたいとは思いませんが、そういう選択肢もアリなんじゃないかな、とは思います。
ただ、自分が納得して購入したものであれば、それで良いのですが、情報を集めずになんとなく買ってしまって後で後悔、というのはあんまりだと思いますので、情報の一つとして『東雁来』『ウェルピアひかりの』について私なりにまとめてみます。

◆事業の概要

『ウェルピアひかりの』は地区計画『東雁来第二地区地区』区域で、平成3年度見直しに伴い市街化区域に編入、平成8年から土地区画整理事業を開始し、平成30年に完了予定です。
現在、札幌市と協賛業者が分譲を行っています。

余談ですが、第一区画にあたる地区計画『東雁来地区』は、昭和53年度見直しに伴い市街化区域に編入、昭和58年から平成元年まで土地区画整理事業により整理されました。

◆地盤の悪さ

さて、批判の対象となっている『地盤の悪さ』ですが、札幌市が提供する地震防災マップ液状化危険度図を見ると、あまり地盤が強いとは言えませんが、周辺にはもっと悪い状況の土地も多く、市内でここだけが極端に地盤が悪い土地である、という客観的根拠はありません。
まぁ、売主である札幌市の出した資料が客観的かは置いておいて、札幌市の公開する各種資料を否定する第三者的資料も公開されてはいませんからね。
(数値が良いのは、泥炭地の上に盛り土をしているから、という見解も聞きますが、それにしたって数値的な調査データを見たことがないのです。
 ただ、建築業・不動産業に携わる人間の経験則としては一考の余地があります。)

とはいえ、当の札幌市自身も、土地の概要に『軟弱地盤』と小さく書いて販売しています。
批判している方は、『札幌市主導で軟弱地盤の土地を売りさばくのか』という、良心的・道義的批判によるところが大きいように思います。

◆ニュータウンゆえの宿命

また『ウェルピアひかりの』の各種広告に記載されているようにこういったニュータウンには『子育てファミリー世代の皆さんが暮らしています』これはもちろん良いところでもありますが、短所ともなり得ます。

私自身がそういう造成地の出身なのでよくわかるのですが、山の中を切り裂いて造った住宅街や、地の果てを埋め立てて造った住宅街は、同世代・同所得層の方が同時期に購入する関係上、20年後、30年後には、地域全体としての高齢化に見舞われ、過疎化と地価下落が発生します。
そして、人口が減れば、民間資本のショッピング施設は容赦なく閉店してゆきます。

札幌市は『ウェルピアひかりの』のバス網を充実させると掲げていますし、高齢者や障碍者に優しい福祉の整った地域とする事も目標として掲げています。
地下鉄からもJRからも遠く離れた地区が、将来的に便利な街であり続けられるのか、どちらかといえば疑問符が付くと感じるのは、私だけではないでしょう。

札幌市主導で行った事業だから大丈夫、という保証も当然ながら出来ません。
札幌市は過去にも都市計画の大失敗と批判されるような事業をいくつも手掛けて来たのですから。

◆とはいえ、当面は便利な状態だと思いますよ

色々悪口みたいな事を書いてしまいましたが、どんな財産にだって不確定要素やリスクは必ず付いて回るものですし、そのリスクは原則、価格に反映しているのが資本主義社会です。
そういった視点から見ると、ウェルピアひかりのの分譲価格は不当に高額と言う事も出来ません。

また、今後、平成30年まで事業が継続してゆきますから、(こういう言い方が適当かは分かりませんが)今よりは便利になってゆくことが見込まれます。
『東雁来流通工業系業務地区』として、軽工業や配送センターも誘致しているところです。
札幌市としても意地と見栄がありますから、当面はこの地区の発展に注力していくのではないでしょうか。
そういった意味で、ここ十数年単位極端に状況が悪化するかと言えば、私はNOと答えます。

いつ大地震が来るか、20年後、30年後の地価がどうなっているのか、そんなことは誰にも保証出来ませんし、そんな事を言っていたら財産なんて持てません。
どのような資産を買うにせよ、『割り切り』『納得』が肝要です。

4月14日の分譲開始に伴い、各種販売資料も公開されますので、何か興味を惹くような内容があれば、またこの地区を取り上げます。

◆個人的には…

ウェルピアひかりのは『スポーツのまち』だそうですが、計5面あるサッカーコート(+2面のフットサルコート)に時代を感じてしまいますね。

1面がコンサドーレ札幌ユース、2面が札幌サッカーアミューズメントパーク、2面が東雁来公園サッカー場だそうで、それぞれに所有者は違うそうです。

これらのコートは平成10年代の後半に開業したようですが、平成10年がコンサドーレ札幌のJリーグ加盟平成14年がワールドカップですから、本当に、時代背景がよく出ているなぁという印象ですね。

昭和の頃にも各地の広場に野球場を造って、現在その野球場がどうなっているのかを考えれば、もうちょっと合理的なものの考え方をしてくれてもよいような気がするんですけどねぇ…

◆シリーズ『東雁来』関連記事

◇ シリーズ『東雁来』① 札幌市が分譲する『ウェルピアひかりの』ってどうなの?
◇ シリーズ『東雁来』② 『ウェルピアひかりの』ではどのような販促がされていたか
◇ シリーズ『東雁来』③ 東雁来『ウェルピアひかりの』の仮換地を売りたい人はどうすればいいの?
◇ シリーズ『東雁来』④ 東雁来の歴史 ~明治から戦前まで~
◇ シリーズ『東雁来』⑤ 東雁来の歴史 ~戦後から平成まで~

調11 丘珠藤木川西団地

当記事は2014年06月04日の記事を再編したものです。当時の記録を残す為、表現等は原則的に当時のものを優先しています。

今回紹介するのは決定番号:調11『丘珠藤木川西団地』です。

地区計画の範囲はこんな感じ。

Googleマップはこんな感じ。

北側には農業体験テーマパーク『サッポロさとらんど』があります。
西側には札幌市内唯一の空港、『丘珠空港』があります。
そして、すぐ東側には平成25年3月21日から稼働したメガソーラー『土屋ソーラーファクトリー札幌』が隣接しています。

それにしても気になるのは、『区域外』と書かれ、白抜きにされた部分ではないでしょうか。

同様の白抜き部分が『調4 東米里東栄地区』にもありましたが、
これは、主に位置指定道路が市道になっていないことを原因とする除外です。
将来的に市に寄付されるなどして認定道路(市道)となった場合には、
白抜きの『区域外』の部分も地区計画の範囲として含まれてゆく予定
となっています。
実際の現地は、重機の作業場になっているようです。

白抜き部分の取り扱いについては、『第9回札幌市都市計画審議会 議事録』から引用します。

 この区域の敷地の面する道路が指定道路であるため,
 札幌市道として認定道路に面している敷地を対象区域にするという
 地区整備計画の区域設定の条件を満足しないことが挙げられまして,
 今後,この道路が認定道路になった段階で地区整備計画の区域に
 取り込んでいきたい
と考えております。

 また,区域外となっております部分につきましては,
 地区計画の方針の区域にも含めておりません。
 この部分につきましては,計画図をごらんいただくと,
 道路的な形状,宅地的な形状になっておりまして,
 また地番もそのように分筆されておりますが,
 道路的な形状の部分が指定道路にもなっていないことから,
 指定道路に面している敷地を対象区域にするという
 地区計画の方針の区域設定の条件を満足していないことから,区域外にしております。

・・・と、いう事なのだそうです。

バス停までは結構遠く、南端の『三角街道西支線3号線』以外の道路については、道路幅もかなり狭く、路肩が土や砂利になっている状態が大半です。


ただ、新しくて大きめな家もちらほら建っていて、広々とした環境が好きな人にとってはよいのかもしれません。

ちなみに、札幌市の東側と言えば地盤が悪いというのが定番ですが、液状化危険度図によると『液状化発生の可能性が低い』、地震防災マップによると『震度6弱』と札幌駅と同水準の評価になっています。
地区計画の目標は以下の通り。
 当地区は、都心部より北東約7㎞の市街化調整区域に位置し、
 昭和30年代に道の位置の指定を受けた道路によって構成される一団の地区であり、
 現在、比較的良好な住宅市街地を形成している。
 そこで、本計画では、地区の特性に応じた土地利用と建築物等に関するルールを定め、
 現在の良好な住環境の維持増進を図ることを目標とする。

毎度の既存宅地制度の代替としての『建物が建てられる市街化調整区域』です。
実際の制限の内容については札幌市HPのPDFファイルを参照して下さい。

計画書 ・ 計画図 ・ 解説書

決定:平成14年3月19日 変更:平成18年3月31日の地区計画資料を基に記述しています。
今後、地区計画について内容やエリアの変更がある場合がありますので、ご注意下さい。

調6 中沼地区

当記事は2014年04月22日の記事を再編したものです。当時の記録を残す為、表現等は原則的に当時のものを優先しています。

今回紹介するのは決定番号:調6『中沼地区』です。
市街化調整区域としては珍しく、平成17年9月5日に『住居表示』が実施されています。

地区計画の範囲はこんな感じ。

Googleマップはこんな感じ。

中沼1~3条は今回の地区計画の区域内ですが、4~6条は地区計画の範囲ではありません
しかし、『旧事業法団地』と呼ばれる特殊な取扱いとなっており、建物の建築が可能です。
『旧事業法団地』については『調5 真駒内駒岡団地』で解説しています。

北側は中沼産業廃棄物処理センター(エコパーク)に隣接します、

南側には中沼ながしかく公園という絶妙のネーミングセンスの公園があります。

市街化調整区域だからという訳ではありませんが、中沼地区~丘珠地区は、 モエレ沼公園がある都合、自動車で通行する場合も、市内中心部へ行くためには大きく迂回したルートを取る必要があります。

また、小学校の学校区は中沼小学校で15分~20分ですが、中学校の学校区は丘珠中学校で、なんと徒歩1時間程度かかります。
モエレ沼公園の向こう側なのでバスを使うにしても、かなりの距離です。
 

商業施設はセイコーマートがあるのみで、スーパーはかなり遠いです。
東米里や南区郊外と同様に、市内の建物が建てられる土地としては最安値ランクですね。
市場での流通量はかなりのものですから、購入するのは比較的容易でしょう。

地区計画の目標は以下の通り。
 当地区は、都心部より北東約10㎞の市街化調整区域に位置し、
 昭和40年代に道の位置の指定を受けた道路によって構成される一団の地区であり、
 現在、比較的良好な住宅市街地を形成している。
 そこで、本計画では、地区の特性に応じた土地利用と建築物等に関するルールを定め、
 現在の良好な住環境の維持増進を図ることを目標とする。

『既存宅地制度の代替としての地区計画』です。
はい、もう何度目にもなりますので解説は省略。
実際の制限の内容については札幌市HPのPDFファイルを参照して下さい。

計画書 ・ 計画図 ・ 解説書

泥炭地なので地盤はお察しの通りですが、札幌市液状化危険度図によると、『液状化の危険性がある』と、最高ランクの『液状化の危険性が高い』ではありません。

また、『出水のおそれのある区域』に指定されています。
まぁ、周辺と比較するに地盤については東区郊外では平均的な水準と言えるでしょう。

それにしても、昔は燃料として使われていたとはいえ、『泥炭地のため火気厳禁』って看板があるのはちょっとスゴいですよね。

さて、『東区中沼○条○丁目○番○号』という住所について書きましょう。
この形式の住所は『町名整備』『住居表示』の両方が実施されている地域です。
『町名整備』とは、『中沼』や『新川』などのとても広い範囲になっている『字』(あざ・住所の括り)を小さな範囲ごとに区分して、範囲を特定しやすくする行政的手続きです。
札幌の場合は特殊で『○条○丁目』という『条丁目』形式が一般的で、北海道の他の町でも多く採用されている形式ですが、本州の方などは見慣れない住所の方式に驚くようですね。

札幌市内で『町名整備』が済んでいる地域であっても、地域の形状によっては、
例えば『旭ヶ丘○丁目』『伏見○丁目』『月寒中央通○丁目』などの『条』がないパターンも多くあります。

あるいは、『丘珠町』『雁来町』『東米里』のように、『丁目』すらないものであっても、『町名整備』は済んでいる事になっており、面積比の実施率は98.7%に上ります。
正直なところ、『町名整備』については不動産従事者以外はあまり気にする必要はありません。

一方『住居表示』が実施されているか否かは、面積比の実施率も93.3%に留まりますし、
登記情報の取得や郵便の際の住所の記入、さらにはインターネット地図の使い方にまで影響しますから、一般の方にとっても大変重要性の高い情報であるという事が出来ます。

簡単に言うと、『住居表示』が未実施の地区には、こんな不便があります。
 ①同じ住所に2つ以上の建物が存在する。
  私の経験では10軒以上の建物がすべて同じ住所だったこともあります。
 ②住所に法則性が全くない。48番の隣の家が104番だったりと不規則な配列となる。

市街化調整区域の場合、原則的には住居表示は実施されていませんが、この中沼地区や、後日紹介する星置3条1丁目、前田7条11丁目、曙11条2丁目(いずれも手稲区)など、住居表示が実施されている地域も例外的に存在しています。

また、中央区の中心部は当然市街化区域ですが、住居表示が実施されていない部分が多くあります。
他にも白石区菊水上町1条~4条の区間も『町名整備』は住んでいますが『住居表示』は未実施です。
これらの場合には『建物一つ一つが大きいので分かりやすくする必要性が高くない』とか、『あまりにも入り組んだ区画で、今後区画整理が必要な為、住居表示を保留している』などの
理由がありますが、一般の住宅街の場合には、住民は結構な不便を強いられることになります。

一方で、『住居表示』が実施されている場合には、住所が登記上の地番と異なってしまう事になるので、登記情報を取得しようという時に、ブルーマップなどで別途調べる必要があり、その点については不便です。

『住居表示』『地番』については、専門家も色々な見解を持っていますが、
統一的な回答は得られていない、というのが現状で、
この不便を解消する現実的手法も、今のところ見出されていません。

決定:平成11年3月1日 変更:平成18年3月31日の地区計画資料を基に記述しています。
今後、地区計画について内容やエリアの変更がある場合がありますので、ご注意下さい。