当記事は2014年06月17日の記事を再編したものです。当時の記録を残す為、表現等は原則的に当時のものを優先しています。
今回紹介するのは決定番号:94『新川新琴似地区』です。
ちなみに、市街化区域に編入される前は決定番号:調10『新川新琴似地区』だった地区です。
地区計画の範囲はこんな感じ。
Googleマップはこんな感じ。
『札幌市都市計画審議会』の議事録で取り上げられている経緯をまとめました。
・昭和45年、都市計画法の施行に係る『線引き』で市街化区域に指定されました。
・昭和60年、第2回『線引き』見直しの際、土地所有者から札幌市へ、営農を継続する旨の強い申し出があり、そのため、市街化調整区域への編入=『逆線引き』が行われました。
通常、『逆線引き』の際には用途地域の指定も同時に解除されるのですが、畜舎など、市街化調整区域に建築出来る建物が、市街化区域の住宅などへ悪影響を及ぼさないよう、用途地域の指定が残されたままの市街化調整区域という特例的な取り扱いになっていました。
(昭和57年建設省の通達によって、この『用途地域が指定された市街化調整区域』が実現したようです。)
・その後、この土地で農家を営んでいた方がお亡くなりになった後、
相続をした方から札幌市へ、農家を辞めて開発行為を行う旨の意思表示があったようです。
それを受けて札幌市では平成13年7月12日の第7回札幌市都市計画審議会で、まずは残っていた用途地域の指定を外し、純粋な市街化調整区域としました。
第6回・第7回の都市計画審議会では、この用途地域の解除について、北区選出、社会党の伊与部 敏雄市議会議員(選挙通称・伊与部年男氏)がかなり食ってかかっています。
地主さんの個人情報に関する事情まで挙げて批判をしたようで、
個人情報に関する部分については議事録から削除されています。
どんな内容の発言をしているか、興味がある方は、議事録を参照してみて下さい。
→ 第6回議事録 ・ 第7回議事録
北区の案件という事で、何か個人的禍根でもあったのか、勘ぐってしまうレベルです。
ちなみに伊与部 敏雄氏はこの記事の初出当時、民主党の市議会議員として平成23年から9期目を務めていました。
※ 2016年2月2日付で伊与部 敏雄氏の訃報が出ています。
あんまりウダウダ五月蠅いものですから、審議会の座長・辻井 達一氏(当時・北星大学教授)から
『できるだけ簡潔にお願いしたいのです。この場は都市計画審議会で,市議会ではございません。』
などと言われてしまっていて、失笑してしまいました。
議会や審議会などの議事録に目を通す機会も多いのですが、文字に起こすとある種異常な議事は多いものです。
(とはいえ、当の辻井氏も故人ではありますが、色々と評価の分かれる人物のようです。)
・その後、平成13年10月25日に開発行為の許可を受け、
平成14年7月24日に開発行為が完了しています。
(こういった大規模開発制度の活用は手稲山口地区に次ぎ、二番目の事例だったとのことです。)
・平成14年3月19日に市街化調整区域内の地区計画が定められました。
これは、現在の地区計画とほぼ同じ内容での決定です。
・平成16年4月6日の第5回線引き見直しで市街化区域に編入されました。
現地は札幌市立新川高等学校の北側、市道『西野屯田通』と『新琴似2条通』の交差部分です。
『西野屯田通』に面してビッグハウス新川店、ガスト、ガソリンスタンドやチロリン村などがあります。
『新琴似2条通』側は西松屋新川店のほか、中・小規模な外科、皮膚科、美容院、学習塾などが立ち並んでいます。
住宅部分は、流石にこの10年ちょっとで分譲された造成地ですから、新しい家が並んでいますね。
売れ残りが目立っているという事もなく、密度のある住宅街が形成されています。
地区計画の目標は以下の通り。
当地区は、本市の都心部より北西へ約6kmに位置し、北東側は都市計画公園「新琴似二番通公園」、
南西側は都市計画道路「新琴似2条通」に接する地区であり、現在、民間の宅地開発事業が進められている。
そこで、本計画では、当該宅地開発事業の事業効果の維持・増進を図り、
事業後に予想される建築物の用途の混在や敷地の細分化などによる居住環境の悪化を未然に防止し、
緑豊かでうるおいのある良好な住宅市街地の形成を図ることを目標とする。
実際の制限の内容については札幌市HPのPDFファイルを参照して下さい。
(市街化区域内の地区計画に『解説書』は添付されません。)
決定:平成14年3月19日 変更:平成16年4月6日の地区計画資料を基に記述しています。
今後、地区計画について内容やエリアの変更がある場合がありますので、ご注意下さい。
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