北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!③

さて、前回(②)前々回(①)と奥輪厚の大廃墟群の歴史と現状を紹介しました。

今回はこの廃墟群が具体的に誰が所有していて、
どのような経緯を辿ってきたのか、明らかにしてゆきましょう。

・・・というか、既にタイトルでネタバレしているんですが、
大手グループのアニメ制作会社との間に意外な関係があったのです。

ヒントは住宅地図に記載の『旭一シャイン工業㈱』『シャインミンク㈱』といった記載。
当初、私は『旭一』という名前や北海道という立地や業種から、旭川に本拠を置く『株式会社キョクイチホールディングス』との関係を疑いました。

株式会社キョクイチホールディングス
  https://kyokuichi.com/

しかし、この一帯の登記を調べてみると、この土地北広島市輪厚276番地』の登記名義人は名古屋市中区栄三丁目22番11号  株式会社キョクイチ』となっています。

しかし、旭川市のキョクイチグループの出先が名古屋にあったという記録は見当たりません。
この土地を所有する法人についてよくよく調べてゆくと、この『株式会社キョクイチ』は、メジャーな作品を多く輩出するのアニメ制作会社、『株式会社トムス・エンタテインメント』の前身である事が分かったのです。

株式会社トムス・エンタテインメント
  http://www.tms-e.co.jp/

『それいけ!アンパンマン』『名探偵コナン』といった国民的知名度のアニメを制作しています。
他にも『ルパン三世』『バキ』の新シリーズの制作も受け持っています。

アニメ制作会社とミンク飼育場の間にどのような関係があるのでしょうか?

トムス・エンタテインメントの公式サイトの会社概要、2010年まで名古屋証券取引所第二部に上場していた時代の有価証券報告書、そしてWikipediaの記載をもとに、トムス・エンタテインメントの社歴を追ってゆきましょう。

年月 沿革
昭和21年10月 名古屋市瑞穂区竹田町で『アサヒ手袋製造株式会社』を設立し、手袋の製造を開始した。同年同月、商号を『旭一編織株式会社』に変更。
昭和22年11月 商号を『株式会社旭一』に変更し、メリヤス製品、布帛製品の製造を開始。
昭和32年3月 御幸染工株式会社、株式会社旭一トレーディングを吸収合併し、商号を『旭一シャイン工業株式会社』へ変更。
昭和32年4月 名古屋証券取引所に上場。
昭和36年8月 北海道札幌郡広島町『シャインミンク株式会社』を設立し、ミンク等の飼育を開始
昭和37年10月 毛皮部門を新設した。
昭和49年2月 シャインミンク株式会社を吸収合併し、ミンク事業部門を新設した。
平成元年4月 愛知の時計・家電量販グループのウォッチマングループに買収される。
平成3年4月 ミンク事業部を閉鎖し、ミンク飼育事業から撤退した。
平成3年7月 商号を『株式会社キョクイチ』に変更した。
平成3年9月 事業目的を拡充し、アミューズメント事業に進出した。
平成4年9月 株式会社セガ・エンタープライゼスと資本業務提携し、セガグループとなる。
平成6年10月 本店所在地を名古屋市中区栄三丁目へ移転。
平成7年3月 株式会社東京ムービー新社の全発行済株式を取得し、子会社とする。それに伴い同社の子会社であった株式会社テレコム・アニメーションフィルム(現・連結子会社)と有限会社トムス・フォト(現・㈱トムス・フォト)(現・連結子会社)を子会社とした。
平成7年11月 株式会社東京ムービー新社を吸収合併し、東京ムービー事業本部を新設しアニメ事業に進出。
平成11年7月 毛皮製品の製造、販売業務を子会社の『株式会社パシフィック・エンタテインメント』へ移管。
平成12年1月 商号を『株式会社トムス・エンタテインメント』に変更した。
平成15年3月 提出会社および株式会社パシフィック・エンタテインメントは、毛皮事業より撤退。
平成16年12月 株式会社パシフィック・エンタテインメント(連結子会社)の会社清算が結了。
平成22年11月 名古屋証券取引市場第二部より上場廃止。
平成22年12月 セガサミーホールディングス株式会社の完全子会社となる。
平成27年4月 セガグループの再編に伴い株式会社セガホールディングスの完全子会社となる。

・・・以上をざっくり説明すると以下のようになります。
戦後間もなく名古屋で開業した手袋等を制作する会社『株式会社旭一』は、昭和36年に子会社『シャインミンク株式会社』を設立し、当時の廣島町(現:北広島市)でミンク飼育場を開業します。
その後、昭和49年に子会社を合併してミンク事業部としたのち、更に平成3年にはミンク飼育事業から撤退しています。

その後、紆余曲折あって平成4年セガグループに編入、アミューズメント事業を担当していたようですが、平成7年に株式会社東京ムービー新社を買収、アニメ制作会社『株式会社トムス・エンタテインメント』に社名変更したのです。
元々、『トムス』というのは東京ムービー新社の略でした。
社名を変更する前は、名探偵コナン等にも『キョクイチ』の名前でクレジットされていたそうです。

法人合併や株式売買によってまったく別の事業へ転換してしまった、というのは非常に興味深いですね。

登記を見る限りにおいては、トムス・エンタテインメントがこの廃墟群を所有していると思われますが、必ずしもそれを断定する事は出来ません。
・・・と、言うのも不動産登記は必ずしも事実とイコールではないのです。
現に社名変更前の『株式会社キョクイチ』から変更されていませんし、この土地建物が既に外部へ売却されていたりグループ内で移管している可能性もあります。

例えば平成11年に毛皮の製造販売事業を子会社の『株式会社パシフィック・エンタテインメント』を移管していますから、グループ内では所有権を移転していても、それを登記していないという事が考えられるのです。

戦後突然森を切り開いて開発されたミンク飼育場が、バブル崩壊や毛皮需要の現象、動物愛護運動などの影響で閉鎖されたのち、色々な紆余曲折を経て有名なアニメ制作会社へ引き継がれてしまうというような事も、M&Aが活発な現代においては起こりうるのですね。

ちなみにこの奥輪厚の土地の上には、登記上、47件の建物が所在しています。
実際にはこれらの大半が荒廃し森の中に埋もれてしまっていますが、登記上は現存することになっているのです。


仮に固定資産税が課され、これが納められていればトムス・エンタテインメントにとっては無駄な支出でしょうし、納められていないとすれば北広島市にとっての損失でしょう。

幹線道路からも遠く、市街化調整区域にあるこのエリアの再生は非常に困難ですが、だからこそこのような形で廃墟群が残っていることは、数奇という他ありません。

【シリーズ『奥輪厚廃墟群』】
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!①
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!②
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!③

北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!②

さて、前回は北広島市輪厚の奥地にある『ミンク飼育場』を紹介しました。

1970年前後に建設されたミンク飼育場の建物ですが、
10年後には屋根が錆び始め、20年後には地図で建物が省略され、
40年後以降は、建物どころか名称までも地図から消えてしまいます。

このミンク飼育場は現在どのようになっているのでしょうか?

今回は諸事情により友人撮影の現地取材の写真を利用します。


道道790号線『羊ケ丘通』から国道36号線へ合流する為のカーブを、
敢えて曲がらずに脇道に逸れてゆくと、畑や牧場が多いエリアになります。

左手にトウモロコシ畑、奥にはサイロが見えます。
道路幅は3m程度、夏でも行き違いが困難なレベルですね。

そこからさらに進んでゆくと、森の深いエリアに到達します。
左手は札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの裏側にあたります。
緑色のフェンスに囲われているのがゴルフコースですね。

札幌ゴルフ倶楽部と反対側には、ミンク飼育場の入口があります。

 かなり雑然としたバラックが並んでいますが、
車が通ったような轍もあり、人の出入りは多少なりともあるようです。
まちBBSの投稿では心霊スポットとしても扱われているようですから、
大学生なりが肝試しに来ているなどという事もあるのかもしれません。

入口右手・北側には、かつて社員寮であった建物があります。



屋根や外壁はかなり傷んでいるようで、鉄パイプ(単管)で補強されています。 車が停まる為のスペースが養生されていることも考えると、
入口部分の建物は、まれに利用する事があるのかもしれません。
・・・更に奥へと進んでみましょう。
 木造ラスモルタル外壁の亜鉛メッキ鋼板葺の三角屋根の建物があります。
大きな半円形の入り口は木材で閉じられ、左手には飼料用のサイロが見えます。

半円形のいわゆるカマボコ倉庫と照明灯。
シャッターが大きく壊れ、外壁も崩落しています。

こちらは別のカマボコ倉庫、二階部分が物入れになっているようですね。
西方向へは細い通路が続いていますが、雑草によって道は狭くなっています。
1970~80年当時はかなり奥まで建物が続いていましたが、
パッと見、建物の屋根や壁も見えません。

・・・と、奥輪厚の秘境、ミンク飼育場跡地の状況を紹介しました。
さて、タイトルで『アニメ制作会社の謎の関係』と題しておきながら、
この2回、ロクにアニメ制作会社の話題が出てきていません。

次回はこの、『アニメ制作会社の謎の関係』を深堀りしてゆきましょう。

【シリーズ『奥輪厚廃墟群』】
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!①
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!②
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!③

北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!①

新年あけましておめでとうございます。
このブログの前身である『この道なぁに?』の時代から、
新春一発目の記事というのはそれなりに気合を入れた
シリーズ記事にしてきた経緯がありますが、
ご存知の通り、9月に胆振東部地震の記事を書いて以来、
3ヶ月以上ご無沙汰をしてしまっているのですが、
それでもやはりブログは大切な情報発信手段ですから、
一つこの機会に締め直して新年の記事を一つ書いてみようか、という訳です。

さて、こういう商売をやっていますと、地図や航空写真を見るのが習慣になっている訳ですが、そんな中でたまに『気になる』地形というものが目につきます。

そういう事がこのブログのネタ元にもなっているのですが、
新年記事という事で、一つ大きめな『謎』を取り上げてみましょう。

北広島市の郊外で、大規模な建物群があるにも関わらず、
建物の名称などの情報が出てこないエリアがあります。

いくつもの細長い建物が平行に並んでいます。
・・・よくわかりませんよね。Yahoo地図から航空写真を見てみましょう。

うーん、地図を掲出してもよく分かりませんかね。
位置的には札幌ゴルフ倶楽部輪厚コースの西側に所在します。
Googleマップでもっと寄ってみましょうか。


何か、かなり大規模な施設が森に埋もれているのが分かります。
屋根は茶色くサビてしまっていて、さながら腐海に飲み込まれてしまったようにも見えます。

この謎の建物群は何なのか・・・?!
・・・と、勿体ぶっても仕方がありません。

この建物群に関して、資料が殆ど残っていない一方で、
『何なのか』については明確な回答が過去の地図資料から得られてしまうのです。
これ、打ち捨てられたミンク飼育場なんですね。

ええ、ミンクと言いますと毛皮の為に移入されたイタチ科の動物で、
イタチやテンと競合する生活環を持つため、
現在は特定外来種にも指定されている動物です。
ドラゴンクエストⅡでは『ミンクのコート』なんてアイテムもありました。
昨今はアニマルライツの観点から、毛皮の生産が減っていますが、
戦前・戦後の割と近現代までは繊維産業が大正義です。
製糸(絹)、紡績(綿)そして毛皮産業が最重要だった訳です。

文明開化以降、生産性を上げて国際競争力を上げるという『富国強兵』政策は、戦前までは一つの正解であった訳です。
それこそ、アメリカザリガニもヌートリアもウシガエルも、
富国強兵の政策から移入された動物群です。

戦後も、軽工業は国の基幹産業であった訳ですが、
化学繊維が普及したこと、徐々に円高となっていったこと、
産業構造の転換などの複合的要因によって、日本の繊維産業は斜陽を迎えます。

とはいえ、ミンクを始めとした毛皮製品はバブル期に入ってようやく普及したという文章もあり、国内のミンク産業がどのような経緯を辿ったのかは、判然としません。
(輸出用の毛皮が海外で売れずに国内で出回った、という見方もできるのかもしれません。)
前述のドラゴンクエストⅡ1987年発売、
毛皮のコートの売買が印象的な映画、マルサの女21988年発表です。
毛皮の流行は1959年の美智子皇后陛下の御成婚とも言われますが、
毛皮=富の象徴として子供にも届くレベルで機能するようになったのは、
バブル期であったのではないかな、という印象があります。

そんな、歴史に翻弄されたミンク飼育場がどういうものなのか、見ていきましょう。

Ⅰ.歴史的な経緯

大正8年/1919年

私が最も重宝している大正初期の地形図では、この周辺はまだ殆ど開発されていません。
画像左側を見るに当時、この周辺は『奥輪厚』と呼ばれていたのですね。

昭和27年/1952年
道路は整備された様子がありますが、わずかに畑・果樹園として利用されている程度です。

1960年代の航空写真を見ると明白ですが、
ミンク飼育場周辺は森林に囲まれており、殆ど人の手が入っていません。

昭和52~3年/1977~8年



1970年代に入って、ようやくミンク飼育場が建設されました。
前段では富国強兵による移入、というお話をしましたが、
1980年代までは日本の繊維工業というのは高度経済成長の一因でもあったのです。

住宅地図を見るに『シャインミンク株式会社』という社名が見えます。

昭和60年/1985年

表記が『旭一シャイン工業㈱ ミンク事業部』と 改められています。

どうも、同時期の航空写真を見るに、すでに屋根の大部分が茶色くサビてしまっています。
10年足らずでこのような事になってしまうというのは、ミンク産業の斜陽を表しているのかもしれませんね。

平成2年/1990年

地図上の社名表記は変わりませんが、建物それぞれの形は省かれてしまっています。
・・・と、いうことはミンク飼育事業が立ち行かなくなってしまったのではないか、という風に考えます。

平成12年/2000年

社名表記が『シャインミンク株式会社』に戻りました。
このあたりが非常に面白いですね。
また、建物は現存しているにも関わらず地図には記載されていません。
そして最初の航空写真に戻りました。
転載は出来ないのですが、2018年現在のゼンリンの住宅地図でも、
この建物群に事業者の社名の記載はなくなってしまっています。

屋根は錆び、森林に侵食されたミンク飼育場は現在どのような姿をしているのでしょうか?

『北広島 ミンク』『輪厚 ミンク』などと検索しても、まちBBSで、
心霊スポットとして若干触れられている程度で殆ど情報を拾う事は出来ません。

そんな謎に包まれたミンク飼育場跡地に、潜入してみましょう。
次回は現地の状況を紹介してゆきます。

【シリーズ『奥輪厚廃墟群』】
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!①
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!②
 ◇ 北広島市輪厚の大廃墟群とアニメ制作会社の謎の関係?!③