当記事は2017年03月21日の記事を最新の状況を反映し改稿したものです。
シリーズ『北広島』
◇KH-1 北広島市での不動産調査の方法【旧庁舎】
◇KH-2 北広島市での不動産調査の方法【新庁舎】
◇KH-3 北広島市は『背骨のない町』という特殊な性質を持っている
◇KH-4 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?①
◇KH-5 北広島は何故、国道36号線沿いに展開しなかったのか?②
◇KH-6 北広島は何故3つに分裂したのか?
◇KH-7 北広島市『大曲』とは何か、その歴史を探る
◇KH-8 『大曲』の由来となった場所の現在の姿
幹線道路というものは、しばしば市街形成における『骨格』や『血管』に例えられます。
整備された流量の多い道路がある事でヒトやモノが『血液』のように流れ、それが『肉』である住宅地や商工業地を支える強靭な『骨格』としての役割を果たします。
中心的な道路から毛細血管のように道路網が発展し、都市として機能してゆきます。
札幌を例に取れば、古くは江戸時代からある道路や開拓使によって拓かれた道路・・・
東西には札幌本道(≒現:国道5号線・旧5号線)、南北には本願寺道路(≒現:石山通)、そして斜めに室蘭街道≒札幌越新道(≒現:国道36号線)を中心に市街が形成されました。
創成川通りは当初”運河縁”と呼ばれ、陸路としては古くから整備されていた訳ではありません。
運河も物流と言う意味では道路と同様の役割を果たしますが、
周辺の開発という意味では気軽に寄り道が出来る陸路よりは影響力は小さいようです。
他にもそれぞれの村ごとに、中心となる道路を中心に切り開かれていく訳です。
札幌市近隣の自治体の都市計画図を見てゆきましょう。
まずは小樽市。札幌本道(≒現:国道5号線)を中心に、岩壁を避けて市街が形成されています。
明治以前からある漁村を合併して大きくなってきた都合、市街化区域が分散しているという特徴があります。
特に小樽市西部、旧高島町地区や旧塩谷村地区に関しては、扱いに苦慮しているようです。
次に江別市の都市計画図を見てみましょう。
江別市は江別一番通(≒現:国道12号線)とJR函館本線を中心に、
札幌市以上に計画的な格子状の市街形成がなされていますが、
これは江別市が屯田兵によって切り開かれた、『官』の色合いが非常に強い町である事に由来します。
次に石狩市の都市計画図を見てみましょう。
石狩市は軽石馬車軌道(≒現:道道44号線)を中心として形成され、
江別市よりも細かい格子状の区割りがされた計画都市ですが、
これは江別市とは別の由来で、戦前は殆どが畑であり、
戦後しばらくしてから宅地開発が始まった、という背景があります。
札幌のベッドダウンとして開発された為、市内中心部まで住宅地が広がっており、
中心部に広めの区画の商業地が少ないことが現代においてはネックになっています。
札幌市の都市計画図も見てみましょう。
札幌市に関しても小樽市と同様に明治・昭和期に多くの村が合併した名残はありますが、 戦後の農地改革による宅地化と札幌オリンピックによる人口増で、一つの町としての体裁を保っており、飛び地は定山渓や北丘珠の一部に留まっています。
どの自治体に関しても、市内で最も大きな幹線道路に中心街が存在し、
市役所や商店街も幹線道路のほど近くにある、というのが共通の特徴です。
一般的に、市街形成においては最も大きな幹線道路が街の『背骨』になり、
そこから格子状・放射状に市街が広がってゆく、というのが一般的な形です。
また、その市街が都市計画法によって『市街化区域』に指定され、
郊外の土地が『市街化調整区域』として原野や山林のまま残る、というのが通常です。
しかし、北広島市に関しては事情が大きく異なるのです。
北広島市の都市計画図を見てみましょう。
・・・非常にイビツですね。
北広島市には大きく3つの市街化区域エリアがあります。
(北広島市都市計画マスタープランでは5つの区分ですが、ここでは私の定義でお話します。)
まずは画像右側、北広島市役所やJR北広島駅がある『中央エリア』。
都市計画マスタープランでは『東部地区』『北広島団地』の2地区にあたります。
これがこれまでに述べたいわゆる『通常の市街形成』によるエリアで、
江別から恵庭へ南北に走る広島本通(≒現:道道46号線)沿いに形成された市街地です。
JRの駅もそばにありますから、比較的、江別市に近い構成と言えるかもしれません。
次に画像の左下にあたる『大曲・輪厚エリア』。
都市計画マスタープランでは『大曲地区』『西部地区』の2地区にあたります。戦後、国道36号線沿線に開発されたエリアで、札幌市清田区の延長上にあります。
札幌と北広島の境界は厚別川ですが、川を挟んだだけでほぼ一繋ぎの町という印象です。
大曲の住宅地を抜けると大曲工業団地、輪厚のゴルフ場などを抜けて恵庭・千歳へ至ります。
国道36号線の他にもそのバイパスにあたる羊ケ丘通や、
千歳まで至る高速道路である道央自動車道に沿って市街が形成されています。
最後、一番小さなエリアですが画像の左上『西の里エリア』。
都市計画マスタープランでは『西の里地区』にあたります。
こちらも戦後、国道274号線沿線に開発されたエリアですが、その大半が住宅地です。
現在は札幌市厚別区と隣接していますが元々は厚別区との距離がありました。
平成初期に『虹ヶ丘』として西端が開発され、札幌市との距離が縮まりましたが、
丘陵地にある為に距離が離れており、大曲・輪厚地区ほどの一体感はありません。
各種施設も地元住民の利便の為の物が中心で、これといった特色はありません。
札幌市のベッドタウンとしての側面が強いと言えるでしょう。
このように、一つの自治体の中に3つも市街化区域があり、
それぞれにそれなりに距離が離れており、またそれなりの規模であるというのは、
(少なくとも札幌圏においては)非常に特殊な市街形成の形態であると言えます。
小樽市も飛び地的に市街化区域が分散していますが、
これは元々複数の自治体が合併した事によりますし、
何より、どの市街化区域も国道5号線(旧:札幌本道)を中心に形成されています。
一方の北広島市は明治27年に札幌郡月寒(つきさっぷ)村から分村して以来、
他の自治体を合併したという事はありませんし、
3つのエリアはそれぞれ別の道路の沿線に市街が形成されている点で、小樽と異なります。
(3つの道路・・・道道46号線・国道36号線・国道274号線)
そういった意味で、北広島市は『背骨のない町』であると言えます。
道路は人や車の通り道である他、上下水道やガスなどの配管の埋設があり、
電柱が敷設されているなど、様々な生活インフラの経路になっていますから、
これは江別市や石狩市のように、一つの道を中心に据えて開発をした方が、
都市開発のコストを考えれば間違いなく合理的であると言えるでしょう。
街のメインストリートたる道道46号線『広島本通』に面さない、
『大曲・輪厚エリア』や『西の里エリア』が戦後開発されていったのは何故なのか?
通常の市街化形成のセオリーでは有り得ない3つの幹線道路と3つのエリアで、
北広島市は将来どうすれば人口減の時代を乗り切ってゆけるのでしょうか?
幹線道路を町の外側に複数持つ『背骨のない町』は、
『外骨格都市』として成り立ってゆく事が出来るのでしょうか?
シリーズ次回に続きます。