胆振東部地震から1年、里塚の大規模被害は『液状化』が原因ではなかった?!

厚真を中心として甚大な被害を生じた北海道胆振東部地震の発生から今日で丁度1年となります。
札幌市における胆振東部地震での被害は、完全復旧までに二日を要した大規模停電と『液状化』被害であったと言われています。
液状化被害については、特に里塚1~2条や東豊線直上の東15丁目通の一部地域が甚大な被害が生じました。

しかし、今になってこれがいわゆる『液状化』による被害ではない可能性が出てきたのです。

シリーズ『胆振東部地震』

 ◇胆振東部地震で被災した札幌市内の不動産の流通について
 ◇清田区里塚で生じた大きな液状化被害と『防災カルト』の蠱惑
 ◇『液状化、里塚』の現実を見よう、夢想は不要だ
 ◇デマで市域の5.3%を貶めた札幌市民の敵、池上彰氏をどうしてくれようか。
 ◇胆振東部地震から9ヶ月、『液状化、里塚』はどうなった?

地震当時の報道



土砂崩れによって山肌が露わになった厚真地区の山林とともに、里塚で土砂が噴出し、1~2mの高さの汚泥で道路が埋め尽くされ、多数の建物が傾斜した光景は非常なショッキングなものとして報道されました。

更に池上彰の特番では、全国ネットでその原因が『清田区』が水田であったことによる『液状化』であると大々的に報じられました。

まぁ、これはひどいデマだった訳ですが、その辺りの事情は『デマで市域の5.3%を貶めた札幌市民の敵、池上彰氏をどうしてくれようか。』で言及しました。
Google検索で『池上彰 デマ』で検索をすると1年経ってもこの記事が表示される平均検索順位は10.2位との事です。

私の指摘

インターネット上では、地震から数日で『この地震はハザードマップで予知されていた』とか池上彰の番組に影響されたのか『この地帯は水田地帯だったので液状化した』という言説が散見されました。
確かに、この地域の一部は札幌市のハザードマップで『液状化の可能性が高い』と判定されていますが、一方で他に幾らでも赤いエリアはあるのに、他では深刻な液状化被害は生じていない事が説明出来ません。

また、水田であったから液状化した、という点については、池上彰の特番の他に戦前から戦後にかけての地形図で水田の地図記号が並んでいたことに端を発していたようです。

しかしながら、航空写真を見るに一定規模以上の営農が行なわれていたようには見えません。
傾斜地で出来る間に合わせの農業として、わずかに棚田があっただけのように見えます。

また、被害甚大な部分が三里川暗渠に沿っていたことから原因として浮上してきたのが、暗渠が液状化の原因であるというもの。

 
しかし、 同様の暗渠は近隣の『三里東排水』『里塚西排水』など多数あるのに、そちらでは『三里川』ほど大きな被害は出ていません。

つまり、胆振東部地震では、三里川暗渠の流域に集中的な被害が生じた事からも、三里川暗渠に何らかの個別的な問題が生じたのではないか。

あくまで個人的見解ではありますが、その『個別的な問題』とは、老朽化による決壊だったのではないか?と推察し、札幌オリンピックから50年を経過する札幌市では問題となっているインフラの老朽化について指摘しました。

札幌市の発表

しかしながら、札幌市の発表では、この被害をあくまでも単なる液状化として取り扱っています。
以下は札幌市ホームページで公表されている里塚の住民説明会の資料を抜粋したものです。

液状化した土砂が三里川排水に流入して土砂が流出し、地中が空洞化したという説明で、なぜ局地的な被害が生じたのか、という説明はなされていないように思います。

暗渠の排水が漏れ出していたのが原因?

今年6月に、この被害について新たな原因を示す記事が掲載されました。
あまり取り上げられていない記事ですが、重要な知見と考えます。
令和元年6月2日の北海道新聞の記事を引用します。(朱筆は私によるものです。)

土砂流出、空洞が原因か 里塚液状化 現地調査の教授報告
昨年9月の胆振東部地震による液状化で、地盤被害などが出た札幌市清田区里塚1で、地下水を集めて下流に流す地下排水溝(暗きょ)の上に地震前から空洞があり、この空洞が大規模な土砂流出を起こした可能性のあることが1日、札幌市内で開かれた「欠陥住宅被害全国連絡協議会」全国大会で報告された。調査に当たった国士舘大の橋本隆雄教授(防災工学)は「全国的にも例が少ない現象」と話した。

 協議会は地震被害などに取り組む全国の弁護士や建築士らでつくる。

 橋本教授は地震直後から土木学会のメンバーとして現地調査を重ね、開発事業に伴う地盤被害を防ぐ「宅地防災マニュアル」ができる1989年以前は、地下排水溝同士の接続方法が簡易だったと説明。「地震前から地下排水溝の水が漏れ、地中の空洞に多くの水が滞留し、その水を含んだ土砂が地震によって大量に流動した」と取材に対し指摘した。その証拠として、一般的な液状化で見られる「噴砂」が里塚では少なく、土砂が地中で水平方向に動いたと分析した。

 札幌市によると、液状化の地盤沈下被害があった里塚1の地下排水溝は78~84年に宅地造成した民間業者が市の許可を得て設置。市の推計では地震後約1時間で約1万立方メートルの土砂が流出した。これまで市は液状化による大量の土砂流出は、地下水位より下の盛り土部分の軟弱地盤が地震で液状化し、緩い傾斜地に沿って土砂が帯状に流動したと分析している。(久保吉史)

以上が引用です。

ごく簡単に説明をすると三里川暗渠では排水溝同士の接続が簡易であり、その隙間に水が入り込み、土砂を流出させて地下に空洞を生じさせていたものが、台風と地震のダブルパンチで急激に悪化したということです。
つまり、暗渠に個別的な問題・欠陥が生じていたのではないか、という私の推測を補強するものと考えます。

河川の維持管理は札幌市の責任、と責任転嫁するのは簡単ですが

三里川暗渠は札幌市河川管理課が管理する河川です。
しかし、この災害の責任を札幌市に求める考え方には賛同出来かねます。

そもそも、昭和54年に札幌市から許認可を得て三里川暗渠を設置したのは株式会社じょうてつであって、その施工の仕様について、札幌市が管理するのは困難であったでしょう。
竣工から40年が経って老朽化している部分もあるでしょうから、株式会社じょうてつに責任を求めるのも、筋違いと感じます。

では何が出来たのか、と考えたときに、札幌市に瑕疵があったと言えるのか、ということです。
例えば、基準が甘かった1989年以前の暗渠すべてを点検・補修することが出来たのでしょうか。
上記の河川網図でも分かる通り、実は暗渠というものはかなり多く存在しています。
自治体は限られた予算の中で運営していますから、その分他の予算が割を食ってしまいます。
仮に点検の結果、補修の必要が出たとして、約2m四方のコンクリートで出来た暗渠を補修するのに、地面を掘り返すのですから、自動車の通行は一定期間不可能になりますし、公共工事費も多額に上るでしょう。

これは不幸な河川災害ではありますが、それ以上でもそれ以下でもない、というのが私の考えです。
例えば堤防が決壊したであるとか、津波に襲われたという時に、国や自治体に明らかな不備がない状態なのに、恨み言を言い続けるというのは、怒りの宛所がないのは理解出来ますがちょっとどうなのかな、と言わざるを得ません。

自然災害の被害者に対して『仕方ない』で片付けるのは非情ですが、だからといって被害者が国や自治体に何を言ってもいいという話にはならないと思うのです。

ニュースソースとさせてもらって恐縮ですが、北海道新聞の報道姿勢にも、疑問を感じています。

この災害が、次の災害を生まない教訓になることを願います。